建仁二年壬戌(1202)十二月大
建仁二年(1202)十二月大十九日己未。雪降。積地七寸。將軍家爲覽鷹塲。令出山内庄給。入夜還御之處。知康候御共。而於龜谷邊。乘馬驚騒。沛艾之間。忽以落入舊井。然而存命。依之入御御所之後。賜小袖二十領於知康。 |
読下し ゆきふ ち つも しちすん しょうぐんけ たかば み ため やまのうちしょう いでせし たま
建仁二年(1202)十二月大十九日己未。雪降。地に積る七寸。
將軍家 鷹塲を覽ん爲、 山内庄 へ出令め給ふ。
よ い かんごのところ ともやすおんとも
そうら しか かめがやつへん をい じょうばおどろ さわ
はいかい のかん たちま もっ ふるいど おちい
夜に入り還御之處、知康御共に候う。而るに龜谷邊
に於て、乘馬驚き騒ぎ、沛艾する之間、忽ち以て舊井に落入る。
しかれども ぞんめい
これ よっ ごしょ にゅうぎょののち こそでにじうりょうを
ともやす たま
然而、存命す。之に依て御所へ入御之後、小袖二十領於知康に賜はる。
参考山内庄は、相模国最大の荘園で八条院領。鎌倉市北鎌倉、横浜市瀬谷区・泉区・戸塚区・栄区・藤沢市大鋸・港南区上下永谷。
現代語建仁二年(1202)十二月十九日己未。雪が降りました。地上に七寸(21cm)も積もりました。将軍頼家様は、鷹狩用の狩場を見るために、山内庄へお出かけになりました。夜になって帰ってくる時に、堤判官知康がお供におりました。それが、亀谷のあたりで、乗っている馬が何かに驚き駆けずり回っているうちに、あっという間に古井戸へ落ちました。しかし、命は大丈夫でした。こんなことがあったので、御所へ帰ると小袖二十着を知康にお与えになりました。
建仁二年(1202)十二月大廿四日甲子。夘剋地震。雪降。雷鳴兩三聲。 |
読下し うのこく ぢしん
ゆきふ らいめい りょうさんこえ
建仁二年(1202)十二月大廿四日甲子。夘剋地震。雪降る。雷鳴
兩三聲。
現代語建仁二年(1202)十二月二十四日甲子。卯の刻(午前六時頃)地震がありました。雪も降りました。雷が三度も鳴りました。