吾妻鏡入門第廿四巻

承久二年庚辰(1220)六月小

承久二年(1220)六月小十日戊辰。左府使下着。依去年十二月彗星事。公家被行御祈。所謂。去月廿四日於延暦寺根本中堂有千僧御讀經〔藥師經〕。東塔五百口。西塔三百口。横河二百口也。關東司天不伺見之由。令申之條。非無不審。何無若宮御祈乎之由申之云云。

読下し                     さふ   つか  げちゃく   きょねんじうにがつ  すいせい  こと  よっ    こうけおいのり  おこなはれ
承久二年(1220)六月小十日戊辰。左府@が使い下着す。去年十二月の彗星の事に依て、公家A御祈を行被る。

いはゆる さんぬ つき にじうよっか えんりゃくじ こんぽんちうどう  をい  せんそう  ごどっきょう 〔やくしきょう〕  あ
所謂、去る月 廿四日 延暦寺 根本中堂に於て千僧の御讀經〔藥師經〕有り。

とうとう  ごひゃっく   さいとう  さんびゃっく   よかわ  にひゃっくなり
東塔は五百口。西塔は三百口。横河は二百口也。

かんとう  してん うかがいみざるのよし  もうせし  のじょう  ふしん な   あらず  なん  わかみや おいのりなきとのよし これ  もう    うんぬん
關東の司天B伺見不之由、 申令む之條、不審無きに非。 何ぞ若宮 御祈無乎之由 之を申すと云云。

参考@左府は、左大臣九条道家で朝廷での実力トップ。三寅の父。
参考A
公家は、天皇家。
参考B
司天は、天文博士の唐名。

現代語承久二年(1220)六月小十日戊辰。左大臣九条道家様の使いが京都から着きました。「去年十二月の彗星が現れた事によって、朝廷ではお祈りをしました。それは、先月24日延暦寺の根本中堂で千人の僧でお経〔薬師経〕を上げました。東塔は五百人。西塔は三百人。横川は二百人です。関東の天文方が見ていないと云うのは、怪しいのではないか。何故鶴岡八幡宮でお祈りをしないのか。」と申しましたとさ。

承久二年(1220)六月小十二日庚午。依去年彗星可有祈祷否事。於關東不出見上者。不可及沙汰歟由。司天輩依申之。就左府命。如入道前大膳大夫有其定。今日。於鶴岡。一日轉讀三部大般若經。敬白導師別當法印定豪。伊賀左衛門尉光宗爲今日奉行云々。

読下し                     きょねん  すいせい  よっ  きとう あ   べ     いな    こと   かんとう  をい いでみえざる うえは
承久二年(1220)六月小十二日庚午。去年の彗星に依て祈祷有る可きや否やの事、關東に於て出見不の上者、

 さた   およ  べからざるか  よし  してん やからこれ  もう    よっ     さふ   めい  つ    にゅうどうさきのだいぜんだいぶ  ごと    そ   さだ  あ
沙汰に及ぶ不可歟の由、司天の輩之を申すに依て、左府の命に就き、 入道前大膳大夫 の如きが其の定め有り。

きょう   つるがおか をい   いちにちさんぶ  だいはんやきょう てんどく   けいびゃく どうし  べっとうほういんていごう
今日、鶴岡に於て、一日三部の大般若經を轉讀す。敬白@の導師は別當法印定豪。

いがのさえもんのじょうみつむね きょう  ぶぎょう  な    うんぬん
伊賀左衛門尉光宗 今日の奉行を爲すと云々。

参考@敬白は、謹んで申し上げる事。

現代語承久二年(1220)六月小十二日庚午。去年の彗星の出現を、お祈りをするべきかどうかについて、関東では見えなかったのだから、必要がないんじゃないのと、天文方の連中が云ってるけど、左大臣の命令なので、やるように入道前大膳大夫大江広元などが決めました。今日、鶴岡八幡宮で一日に三回読む大般若経の略読みをしました。読み上げる指導僧は、長官の法印定豪です。伊賀左衛門尉光宗が、今日の行事を取り仕切ってます。

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