吾妻鏡入門第十一巻   

建久二年(1191)辛亥九月小

建久二年(1191)九月小三日己酉。奉爲先考。於南御堂。有御佛事。被供養頓寫法華經一部。惠眼房爲御導師。御布施被物二重。大夫屬入道奉行之。御臺所爲御聽聞御參。幕下無御參。依御衰日也。

読下し                   せんこう  おんため  みなみみどう  をい    おんぶつじあ     とんしゃ  ほけきょういちぶ   くよう さる
建久二年(1191)九月小三日己酉。先考の奉爲、南御堂に於て、御佛事有り。頓寫の法華經一部を供養被る。

えがんぼう  ごどうし  な     おんふせかずけものふたえ  たいふさかんにゅうどう これ ぶぎょう   みだいどころごちょうもん  ためぎょさん
惠眼房御導師と爲し、御布施被物二重。 大夫屬入道 之を奉行す。御臺所御聽聞の爲御參す。

ばっかぎょさんな     ごすいじつ  よっ  なり
幕下御參無し。御衰日に依て也。

現代語建久二年(1191)九月小三日己酉。亡き父のために、南御堂勝長寿院で、法事が有りました。
大勢が集って一日で書き上げた法華経一部を奉納しました。恵眼坊を指導僧として、お布施は包み物二つです。大夫属入道三善善信が担当しました。
御台所政子様もお経を聞くために参りました。頼朝様は参加しません。外出に縁起の良くない日だからです。

建久二年(1191)九月小九日乙夘。鶴岡臨時祭如例。幕下有御奉幣。

読下し                   つるがおか りんじさいれい  ごと    ばっか ごほうへいあ
建久二年(1191)九月小九日乙夘。鶴岡の臨時祭例の如し。幕下御奉幣有り。

現代語建久二年(1191)九月小九日乙卯。鶴岡八幡宮の臨時のお祭(重陽の節句)は何時もの通りです。頼朝様のお参りが有りました。

建久二年(1191)九月小十八日甲子。幕下御參大倉觀音堂。是大倉行事草創伽藍也。累年風霜侵而甍破軒傾也。殊有御憐愍。爲修理。以准布二百段奉加之給。

読下し                     ばっか おおくらかんのんどう ぎょさん   これ  おおくらぎょうじ そうそう  がらんなり
建久二年(1191)九月小十八日甲子。幕下大倉觀音堂へ御參す。是、大倉行事@草創の伽藍也。

るいねん ふうそう いらか おか て のき やぶ  かたむ なり  こと  ごれんみん あ      しゅうり  ため  じゅんぷ にひゃくたん もっ  これ  くは たてまつ たま
累年 風霜 甍を侵し而軒を破り傾く也。殊に御憐愍有りて、修理の爲、准布A二百段を以て之を加へ奉り給ふ。

参考@大倉行事は、意味不明。但し、世話役などを行事と称するので、大倉地区開発者であろう。なお、大倉観音杉本寺の縁起では光明皇后の御願により藤原房前・行基が建立したと云っている。
参考A准布は、奈良時代から鎌倉時代にかけて、物の価を布の量に換算したこと。また、その布。Goo電子辞書から

現代語建久二年(1191)九月小十八日甲子。頼朝様は、大倉観音堂(杉本寺)へお参りです。
この寺は、大倉開発時に創建された寺院なのです。
長年を重ね、風雪が屋根を傷め、軒も壊れかけ傾いております。特にお気にかけられて、修理の代金として、物々交換用の布二百反を寄附なされましたとさ。

建久二年(1191)九月小廿一日丁夘。爲歴覽海濱。出稻村崎邊給。有小笠懸。
勝負
 射手
  幕下     下河邊庄司
  和田左衛門尉 榛谷四郎
  藤澤次郎   愛甲三郎
  山田太郎   笠原十郎
上手負訖。各相具一種一瓶。於濱献之。上下催興。秉燭之程。令歸給之間。雜色澤重与盛時所從有喧嘩。各被疵。義盛郎從等搦進之。殊有御勘發。則自此所。被流遣伊豆國。而可被究科輕重歟。爲楚忽御沙汰之由。盛時屬義盛。頻愁申之。於所犯者。相互難遁之旨。直御覽訖。非他所。正於御興遊砌。忽現奇恠。糺断之篇。何期後日乎。汝乍接公事。欲申行非據不當之由。御氣色及再三。盛時閇口逐電云々。

読下し                     かいひん  れきらん  ため  いなむらがさきへん  い   たま    こがさがけあ
建久二年(1191)九月小廿一日丁夘。海濱を歴覽の爲、 稻村崎邊に 出で給ふ。小笠懸有り。

しょうぶ
勝負

   いて
 射手

    ばっか           しもこうべのしょうじ
  幕下     下河邊庄司

    わださえもんのじょう   はんがやつのしろう
  和田左衛門尉 榛谷四郎

    ふじさわのじろう      あいこうのさぶろう
  藤澤次郎   愛甲三郎

    やまだのたろう      かさはらのじうろう
  山田太郎   笠原十郎

うわて ま をはんぬ おのおの いっしゅいっぺい あいぐ     はま  をい  これ  けん    じょうげきょう もよお
上手負け訖。 各、 一種一瓶を相具し、濱に於て之を献ず。上下興を催す。

