吾妻鏡入門第廿三巻

建保五年丁丑(1217)八月小

建保五年(1217)八月小十五日庚申。霽。鶴岳放生會。將軍家御出如例。還御之後。望明月。守庚申。有當座和歌御會。

読下し                     はれ つるがおか ほうじょうえ  しょうぐんけ おんいでれい ごと
建保五年(1217)八月小十五日庚申。霽。鶴岳の放生會。將軍家、御出例の如し。

かんごの のち  めいげつ  のぞ    こうしん  まも    とうざ    わか   おんえ あ
還御之後、明月に望み、庚申を守り@當座の和歌の御會有り。

参考@庚申を守りは、庚申の晩に口を開いて寝ていると、身体の中に住む三尸虫が抜け出て、天帝に日頃の行状を言いつけ、命が縮むと云われるので、寝ないために皆で講を組み、一晩中仏事をする。後に宴を催し、その費用を積み立てたのが庚申講である。

現代語建保五年(1217)八月小十五日庚申。晴れました。鶴岡八幡宮での供養のため、捕らえられた生き物を放してやる儀式放生会です。将軍実朝様の出席は何時もの通りです。お帰りの後、名月なので、庚申の眠っちゃいけない風習を守って居る人で和歌の会をやりました。

建保五年(1217)八月小十六日辛酉。リ。御出同昨日。尼御臺所并御臺所爲御見物令出馬塲棧敷給。

読下し                     はれ  おんいで さくじつ おな   あまみだいどころ なら   みだいどころ  ごけんぶつ ため ばば   さじき  いでせし  たま
建保五年(1217)八月小十六日辛酉。リ。御出 昨日に同じ。尼御臺所 并びに御臺所、御見物の爲馬塲の棧敷に出令め給ふ。

現代語建保五年(1217)八月小十六日辛酉。晴れです。将軍実朝様の鶴岡八幡宮の儀式への出席は昨日と同じです。
尼御台所政子様と坊門姫は、流鏑馬などの奉納を見物するために馬場の桟敷へおいでです。

建保五年(1217)八月小廿五日庚午。雨降。山城廷尉自京都歸參。 院御惱事。自七月十日。連日御瘧病也。有智高僧面々雖勵修驗。無御減之儀。而同廿五日。前陰陽博士道昌於赤山修泰山府君祭。翌日御平愈。仍道昌被聽 勅勘云々。是去二月。於廣瀬殿。白虹出見之由。道昌奏聞之處。傍輩等依不伺之歟。非白虹之旨。依令言上。被止所職云々。

読下し                     あめふる  やましろていい きょうとよ   きさん    いん  ごのう  こと   しちがつとおかよ    れんじつ おんおこりやまいなり
建保五年(1217)八月小廿五日庚午。雨降。山城廷尉京都自り歸參す。院の御惱の事、七月十日自り、連日 御瘧病也。

ち あ   こうそう  めんめん しゅげん  はげ   いへど   ごげん な   の ぎ   しか    おな   にじうごにち  さきのおんみょうはくじみちあき
智有る高僧、面々に修驗に勵むと雖も、御減無き之儀、而して同じき廿五日、 前陰陽博士道昌、

せきざん  をい  たいさんふくんさい  しゅう   よくじつ ごへいゆ  よっ  みちあきちょかん ゆるされ   うんぬん
 赤山@に於て泰山府君祭Aを修す。翌日御平愈。仍て道昌勅勘を聽被るBと云々。

これさんぬ にがつ  ひろせどの  をい   はくこう しゅつげんのよし みちあきそうもんのところ
是去る二月、廣瀬殿に於て、白虹C出見之由、道昌奏聞之處、

ぼうはいら これ  うかが ざる  よっ  か  はっこうあらずのむね  ごんじょうせし   よっ    しょしき  と   られ    うんぬん
傍輩等之を伺は不に依て歟、白虹非之旨、言上令むに依て、所職Dを止め被ると云々。

参考@赤山は、京都市左京区修学院関根坊町の赤山禅院。
参考B
勅勘を聽被るは、返り咲いた。
参考C
白虹は、白虹日を貫くで近い内に戦が始まる前兆。
参考D所職は、陰陽博士。

現代語建保五年(1217)八月小二十五日庚午。雨降りです。山城判官二階堂行村が京都から帰りました。後鳥羽院の病気は、七月十日から毎日悪寒と震えの発作が出ています。学問のある位の高い坊さん達が、それぞれ加持祈祷を祈っても、おさまることがありませんでした。しかし二十五日に前陰陽博士道昌が、赤山禅院で病気平癒の祈り泰山府君祭を行いました。翌日に治りましたので、道昌は休職を解かれましたそうな。これは二月に広瀬殿で白い虹が出たと申しあげたのですが、同輩の連中はそれを知らなかったのか、白い虹ではないと団体で申し出たので、嘘と云うことになって休職させられていましたんだそうな。

参考A泰山府君祭は、安倍晴明が創始した祭事で月ごと季節ごとに行う定期のものと、命に関わる出産、病気の安癒を願う臨時のものがあるという。「泰山府君」とは、中国の名山である五岳のひとつ東嶽泰山から名前をとった道教の神である。陰陽道では、冥府の神、人間の生死を司る神として崇拝されていた。延命長寿や消災、死んだ人間を生き帰らすこともできたという。

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