承久二年庚辰(1220)五月小
承久二年(1220)五月小七日丙申。去月廿七日未剋。大内。陽明門。左近府。上東門左腋齋院御所等燒亡。火起於中御門町。又同十三日祗薗本社燒失云云。有範差專使所申送也。 |
読下し さんぬ
つき にじうしちにち
ひつじのこく だいだい ようめいもん さこのえふ じょうとうもん ひだりわき さいいん
ごしょ ら しょうぼう
承久二年(1220)五月小七日丙申。去る月
廿七日 未剋、 大内、陽明門、左近府、上東門の左腋、齋院御所等燒亡す。
ひ なかみかどまち をい お また おな じうさんにち
ぎおんほんじゃ
しょうしつ うんぬん ありのりせんし さ もう おく ところなり
火は中御門町に於て起きる。又、同じき十三日祗薗本社
燒失すと云云。有範專使を差し申し送る所也。
現代語承久二年(1220)五月小七日丙申。先月二十七日午後二時頃、大内裏・陽明門・左近衛府・上東門の左わき・斎院御所などが燃えました。火は中御門町から発しました。又、同月13日祗薗本社八坂神社が燃えましたそうな。平有範がこの旨だけを伝える使いをよこしたのです。
承久二年(1220)五月小十六日乙巳。爲二品尼願。令修千日講。今日結願也。是故右府追福云云。 |
読下し にほんあま がん な
せんにちこう しょうせし きょう
けちがんなり これ こうふ ついぶく うんぬん
承久二年(1220)五月小十六日乙巳。二品尼の願と爲し、千日講を修令め、今日結願也。是、故右府の追福と云云。
現代語承久二年(1220)五月小十六日乙巳。二位家政子様の願掛けで千日のお経をさせましたが、今日が最終日の結願です。これは、故右大臣実朝様への追善供養です。
承久二年(1220)五月小廿日甲戌。右京兆。相州。前武州。會合于大官令禪門亭。有小弓會云云。 |
読下し うけいちょう そうしゅう さきのぶしゅう だいかんれいぜんもん ていにかいごう こゆみえ あ うんぬん
承久二年(1220)五月小廿日甲戌。右京兆、相州、前武州、
大官令禪門の 亭于會合す。小弓會有りと云云。
現代語承久二年(1220)五月小二十日甲戌。右京兆義時さん、相州時房さん、前武州足利義氏が、大江広元の屋敷に集まりました。遊戯用の小弓による遊びがありました。