吾妻鏡入門第十八巻

建永元年丙寅(1206)六月小

建永元年(1206)六月小十六日丙寅。左金吾將軍若君〔善哉公〕自若宮別當坊。渡御于尼御臺所御亭。有御着袴之儀。將軍家入御彼御方。相州御息等被候陪膳。

読下し                      さきんごしょうぐん   わかぎみ 〔ぜんさいぎみ〕 わかみやべようぼうよ    あまみだいどころ おんていにとぎょ
建永元年(1206)六月小十六日丙寅。左金吾將軍が若君〔善哉公〕@若宮別當坊自り、尼御臺所の御亭于渡御す。

ごちゃっこ の ぎ あ     しょうぐんけ  か  おんかた  にゅうぎょ   そうしゅう おんそくら ばいぜん そうら らる
御着袴之儀有り。將軍家、彼の御方へ入御す。相州が御息等陪膳に候は被る。

参考@若君〔善哉公〕は、後の公暁。

現代語建永元年(1206)六月小十六日丙寅。左金吾将軍頼家様の若君〔善哉君〕が、鶴岡八幡宮の長官定暁の房から、尼御台所政子様の屋敷へお出かけになりました。袴を初めてはく着袴の儀式をしました。将軍実朝様も、その屋敷へお入りになられました。相州義時の息子たちがお給仕を勤めました。

建永元年(1206)六月小廿日庚午。鶴岳宮臨時祭。將軍家御參宮。

読下し                   つるがおか  りんじさい   しょうぐんけ  ごさんぐう
建永元年(1206)六月小廿日庚午。鶴岳宮の臨時祭。將軍家、御參宮。

現代語建永元年(1206)六月小二十日庚午。鶴岡八幡宮の臨時のお祭りです。将軍実朝様もお参りです。

建永元年(1206)六月小廿一日辛未。於御所南庭覽相撲。相州。大官令等被候。上南面御簾。其後各進庭中央。决勝負。朝光奉行之。向後可奉行相撲事由云々。
   〔三浦〕
 一番   高井太郎        三毛大藏三郎〔鎭西住人〕
    〔持〕
 二番   波多野五郎義景     大野藤八
 三番   廣瀬四郎助弘〔相州侍〕 石井次郎〔義盛近親侍〕
有祿物。兼被置于廊根妻戸間。羽色革。砂金等積之。事終後。左右賜之。不論勝負。悉以被下之。負方雖逐電。被召返之云々。

読下し                      ごしょ   なんてい をい  すまい  み    そうしゅう だいかんれいらそうら られ  なんめん おんみす あ
建永元年(1206)六月小廿一日辛未。御所の南庭に於て相撲を覽る。相州、大官令等候は被、南面の御簾を上げる。

そ   ご  おのおの にわ  ちうおう  すす    しょうぶ  けっ    ともみつこれ  ぶぎょう    きょうご    すまい  こと  ぶぎょうすべ    よし  うんぬん
其の後、各 庭の中央に進み、勝負を决す。朝光之を奉行す。向後は、相撲の事を奉行可しの由と云々。

  いちばん     たかいのたろう 〔みうら〕               みけのおおくらさぶろう 〔ちんぜいじうにん〕
 一番   高井太郎〔三浦〕      三毛大藏三郎〔鎭西住人〕(三池)

   にばん      はたののごろうよしかげ  〔もち〕          おおののとうはち
 二番   波多野五郎義景〔持〕    大野藤八 (引き分け)

  さんばん      ひろせのしろうすけひろ 〔そうしゅう さむらい〕   いわいのじろう 〔よしもり きんしん さむらい〕
 三番   廣瀬四郎助弘〔相州の侍〕  石井次郎@〔義盛が近親の侍〕(先書が勝)

ろくぶつあ     かね  ろうね   つまどに おかれ   あいだ  はね  いろかわ  さきんら これ  つ     ことおわ    のち   そう  これ  たま
祿物有り。兼て廊根の妻戸A于置被るの間、羽、色革、砂金等之を積む。事終るの後、左右に之を賜はる。

しょうぶ  ろんぜず ことごと もっ これ  くださる    まけかた  ちくてん   いへど   これ  めしかえさる    うんぬん
勝負を論不、悉く以て之を下被る。負方、逐電すと雖も、之を召返被ると云々。

参考@石井次郎は、安房岩井郷出身。千葉県南房総市市部に岩井駅、岩井郵便局、岩井小学校に名が残る。
参考
A
妻戸は扉。他に蔀戸・遣戸。

現代語建永元年(1206)六月小二十一日辛未。(将軍実朝様は)御所の南の庭で相撲を見ました。相州義時、大官令大江広元がお付き合いをなされ、南側の御簾を上げました。それから、力士たちがそれぞれ庭の中央に出ては、相撲を取りました。結城七郎朝光が担当です。今後は彼が相撲については仕切るようにとのおぼしめしだそうな。
 一番目は、高井太郎〔三浦當〕(勝)   対 三池大蔵三郎敦種〔九州の人〕
 二番目は、波多野五郎義景〔引き分け〕  対 大野藤八
 三番目は、広瀬四郎助弘〔相模の侍〕(勝)対 石井次郎〔和田義盛の親戚の侍〕
褒美がありました。前もって廊下の隅の扉戸においておかれたのは、鷲の羽・色染の皮・砂金などが積まれていました。勝負が終わって左右の力士にこれを与えました。勝負の勝ち負けにこだわらず、すべてに与えました。負けて立ち退いてた者も、呼び戻して与えましたとさ。

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