吾妻鏡入門第廿二巻

建保四年丙子(1216)十月大

建保四年(1216)十月大五日甲刀。將軍家令聞諸人庭中言上事給。海野左衛門尉幸氏申上野國三原堺以下事云々。

読下し                    しょうぐんけ  しょにんていちう  ごんじょう こと  き   せし  たま
建保四年(1216)十月大五日甲寅。將軍家、諸人庭中に言上の事を聞か令め給ふ。

うんののさえもんのじょうゆきうじ こうづけのくに みはら さかい いげ   こと  もう    うんぬん
海野左衛門尉幸氏、 上野國 三原@堺 以下の事を申すと云々。

参考@三原は、群馬県吾妻郡嬬恋村大字三原かもしれない。

現代語建保四年(1216)十月大五日甲寅。将軍実朝様は、御家人達が庭に来て苦情等を言上するのを聞きました。海野左衛門尉幸氏は、上野国三原の境界争いなどの事を言上しましたとさ。

建保四年(1216)十月大廿九日戊刀。リ。將軍家爲御願。於鶴岡北斗堂。有一切經供養。導師三位僧都定曉。將軍家御出。御臺所御同車也。相州扈從。陸奥守廣元朝臣爲今日奉行。

読下し                      はれ  しょうぐんけ  ごがん  な    つるがおあか ほくとどう  をい    いっさいきょう  くよう あ
建保四年(1216)十月大廿九日戊寅。リ。將軍家の御願と爲し、鶴岡の北斗堂に於て、一切經の供養有り。

どうし   さんみそうづていぎょう しょうぐんけおんいで みだいどころごどうしゃなり  そうしゅうこしょう   むつのかみひろもとあそん きょう  ぶぎょうたり
導師は三位僧都定曉。將軍家御出。御臺所御同車也。相州扈從す。陸奥守廣元朝臣今日の奉行爲。

現代語建保四年(1216)十月大二十九日己寅。晴れです。将軍実朝様の祈願として、鶴岡八幡宮の北斗堂で一切経をあげる法要をしました。指導僧は、三位僧都定暁。将軍実朝様もお出まし。奥さんの坊門姫も一緒に牛車に乗りました。義時さんがお供しました。大江広元さんは今日の仕切です。

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