吾妻鏡入門第廿二巻

建保二年甲戌(1214)正月小

建保二年(1214)正月小三日己巳。霽。午尅。將軍家御參鶴岡八幡宮。此間。由比濱人屋等燒失。申尅。又御參詣。先度御奉幣。依火事物忩之故也云々。

読下し                   はれ  うまのこく  しょうぐんけ つるがおかはちまんぐう まい  たま    こ  あいだ  ゆいがはま  じんおくらしょうしつ
建保二年(1214)正月小三日己巳。霽。午尅、將軍家、鶴岡八幡宮 へ參り御う。此の間、由比濱の人屋等燒失す。

さるのこく また ごさんけい  せんど  ごほうへい     かじ   よっ  ぶっそうのゆえなり  うんぬん
申尅、又御參詣。先度の御奉幣は、火事に依て物忩之故也と云々。

現代語建保二年(1214)正月小三日己巳。晴れました。午の刻(正午頃)将軍実朝様は、鶴岡八幡宮へお参りです。その間に由比ガ浜の人家が焼けました。申の刻(午後四時頃)に、又もやお参りです。前のお参りは火事のために騒がしかったので、お参りのやり直しだそうです。

建保二年(1214)正月小十二日戊寅。リ。御的始。二五度。射手各賜祿。

読下し                   はれ おんまとはじめ ふたごど   いて おのおの ろく  たま
建保二年(1214)正月小十二日戊寅。リ。御的始。二五度。射手が各、祿を賜はる。

現代語建保二年(1214)正月小十二日戊寅。晴れです。今年初めて弓を射る弓始式です。二本づつ五回射ました。射手の皆に褒美が出ました。

建保二年(1214)正月小廿二日戊子。霽。將軍家令詣鶴岳宮給〔御束帶。御車〕。伊賀守朝光役御釼。佐々木左近將監信綱懸御調度。相州。武州。前大膳大夫。修理亮。彈正大弼。遠江守親廣。藏人大夫朝親。民部大夫行光。刑部大夫經俊。山城判官行村。小山左衞門尉朝政。三浦左衛門尉義村。結城左衞門尉朝光等供奉。還御之後。被始二所御精進。

読下し                     はれ  しょうぐんけ つるおかぐう  もう  せし  たま     〔おんそくたい おくるま〕
建保二年(1214)正月小廿二日戊子。霽。將軍家、鶴岳宮へ詣で令め給ふ。〔御束帶。御車〕

いがのかみともみつぎょけん えき   ささきのさこんしょうげんのぶつな ごちょう   か
伊賀守朝光御釼を役す。佐々木左近將監信綱御調度を懸く。

そうしゅう ぶしゅう  さきのだいぜんだいぶ しゅりのすけ だんじょうだいひつ とおとうみのかみちかひろ くらんどたいふともちか みんぶのたうふゆきみつ
相州、武州、 前大膳大夫、 修理亮、 彈正大弼、 遠江守親廣、 藏人大夫朝親、民部大夫行光、 

ぎょうぶのたいふつねとし やましろのほうがんゆきむら おやまのさえもんのじょうともまさ みうらのさえもんのじょうよしむら  ゆうきのさえもんのじょうともみつら ぐぶ
刑部大夫經俊、山城判官行村、小山左衞門尉朝政、 三浦左衛門尉義村、 結城左衞門尉朝光等供奉す。

 かんごの のち   にしょ  ごしょうじん   はじ   らる
還御之後、二所の御精進を始め被る。

現代語建保二年(1214)正月小二十二日戊子。晴れました。将軍実朝様は、鶴岡八幡宮へお参りです。〔束帯で牛車〕伊賀守朝光が刀持ちです。佐々木左近将監信綱が弓矢をかついでいます。相州義時・武州時房・前大膳大夫大江広元・修理亮泰時・弾正大弼源仲章・遠江守源親広・美作蔵人大夫朝親・民部大夫二階堂行光・刑部大夫山内経俊・山城判官二階堂行村・小山左衛門尉朝政・三浦左衛門尉義村・結城左衛門尉朝光などがお供をしました。
帰ってから箱根走湯の二権現詣でための精進潔斎を始めました。

建保二年(1214)正月小廿八日甲午。快リ。將軍家二所御進發。

読下し                     かいせい  しょうぐんけにしょ  ごしんぱつ
建保二年(1214)正月小廿八日甲午。快リ。將軍家二所へ御進發。

現代語建保二年(1214)正月小二十八日甲午。快晴です。将軍実朝様、箱根神社・伊豆山神社の二所詣でに出発です。

建保二年(1214)正月小廿九日乙未。霽。御奉幣于筥根并三嶋社寺。

読下し                     はれ  はこねなら     みしましゃじ に ごほうへい
建保二年(1214)正月小廿九日乙未。霽。筥根并びに三嶋社寺于御奉幣。

現代語建保二年(1214)正月小二十九日乙未。晴れました。箱根神社と三島大社へ幣を捧げてお参りしました。

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