吾妻鏡入門第十八巻

建仁四年甲子(1204)十二月大

元久元年(1204)十二月大十日戊戌。御臺所御下着云々。

読下し                     みだいどころ  おんげちゃく   うんぬん
元久元年(1204)十二月大十日戊戌。御臺所、御下着すと云々。

現代語元久元年(1204)十二月大十日戊戌。将軍実朝様の妻となる御台所坊門姫が、到着されましたとさ。

元久元年(1204)十二月大十七日甲辰。將軍家入御前大膳大夫廣元朝臣家云々。

読下し                       しょうぐんけ  さきのだいぜんだいぶひろもとあそん  いえ  にゅうぎょ   うんぬん
元久元年(1204)十二月大十七日甲辰。將軍家、 前大膳大夫廣元朝臣 の家へ入御すと云々。

現代語元久元年(1204)十二月大十七日甲辰。将軍実朝様は、前大膳大夫大江広元の家へおいでになられましたとさ。

元久元年(1204)十二月大十八日乙巳。爲尼御臺所御願被圖繪七觀音像。去比自南都到着。今日於彼御方被遂供養。導師金剛壽福寺方丈葉上坊。願文仲章朝臣草之。將軍家爲御結縁渡御云々。

読下し                       あまみだいどころ  ごがん  な   しちかんのんぞう  ずえ さる    さんぬ ころ  なんとよ   とうちゃく
元久元年(1204)十二月大十八日乙巳。尼御臺所の御願と爲し七觀音像を圖繪被る。去る比、南都自り到着す。

きょう   か   おんかた  をい  くよう   と   らる    どうし   こんごうじゅふくじほうじょうようじょうぼう  がんもん なかあきらあそん これ  そう
今日、彼の御方に於て供養を遂げ被る。導師は金剛壽福寺方丈葉上坊。願文は仲章朝臣 之を草す。

しょうぐんけ  ごけちえん  ためとぎょ    うんぬん
將軍家、御結縁の爲渡御すと云々。

現代語元久元年(1204)十二月大十八日乙巳。尼御台所政子様の祈願で七観音像を描かせました。それが先だって奈良から届きました。今日、尼御台所政子様の屋敷で開眼供養の式を行いました。指導僧は、金剛寿福寺の住職葉上坊律師栄西です。仏への願を書いた願文は、源仲章様が考案しました。実朝様は御仏との縁を結ぶため参られましたとさ。

元久元年(1204)十二月大廿二日己酉。御臺所御方祗候男女數輩。拝領地頭職云々。

読下し                       みだいどころのおんかた しこう  なんにょすうやから ぢとうしき  はいりょう  うんぬん
元久元年(1204)十二月大廿二日己酉。 御臺所御方 に祗候の男女數輩、地頭職を拝領すと云々。

現代語元久元年(1204)十二月大二十二日己酉。御台所坊門姫に仕え、共に来た家来の男女数人が、地頭職を貰いましたとさ。

元久二年(1205)乙丑正月へ

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