吾妻鏡入門第十九巻

承元三年己巳(1209)七月

承元三年(1209)七月大五日丙申。將軍家依御夢想。被奉二十首御詠歌於住吉社。内藤右馬允知親〔好士也。定家朝臣門弟〕爲御使。以此次。去建永元年御初學之後御歌撰卅首。爲合點。被遣定家朝臣也。

読下し                    しょうぐんけ   ごむそう   よっ    にじっしゅ   ごえいか を すみよししゃ たてまつらる
承元三年(1209)七月大五日丙申。將軍家、御夢想に依て、二十首の御詠歌於住吉社へ奉被る。

ないとううまのじょうともちか 〔 こうしなり    ていかあそん    もんてい 〕 おんしたり
内藤右馬允知親〔好士也。定家朝臣が門弟〕御使爲。

こ  ついで  もっ    さんぬ けいえいがんねん おんしょがくののち  おんうたさんじっしゅ えら   がってん  ため  ていかあそん  つか  さる  なり
此の次を以て、去る 建永元年 御初學之後の 御歌 卅首を撰び、合點@の爲、定家朝臣Aに遣は被る也。

参考@合點は、本来、土地台帳の文字と面積を確認した際に点を打つ農業用語であった。この場合は先生に評価して貰う事。
参考A定家朝臣は、和歌の名人で明月記を残した藤原定家(ていか)である。

現代語承元三年(1209)七月大五日丙申。将軍実朝様は、夢のお告げによって、二十首の和歌を住吉大社へ奉納しました。内藤右馬允知親〔お気に入りの藤原定家の門弟です〕が使いです。このついでに、去る建永元年(1206)に習い始めたばかりの頃の和歌三十首をえらんで、師匠の藤原定家に評価をしてもらうため持って行かせました。

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