吾妻鏡入門第十七巻

建仁三年癸亥(1203)二月大

建仁三年(1203)二月大四日癸卯。辰尅。將軍家御舎弟〔千幡君〕令參鶴岳宮給。江馬四郎殿被奉扶持之。被奉神馬二疋。結城七郎朝光。所右衛門太郎光季引之。下手神人〔号職掌〕等也。午尅。有祭并御神樂。將軍家御參宮。御奉幣如例。

読下し                   たつのこく しょうぐんけ ごしゃてい 〔せんまんぎみ 〕 つるがおかぐう まい  せし  たま    えまのしろうどの これ   ふち  たてまつらる
建仁三年(1203)二月大四日癸卯。辰尅。將軍家 御舎弟〔千幡君@鶴岳宮へ參り令め給ふ。江馬四郎殿之を扶持し奉被る。

しんめ にひき たてまつらる   ゆうきのしちろうともみつ ところのうえもんたろうみつすえ これ  ひ     めて   じにん 〔しきしょう  ごう  〕   ら なり
神馬二疋を奉 被る。結城七郎朝光、 所右衛門太郎光季A之を引く。下手Bは神人〔職掌Cと号す〕等也。

うまのこく まつりなら   おかぐら あ     しょうぐんけごさんぐう  ごほうへいれい  ごと
午尅。祭并びに御神樂有り。將軍家御參宮。御奉幣例の如し。

参考@千幡君は、後の実朝。
参考A
所右衛門太郎光季は、義時の妻の弟。
参考B下手は、馬を引くときは手綱を左右に分け、前方に向かい左側が上手(弓手)、右が下手(女手・馬手)。
参考C
職掌は、雅楽を奏でる人。

現代語建仁三年(1203)二月大四日癸卯。辰の刻(午前八時頃)、将軍の弟君〔千幡君〕が、鶴岡八幡宮へお参りをされました。江間四郎北条義時様が手助けをしました。馬二頭を奉納しました。結城七郎朝光と所右衛門太郎光季がそれぞれの手綱の上手を引き、下手は神社に仕える人〔雅楽の演奏者〕でした。午の刻(昼頃)から祭とお神楽の奉納があり、将軍頼朝様がお参りをされました。幣の奉納は何時もの通りです。

建仁三年(1203)二月大五日甲辰。雨降。當彼岸初日。尼御臺所於鶴岳神宮寺。被供養法花經。導師安樂坊。請僧六口。以上絹紺絹各三十疋。奥布二百端。被宛施物。善信沙汰之。

読下し                   あめふ     ひがんしょにち  あた    あまみだいどころ つるがおか じんぐうじ  をい    ほけきょう   くようさる
建仁三年(1203)二月大五日甲辰。雨降る。彼岸初日に當り、 尼御臺所 鶴岳 神宮寺に於て、法花經を供養被る。

どうし   あんらくぼう  しょうそうむくち  じょうけん こんぎぬ おのおの さんじっぴき おくふにひゃくたん  もっ    せぶつ  あてらる    ぜんしんこれ  さた
導師は安樂坊。請僧六口。 上絹 紺絹 各 三十疋、奥布@二百端を以て、施物に宛被る。善信之を沙汰す。

参考@奥布は、おそらく奥州産の絹織物ではないか。第9巻文治5年(1189)915条に「安達絹」(福島県伊達川俣町の特産品)の名が一度だけ出ているので、それかもしれない。

現代語建仁三年(1203)二月大五日甲辰。雨降りです。お彼岸の初日なので、尼御台所政子様は鶴岡八幡宮の神宮寺で、法華経の奉納をされました。指導僧は安楽坊で、お供の坊さんは六人でした。上質の絹や紺色に染めた絹をそれぞれ三十匹、奥州産絹反物二百反をお布施にしました。大夫属入道三善善信が指図をしました。

建仁三年(1203)二月大十一日庚戌。鶴岳宮塔地曳始之。去建久三年炎上之後。無其沙汰。今日被興舊跡。將軍家出御。遠州。大官令等扈從。大夫屬入道爲惣奉行也。

読下し                    つるがおかぐう  とう  ぢびき これ はじ      さんぬ けんきゅうさんねん えんじょうののち  そ   さた な
建仁三年(1203)二月大十一日庚戌。鶴岳宮の塔の地曳之を始める。去る 建久三年 炎上@之後、其の沙汰無し。

きょう きゅうせき おこさる   しょうぐんけしゅつご えんしゅう だんかんれいらこしょう    たいふさかんにゅうどう そうぶぎょう  な   なり
今日舊跡を興被る。將軍家出御。遠州、大官令等扈從す。大夫屬入道 惣奉行を爲す也。

参考@建久三年炎上は、建久二年の間違い。三月四日の未明。

現代語建仁三年(1203)二月大十一日庚戌。鶴岡八幡宮の宝塔(又は三重塔)の基礎を地面に描く儀式を始めました。この塔は建久三年の大火事で燃えてしまってから、何もしませんでした。今日、その跡地を地慣らしをしました。将軍頼家様も立ち会いました。遠州北條時政、大官令大江広元などがお供をし、大夫属入道三善善信が総指揮者なのです。

建仁三年(1203)二月大十六日乙夘。有御鞠。北條五郎。紀内。肥田八郎。源性。義印等參。

読下し                     おんまりあ    ほうじょうのごろう  きない  ひたのはちろう  げんしょう ぎいんら さん
建仁三年(1203)二月大十六日乙夘。御鞠有り。北條五郎、紀内、肥田八郎、源性、義印等參ず。

現代語建仁三年(1203)二月大十六日乙卯。蹴鞠がありました。北条五郎時房・紀内所行景・肥多八郎宗直・大輔房源性・加賀房義印が参加しました。

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