へいしょくのほど  かえ  せし  たま  のかん  ぞうしきさわしげと もりとき  しょじゅうけんかあ   おのおの きずさる    よしもり  ろうじゅうら これ  から  しん
秉燭之程、歸ら令め給ふ之間、雜色澤重与盛時の所從喧嘩有り。各、 疵被る。義盛が郎從等之を搦め進ず。

こと  ごかんぱつ あ    すなは こ   ところよ    いずのくに  なが  つか  さる
殊に御勘發有り。則ち此の所自り、伊豆國へ流し遣は被る。

しか      とが  けいちょう きは  らる  べ   か   そこつ    ごさた たるの よし  もりときよしもり  ぞく    しきり これ  うれ  もう
而るに、科の輕重を究め被る可き歟。楚忽の御沙汰爲之由、盛時義盛に屬し、頻に之を愁い申す。

しょはん  をい  は   あいたが    のが  がた  のむね  じき  ごらん をはんぬ
所犯に於て者、相互いに遁れ難き之旨、直に御覽し訖。 

たしょ  あらず  まさ  ごきょうゆう  みぎり をい    たちま きっかい あらは   きゅうだんのへん なん  ごじつ  ご     や
他所に非。正に御興遊の砌に於て、忽ち奇恠を現す。糺断之篇、何ぞ後日を期さん乎。

なんじ  くじ   せっ  なが    ひきょ  もう  おこな     ほっ    ふとうの よし  みけしき さいさん  およ    もりときくち  と   ちくてん    うんぬん
汝、公事に接し乍ら、非據を申し行はんと欲す。不當之由、御氣色再三に及ぶ。盛時口を閇じ逐電すと云々。

現代語建久二年(1191)九月小二十一日丁卯。海をご覧になるために、稲村ガ崎の辺りへお出かけになられました。小笠懸がありました。

勝負の様子
 射手は、
 頼朝様      対 下河辺庄司行平
 和田左衛門尉義盛 対 榛谷四郎重朝
 藤澤二郎清親   対 愛甲三郎季隆
 山田太郎重澄   対 笠原十郎親景

上に書かれた人が負けたのです。それぞれつまみ一品と酒ひと瓶を持って来ており、浜辺でこれを献上しました。上下共に楽しみました。
明かりを点ける時間になったので、帰ろうとしたところ、雑用の沢重と平民部烝盛時の下男の喧嘩がありました。それぞれ互いに傷つけられました。和田左衛門尉義盛の家来達が捕まえて差し出しました。
(頼朝様は)とてもお怒りになり、すぐさまこの場所から伊豆国へ島流しにしました。
そしたら、「罪の大小を調べるべきではないでしょうか。性急に決定し過ぎるのでは。」と平民部烝盛時が和田左衛門尉義盛を通して、盛んに泣き付きました。「罪を犯した事は、双方とも逃れられないことだろう。」と直接平民部烝盛時に向かって話されました。
「他ではないんだぞ。今まさに羽を伸ばして遊びを楽しんでいるそばで、とんでもないことをしでかしたのだぞ。即断するに決まっているだろう。なんで、後日にまわす必要があるんだ。そなたも役職に有りながら、馬鹿を言っているんじゃない。とんでもない奴だ。」と何度もお叱りになられました。平民部烝盛時は口をつぐんで逃げ出してしまいましたとさ。

建久二年(1191)九月小廿六日壬申。雨降。哺時以降地震。良久〔矣〕。

読下し                      あめふ     ほのとき いこう  じしん ややひさ   〔や〕
建久二年(1191)九月小廿六日壬申。雨降る。哺時@以降、地震。良久し〔矣〕

参考@哺時は、哺は食べ物を口に含む時。禅宗で座禅を組む時間に、午前中の早晨・午後の哺時・日没の黄昏・深夜の除夜とある。

現代語建久二年(1191)九月小二十六日壬申。雨降りです。昼飯以後に地震がありました。久しぶりです。

建久二年(1191)九月小廿九日乙亥。北條殿室家上洛。是爲奉幣氏神云々。幕下被遣種々餞物。又諸人同致丁寧沙汰云々。

読下し                      ほうじょうどのしつけ じょうらく   これ  うじがみ   ほうへい  ため  うんぬん  ばっか しゅしゅ  せんべつ  つか  さる
建久二年(1191)九月小廿九日乙亥。北條殿室家@上洛す。是、氏神Aに奉幣の爲と云々。幕下種々の餞物を遣は被る。

また  しょにんおな   ていねい  さた   いた    うんぬん
又、諸人同じく丁寧の沙汰を致すと云々。

参考@北條殿室家は、牧の方。
参考A
氏神は、牧三郎宗親は藤原氏とされるので、春日大社になる。

現代語建久二年(1191)九月小二十九日乙亥。北条時政殿の奥さん牧の方が、京都へ上られます。
これは、氏神様にお参りのためだそうです。頼朝様は色々なお餞別を届けさせました。また、他の方々も同様に丁寧な贈り物をしたそうです。

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