吾妻鏡入門第十九巻

承元五年辛未(1211)二月小

承元五年(1211)二月小四日丁亥。將軍家并御臺所被行御祈。泰貞奉仕熒惑星祭二座。中民部大夫仲業爲奉行。三浦平六兵衛尉義村沙汰之。

読下し                    しょうぐんけなら  みだいどころ  おいのり おこなは   やすさだ けいこくせいさいふたざ  ほうし
承元五年(1211)二月小四日丁亥。將軍家并びに御臺所、御祈を行被る。泰貞、熒惑星祭二座を奉仕す。

なかのみんぶたいふなかなり ぶぎょう な    みうらのへいろくひょうえのじょうよしむら これ   さた
中民部大夫仲業、奉行と爲す。 三浦平六兵衛尉義村、 之を沙汰す。

現代語承元五年(1211)二月小四日丁亥。将軍実朝様と奥様の坊門姫の為のお祈りをしました。安陪泰貞が熒惑星(火星)の祭を二人分しました。中原民部大夫仲業が担当して、三浦平六兵衛尉義村が負担しました。

承元五年(1211)二月小八日辛夘。リ。鶴岳宮御神樂。臨時祭如例。右近大夫將監親廣爲奉幣御使。

読下し                   はれ つるがおかぐう  おかぐら  りんじさい れい  ごと    うこんたいふしょうげんちかひろ ほうへい  おんしたり
承元五年(1211)二月小八日辛夘。リ。鶴岳宮の御神樂、臨時祭例の如し。 右近大夫將監親廣 奉幣の御使爲。

現代語承元五年(1211)二月小八日辛卯。晴れです。鶴岡八幡宮へのお神楽の奉納はいつも通りです。源右近大夫将監親広が幣を捧げる代参です。

承元五年(1211)二月小廿二日乙巳。リ。將軍家御參鶴岳宮。朝光役御釼。去承元二年已來。依令憚御疱瘡之跡給無御出。今日始有此儀。

読下し                     はれ  しょうぐんけ つるがおかぐう ぎょさん   ともみつぎょけん えき
承元五年(1211)二月小廿二日乙巳。リ。將軍家、鶴岳宮へ御參す。朝光御釼を役す。

さんぬ じょうげんにねんいらい おんほうそうのあと  はばか せし たま    よっ    ぎょしゅつな    きょう はじ     かく  ぎ あ
去る承元二年已來、御疱瘡之跡を憚り令め給ふに依て、御出無し。今日始めて此の儀有り。

現代語承元五年(1211)二月小二十二日乙巳。晴れです。将軍実朝様は鶴岡八幡宮へお参りです。結城朝光が太刀持ちです。去る承元二年(1208)以来、疱瘡の跡を気にして外出をしませんでしたが、今日初めて出てきました。

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