吾妻鏡入門第二巻

養和元年(1181十二月小

養和元年(1181十二月小七日己酉。御臺所御惱。仍營中上下群集。

読下し            つちのととり  みだいどころ ごのう よっ  えいちゅう じょうげぐんしゅう
養和元年(1181十二月小七日己酉。御臺所御惱に仍て營中に上下群集す。

現代語養和元年(1181十二月小七日己酉。奥方様(政子)が具合が悪いので、御所の中では身分の高い者も低い者も集まって大騒ぎです。

養和元年(1181十二月小十一日癸丑。師公日惠入滅。日來煩腹中。今夜。則葬于山内邊。武衛御哀傷之余。自令向其荼毘所給。是園城寺律靜房日胤門弟。顯密兼學浄侶也。去五月。尋先師舊好令參向之間。有御歸依云々。

読下し             みずのとうし  しこう にちえ にゅうめつ  ひごろふくちゅう わずら   こんや すなは やまのうちへんにとぶら
養和元年(1181十二月小十一日癸丑。師公日惠入滅す。日來腹中を煩う。今夜、則ち山内邊于葬ふ。

ぶえい ごあいしょうのあま    そ   だびしょ よ  むか  せし  たま    これ おんじょうじりっしょうぼうにちいんもんてい けんみつけんがく   じょうりょなり
武衛御哀傷之余り、其の荼毘所自り向は令め給ふ。是、園城寺律靜房日胤門弟、 顯密兼學@の淨侶也。

さぬ  さつき せんし きゅうこう  たず   さんこうせし  のかん   おんきえ あ   うんぬん
去る五月先師の舊好を尋ね、參向令む之間、御歸依有りと云々。

参考@顯密兼學は、仏教のすべてに通じていると云う例え。顕経=明らかなこと。密教=明らかでないこと。

現代語養和元年(1181十二月小十一日癸丑。頼朝様の仏教の師匠である日恵が亡くなりました。最近お腹を壊していました。今夜山ノ内に葬りました。頼朝様は悲しみの余り、荼毘に付した場所から一緒に墓場まで行きました。この人は、三井寺園城寺の律静坊日胤の弟子僧で、顕経と密教とを双方共に学んできた清らかな僧侶でした。先の五月に師匠の史跡を訪ねて鎌倉へこられたので、頼朝様も帰依していたのになんだとさ。

翌養和二年正月へ

吾妻鏡入門第二巻

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