吾妻鏡入門第廿二巻

建保三年乙亥(1215)十月大

建保三年(1215)十月大一日丙戌。相州被進桑糸五十疋。即於御前分賜近士等云々。

読下し                    そうしゅう さんし ごじっぴき  すす  られ   すなは  ごぜん  をい  きんじら   わ   たま      うんぬん
建保三年(1215)十月大一日丙戌。相州桑糸@五十疋を進め被る。即ち御前に於て近士等に分け賜はると云々。

参考@桑糸は、絹の布。

現代語建保三年(1215)十月大一日丙戌。義時さんは、絹糸五十匹(百反)を献上しました。すぐに将軍実朝様の面前でおそば近く仕える者たちに配布しましたとさ。

建保三年(1215)十月大二日丁亥。リ。寅刻地震。

読下し                    はれ  とらのこくぢしん
建保三年(1215)十月大二日丁亥。リ。寅刻 地震。

現代語建保三年(1215)十月大二日丁亥。晴れです。午前四時頃地震です。

建保三年(1215)十月大十日乙未。越後國檢断事。守護人相共可致沙汰之旨。西念承畢。

読下し                    えちごのくに  けんだん こと  しゅごにん あいとも   さた いた  べ   のむね  さいねん うけたまは をはんぬ
建保三年(1215)十月大十日乙未。越後國の檢断@の事、守護人A相共に沙汰致す可き之旨、西念B 承り 畢。

参考@檢断は、守護の権限で犯罪者の追捕処罰。
参考A守護人は、義時なので、越後加治庄地頭で長老の佐々木盛綱をたてているのか?
参考B
西念は、佐々木三郎盛綱で建久年間に守護をしている。

現代語建保三年(1215)十月大十日乙未。越後国の守護権限について、守護人義時さんと佐々木三郎盛綱が双方で取り決めるようにとの仰せを、佐々木三郎盛綱西念は承知をいたしました。

建保三年(1215)十月大卅日乙夘。霽。鶴岳濱鳥居被新造。去八月依大風顛倒之故也。相州。武州。匠作已下人々多以監臨給。及晩終其功。而足代顛倒之間。匠一人。疋夫二人被打損。是重服人々被相交故歟之由。別當供僧等申之云々。

読下し                    はれ つるがおか はま  とりい しんぞうさる   さんぬ はちがつ おおかぜ よっ てんとうの ゆえなり
建保三年(1215)十月大卅日乙夘。霽。鶴岳の濱の鳥居新造被る。去る八月 大風に依て顛倒之故也。

そうしゅう ぶしゅう  しょうさく いげ  ひとびとおお  もっ  かんりん  たま    ばん  およ  そ   こう  おえ
相州、武州、匠作已下の人々多く以て監臨し給ふ。晩に及び其の功を終る。

しか    あししろ てんとうのあいだ  たくみひとり  ひっぷふたり う   そん  られ
而るに足代@顛倒之間、 匠一人、疋夫二人打ち損じ被る。

これ ちょうぶく ひとびとあいまじ  れ   ゆえか のよし  べっとう   ぐそうら これ  もう     うんぬん
是、重服の人々A相交は被る故歟之由、別當、供僧等之を申すと云々。

参考@足代は、足場。
参考A
重服の人々は、義時で9月14日死亡の伊賀朝光は義弟になる。

現代語建保三年(1215)十月大三十日乙卯。晴れました。鶴岡八幡宮の浜の鳥居を新築しました。先達ての八月の大風で倒れたからです。相州義時さん・武州時房さん・修理亮泰時さんを始めとする多くの人々が見守っていました。晩になって完成しました。しかし、足場がひっくり返って、大工の親方一人と人足二人がけがをしました。これは、服喪中の人が来てるんじゃないかと八幡宮長官や坊主どもが騒ぎましたとさ。

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