建永元年丙寅(1206)十一月小
建永元年(1206)十一月小十八日乙未。東平太重胤自下総國參上。是無双近仕也。而給白地之暇。下向之處。在國及數月。仍遣御詠歌。雖被召之。猶以遲參之間。蒙御氣色籠居云々。 |
読下し とうのへいたしげより しもふさのくによ さんじょう これ むそう きんじなり
建永元年(1206)十一月小十八日乙未。東平太重胤、
下総國自り參上す。是、無双の近仕也。
しか あからさまのいとま
たま げこうのところ ざいこくすうげつ
およ
而るに白地@之暇を給はり、下向之處、在國數月に及ぶ。
よっ
ごえいか つか
これ めさ いへど なおもっ
ちさんのあいだ みけしき こうむ
ろうきょ うんぬん
仍て御詠歌を遣はし、之を召被ると雖も、猶以て遲參之間、御氣色を蒙り籠居すと云々。
参考@白地は、突然に。
現代語建永元年(1206)十一月小十八日乙未。東平太重胤、 下総国からやって参りました。この人は、並ぶもののない将軍実朝様にお仕えするお気に入りです。それが突然に休暇を取って国元へ帰ってしまい、数か月にもなるのです。それなので将軍実朝様は和歌を送って、出仕を催促しましたが、尚もまだ遅れてこないので、将軍実朝様は怒ってしまい、東平太重胤は仕方なく家にこもっておったんだそうな。
建永元年(1206)十一月小廿日丁酉。佐々木五郎義C。可令奉行御出之事由承之云々。 |
読下し ささきのごろうよしきよ ぎょしゅつのこと
ぶぎょうせし べ よし これ うけたまは
うんぬん
建永元年(1206)十一月小廿日丁酉。佐々木五郎義C@、御出之事を奉行令む可しの由、之を承ると云々。
参考@佐々木五郎義Cは、佐々木源三秀義が澁谷庄司重國の娘に産ませた子。上に太郎定綱、次郎經高、三郎盛綱、四郎高綱がいる。
現代語建永元年(1206)十一月小二十日丁酉。佐々木五郎義清は、将軍実朝様の外出行事について、担当指揮をするように命じられ承知しましたとさ。