建保三年乙亥(1215)五月大
建保三年(1215)五月大五日癸巳。陰。鶴岳臨時祭。將軍家無御出。前大膳大夫廣元朝臣爲奉幣御使。 |
読下し くも つるがおか りんじまつり
しょうぐんけおんいでな さきのだいぜんだいぶひろもとあそんほうへい おんしたり
建保三年(1215)五月大五日癸巳。陰り。鶴岳の臨時祭。將軍家御出無し。前大膳大夫廣元朝臣奉幣の御使爲。
現代語建保三年(1215)五月大五日癸巳。曇りです。鶴岡八幡宮での端午の節句の臨時のお祭りです。将軍実朝様の出席はありません。大江広元さんが代参です。
建保三年(1215)五月大十二日庚子。將軍家令參證菩提寺給。是密儀也云々。 |
読下し しょぐんけ しょうぼだいじ
まい せし たま
これ みつぎなり うんぬん
建保三年(1215)五月大十二日庚子。將軍家、證菩提寺@へ參ら令め給ふ。是、密儀也と云々。
参考@證菩提寺は、神奈川県横浜市栄区上郷町1864。頼朝が石橋山合戦で戦死した佐那田余一義忠を祀る。
現代語建保三年(1215)五月大十二日庚子。将軍実朝様は、證菩提寺へお参りされました。これは、非公式の秘密のお参りだそうな。