吾妻鏡入門第十九巻

承元五年辛未(1211)正月

承元五年(1211)正月大一日乙酉。相州被進垸飯。武州持參御釼。遠江大夫將監親廣爲御調度役人。結城左衛門尉朝光持參御行騰云々。

読下し                   そうしゅう  おうばん  すす  らる    ぶしゅう  ぎょけん  じさん
承元五年(1211)正月大一日乙酉。相州、垸飯を進め被る。武州、御釼を持參す。

とおとうみのたいふしょうげんちかひろ ごちょうど  えき  ひとたり  ゆうきのさえもんのじょうともみつ おんむかばき  じさん    うんぬん
 遠江大夫將監親廣、 御調度の役の人爲。 結城左衛門尉朝光、御行騰を持參すと云々。

現代語承元五年(1211)正月大一日乙酉。相州義時様が、将軍への御馳走を振る舞いました。相州からの献上品の刀を武州時房が持って来て、遠江大夫将監源親広が弓矢を持ってくる役で、結城左衛門尉朝光が行縢(ローハイド)を持ってきましたとさ。

承元五年(1211)正月大二日丙戌。前大膳大夫廣元朝臣沙汰進垸飯。御釼親廣云々。

読下し                   さきのだいぜんだいぶひろもとあそん  さた  おうばん  しん    ぎょけん  ちかひろ  うんぬん
承元五年(1211)正月大二日丙戌。前大膳大夫廣元朝臣の沙汰で垸飯を進ず。御釼は親廣と云々。

現代語承元五年(1211)正月大二日丙戌。前大膳大夫大江広元が手配した御馳走のふるまいです。刀は源親広が持ってきましたとさ。

承元五年(1211)正月大三日丁亥。垸飯。小山左衛門尉朝政沙汰之。結城左衛門尉朝光持參御釼。今日及御前盃酒。有延年等。相州被賜御布衣。其外武州等同及御引出物云々。

読下し                   おうばん おやまのさえもんんじょうともまさ  これ   さた    ゆうきのさえもんのじょうともみつ  ぎょけん  じさん
承元五年(1211)正月大三日丁亥。垸飯。小山左衛門尉朝政、之を沙汰す。結城左衛門尉朝光、御釼を持參す。

きょう   ごぜん  はいしゅ  およ    えんねんら あ    そうしゅう  おんほうい たま  らる    そ  ほか ぶしゅうら  おな    おんひきでもの  およ    うんぬん
今日、御前で盃酒に及ぶ。延年等有り。相州、御布衣を賜は被る。其の外武州等、同じく御引出物に及ぶと云々。

現代語承元五年(1211)正月大三日丁亥。将軍への御馳走を振る舞いは、小山左衛門尉朝政が手配しました。結城七郎朝光は刀を持ってきました。今日は、将軍実朝様の前で宴会となり、延年の舞など芸の披露がありました。相州義時様は、将軍実朝様から狩衣を戴きました。その他、武州時房達にも引き出物が与えられましたとさ。

承元五年(1211)正月大九日癸巳。有御弓始之儀。
 射手
  一番 和田平太  市河五郎
  二番 海野小太郎 愛甲三郎
  三番 工藤小二郎 藤澤四郎

読下し                   おんゆみはじめのぎ あ
承元五年(1211)正月大九日癸巳。御弓始之儀 有り。

   いて
 射手

    いちばん  わだのへいた    いちかわのごろう
  一番 和田平太  市河五郎

     にばん  うんののこたろう   あいこうのさぶろう
  二番 海野小太郎 愛甲三郎

    さんばん  くどうのこじろう    ふじさわのしろう
  三番 工藤小二郎 藤澤四郎

現代語承元五年(1211)正月大九日癸巳。正月初めて弓を射る儀式の弓始めがありました。
 射手は
  一番が、和田平太胤長  市河五郎行重
  二番が、海野小太郎幸氏 愛甲三郎季隆
  三番は、工藤小次郎行光 藤沢四郎清親

承元五年(1211)正月大十日甲午。リ。政所問註所吉書始也。行光。善信各參行之。今日。橘三藏人被加問註所衆。

読下し                   はれ  まんどころ もんちうじょ  きっしょはじめなり  ゆきみつ  ぜんしん おのおの まい これ おこな
承元五年(1211)正月大十日甲午。リ。政所、問註所の 吉書始也。 行光、 善信 各、 參り之を行う。

きょう   きつざくらんどもんちうじょ  しょう  くは  らる
今日、橘三藏人問註所の衆に加へ被る。

現代語承元五年(1211)正月大十日甲午。晴れです。政務事務所の政所、裁判所の問注所の御用始の縁起の良い文書を書く儀式です。二階堂行光・三善善信がそれぞれへ来て行いました。今日、橘三蔵人が問注所の役人に加えられました。

承元五年(1211)正月大十五日己亥。霽。將軍家御行始。入御相州御亭。前大膳大夫已下扈從濟々焉。朝光役御釼。

読下し                     はれ  しょうぐんけ みゆきあじめ  そうしゅう おんてい にゅうぎょ
承元五年(1211)正月大十五日己亥。霽。將軍家 御行始。 相州の御亭へ入御す。

さきのだいぜんだいぶいか こしょうさいさいたり  ともみつぎょけん  えき
前大膳大夫已下の扈從 濟々焉。朝光御釼を役す。

現代語承元五年(1211)正月大十五日己亥。晴れました。将軍実朝様様の新年の外出始めで、相州義時様の屋敷へ行かれました。大江広元を始めとするお供が大勢です。結城朝光が刀持ちの役です。

承元五年(1211)正月大十六日庚子。リ。京都使者參。去五日將軍家令敍正三位給云々。

読下し                     はれ  きょうと  ししゃまい    さんぬ いつか しょうぐんけ しょうさんみ  じょせし  たま    うんぬん
承元五年(1211)正月大十六日庚子。リ。京都の使者參る。去る五日將軍家、正三位に敍令め給ふと云々。

現代語承元五年(1211)正月大十六日庚子。晴れです。京都からの使いが来ました。先日の五日に将軍実朝様は正三位に任命されたんだそうです。

承元五年(1211)正月大廿七日辛亥。霽。寅尅太地震。今朝日無光陰。其色赤黄也。

読下し                     はれ とらのこくはなは ぢしん   けさ   にっこう かげな   そ   いろあかきなり
承元五年(1211)正月大廿七日辛亥。霽。寅尅太だ地震。今朝の日光陰無し。其の色赤黄也。

現代語承元五年(1211)正月大二十七日辛亥。寅の刻(午前四時頃)大きな地震です。今朝の太陽は影が出来ません。その色は赤みがかった黄色です。

承元五年(1211)正月大廿八日壬子。小雨降。京都使者參。去十八日將軍家令兼美作權守給云々。

読下し                      こさめふ     きょうと  ししゃまい    さんぬ じうはちにちしょうぐんけ  みまさかごんのかみ かねせし  たま   うんぬん
承元五年(1211)正月大廿八日壬子。小雨降る。京都の使者參る。去る十八日將軍家、 美作權守 を兼令め給ふと云々。

現代語承元五年(1211)正月大二十八日壬子。小雨が降りました。京都の使いが来て、先日の十八日に将軍実朝様は、美作の臨時国司の権守に兼任になったんだそうです。

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