吾妻鏡入門第十八巻

元久二年乙丑(1205)正月大

元久二年(1205)正月大一日己未。遠州被獻垸飯并御馬御劔以下。
其役人
 御劔         小山左衛門尉
 御弓征箭       三浦兵衛尉
 御行騰沓       足立左衛門尉
 御馬五疋
  一疋 佐原太郎   長井太郎
  一疋 筑後六郎   同九郎
  一疋 足立八郎   春日部二郎
  一疋 長沼五郎   結城七郎
  一疋 相馬五郎   東平太

読下し                    えんしゅう おうばんなら   おんうま  ぎょけん いか  けん  らる
元久二年(1205)正月大一日己未。遠州、垸飯并びに御馬、御劔以下を獻ぜ被る。

 そ  えき  ひと
其の役の人

  ぎょけん                   おやまのさえもんのじょう
 御劔         小山左衛門尉

  おんゆみ   そや              みうらのひょうえのじょう
 御弓、征箭      三浦兵衛尉

  おんむかばき くつ             あだちのさえもんのじょう
 御行騰、沓      足立左衛門尉

  おんうま ごひき
 御馬五疋

    いっぴき  さはらのたろう      ながいのたろう
  一疋 佐原太郎   長井太郎

    いっぴき  ちくごのろくろう      おなじきくろう
  一疋 筑後六郎   同九郎

    いっぴき  あだちのはちろう     かすかべのじろう
  一疋 足立八郎   春日部二郎

    いっぴき  ながぬまのごろう     ゆうきのしちろう
  一疋 長沼五郎   結城七郎

    いっぴき  そうまのごろう       とうのへいた
  一疋 相馬五郎   東平太

現代語元久二年(1205)正月大一日己未。遠江守北条時政殿が将軍に御馳走を献じる垸飯と引き出物の馬や剣などを献上しました。
その役をする人は、
 御剣      小山左衛門尉朝政。
 弓と戦闘用の矢 三浦平六兵衛尉義村。
 行縢と沓    足立左衛門尉遠元。
 馬五頭を引いたのは、
  一頭目が 佐原太郎経連   長井太郎。
  二頭目が 筑後六郎八田知尚 同じ筑後九郎八田知氏。
  三頭目は 足立八郎元春   春日部二郎。
  四頭目は 長沼五郎宗政   結城七郎朝光。
  五頭目は 相馬五郎義胤   東平太重胤。

元久二年(1205)正月大三日辛酉。千葉介献垸飯。其後有御弓始之儀。射手六人。二五度射之。
 一番  和田平太   藤澤四郎
 二番  佐々木小三郎 市河五郎
 三番  筑後六郎   荻野次郎

読下し                    ちばのすけ  おうばん  けん    そ   ご   おんゆみはじめのぎあ     いて ろくにん  ふたごどこれ  い
元久二年(1205)正月大三日辛酉。千葉介、垸飯を献ず。其の後、御弓始之儀有り。射手六人。二五度之を射る。

  いちばん    わだのへいた      ふじさわのしろう
 一番  和田平太   藤澤四郎

   にばん    ささきのこさぶろう    いちかわのごろう
 二番  佐々木小三郎 市河五郎

  さんばん    ちくごのろくろう      おぎののじろう
 三番  筑後六郎   荻野次郎

現代語元久二年(1205)正月大三日辛酉。千葉介胤正が将軍に御馳走を献じる垸飯などを献上しました。そのあと、新年初めて弓を射る弓始め式があり、射る人は六人。一人2本づつ5回射ました。

 一番 和田平太胤長   対 藤沢四郎清親
 二番 佐々木小三郎盛季 対 市河五郎行重
 三番 筑後六郎八田知尚 対 荻野次郎景員

元久二年(1205)正月大四日壬戌。將軍家渡御尼御臺所御方。有御引出物等云々。

読下し                    しょうぐんけ  あまみだいどころ おんかた とぎょ    おんひきでものら あ     うんぬん
元久二年(1205)正月大四日壬戌。將軍家、尼御臺所の御方に渡御す。御引出物等有りと云々。

現代語元久二年(1205)正月大四日壬戌。将軍実朝様が、尼御台所政子様のところへ訪問しました。引き出物があったそうです。

疑問引き出物は、将軍が政子へか?政子から将軍へ結婚祝いか?それとも母からのお年玉か?

元久二年(1205)正月大五日癸亥。將軍家令敍正五位下給。

読下し                    しょうぐんけ  しょうごいげ   じょせし  たま
元久二年(1205)正月大五日癸亥。將軍家、正五位下に敍令め給ふ。

現代語元久二年(1205)正月大五日癸亥。将軍実朝様は、正五位下に任命されました。

元久二年(1205)正月大八日丙寅。御所心經會。導師眞智坊隆宣。御馬已下施物濟々〔焉〕。

読下し                    ごしょ   しんぎょうえ  どうし  しんちぼうりゅうせん  おんうま いか せぶつ さいさい 〔をはんぬ〕
元久二年(1205)正月大八日丙寅。御所の心經會。導師は眞智坊隆宣。御馬已下施物濟々〔焉〕

現代語元久二年(1205)正月大八日丙寅。御所で般若心経を唱える儀式です。指導僧は、真智坊隆宣。馬を始めとするお布施がいっぱいです。

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