元久二年乙丑(1205)三月大
元久二年(1205)三月大一日戊午。將軍家渡御壽福寺方丈。并若宮別當坊。或談法文。或令翫蹴鞠給云々。親廣。季時以下供奉云々。 |
読下し
しょうぐんけ じゅふくじほうじょうなら
わかみやべっとう とぎょ
元久二年(1205)三月大一日戊午。將軍家、壽福寺方丈并びに若宮別當坊へ渡御す。
ある ほうもん だん ある けまり もてあそ せし たま うんぬん ちかひろ すえとき いか ぐぶ うんぬん
或ひは法文を談じ、或ひは蹴鞠を翫ば令め給ふと云々。親廣、季時以下供奉すと云々。
現代語元久二年(1205)二月小三月大一日戊午。将軍実朝様は、寿福寺の住職の居所方丈と鶴岡八幡宮筆頭の部屋へ行かれました。仏法を聞いたり、蹴鞠を遊んだりしました。源右近将監親広・右京進中原季時達がお供をしましたとさ。
元久二年(1205)三月大十二日己巳。諸庄園乃貢濟期事。雖被定之。動及對捍之間。向後。或随遠近國。被儲其期云々。宗掃部允奉行云々。 |
読下し
しょしょうえん のうぐ さいき こと これ さだ らる いへど ややもすれ たいかん およ のかん
元久二年(1205)三月大十二日己巳。諸庄園の乃貢の濟期の事、之を定め被ると雖も、 動ば 對捍に及ぶ之間、
きょうご ある くに えんきん したが
そ ご もう らる うんぬん そうかもんのじょう ぶぎょう うんぬん
向後は、或ひは國の遠近に随ひ、其の期を儲け被ると云々。宗掃部允、奉行すと云々。
現代語元久二年(1205)三月大十二日己巳。あちこちの荘園の年貢の納期については、これが決められているのに、どうかすると滞納をするので、今後は、国の遠い近いによって、その納期をお決めになられましたとさ。宗掃部允孝尚が担当しましたとさ。
元久二年(1205)三月大十六日癸酉。自坊門殿。扇三十本。櫛箱等被送進之云々。 |
読下し
ぼうもんどのよ おおぎさんじっぽん くしばこらこれ おく しん らる うんぬん
元久二年(1205)三月大十六日癸酉。坊門殿自り、扇三十本、櫛箱等之を送り進じ被ると云々。
現代語元久二年(1205)三月大十六日癸酉。坊門信C様から、扇三十本と櫛箱が送られてきましたとさ。
元久二年(1205)三月大廿五日壬午。勝長壽院領上総國菅生庄十二ケ郷事。今日被中分之。以六郷爲別當分。割六郷給供僧中云々。 |
読下し しょうちょうじゅいんりょう かずさのくに
すがおのしょう じうにかごう こと きょう これ ちうぶんさる
元久二年(1205)三月大廿五日壬午。勝長壽院領の上総國 菅生庄@
十二ケ郷の事、今日之を中分被る。
ろくごう もっ べっとうぶん な ろくごう さい ぐそうちう たま うんぬん
六郷を以て別當分と爲し、六郷を割て供僧中に給ふと云々。
参考@菅生庄は、千葉県木更津市菅生に菅生神社あり。
現代語元久二年(1205)三月大二十五日壬午。勝長寿院の領地の上総国菅生庄の十二郷については、今日半分分けしました。六郷を筆頭の分とし、残り六郷をお供の坊さん達の分として与えましたとさ。