吾妻鏡入門第廿五巻

承久三年辛巳(1221)十月大

承久三年(1221)十月大二日壬子。戌剋地震。

読下し                   いぬのこく ぢしん
承久三年(1221)十月大二日壬子。戌剋、地震。

現代語承久三年(1221)十月大二日壬子。午後八時頃に地震。

承久三年(1221)十月大十二日己(壬)戌。六波羅飛脚到着云。去月廿五日。今度合戰張本能登守秀康。河内判官秀澄隱居南都之由。依有其聞。爲相州之計。遣家人等。搜求之間。件兩人者逃去訖。衆徒等蜂起。稱夜討人。圍相州使者合戰。其使者依無勢。悉以被殺戮。纔所殘之僮僕兩三輩。馳還六波羅。訴事由。仍相州。武州相談。翌日〔廿六日〕午刻。相催在京并近國勇士數千騎。差向南都。衆徒聞之太周章。來合于木津河邊。先以使者。愁云。軍兵入南都者。不異平家燒失大伽藍之時歟。然者搜尋惡黨等。可虜献者。就懇望之旨。成優恕之儀。歸洛畢。今月二日。自南都搦出秀康之後見。當時有沙汰。又三日夜半。殿下及右幕下亭燒亡。前殿下亭同時雖令放火打消。凡叛逆余殃未盡云々。

読下し                     ろくはら   ひきゃくとうちゃく    い
承久三年(1221)十月大十二日壬戌。六波羅の飛脚到着して云はく。

さんぬ つきにじうごにち  このたび かっせん ちょうほん のとのかみひでやす かわちのほうがんひでずみ なんと  いんきょのよし  そ   きこ  あ     よっ
去る月 廿五日、今度の合戰の張本 能登守秀康、 河内判官秀澄 南都に隱居之由、其の聞へ有るに依て、

そうしゅうのはか    な     けにんら  つか      さが  もと    のあいだ くだん りょうにんは に  さ  をはんぬ
相州之計りと爲し、家人等を遣はし、搜し求める之間、件の兩人者逃げ去り訖。

しゅとら ほうき     ようちびと   しょう    そうしゅう  ししゃ  かこ  かっせん   そ   ししゃ むぜい  よっ   ことごと もっ  さつりくされ
衆徒等蜂起し、夜討人と稱し、相州の使者を圍み合戰す。其の使者無勢に依て、悉く以て殺戮被る。

わづか   のこ ところのどうぼく りょうさんやから  ろくはら   は   かえ    こと  よし  うった
纔かに殘る所之僮僕 兩三輩、 六波羅へ馳せ還り、事の由を訴う。

よっ  そうしゅ  ぶしゅう  あいだん   よくじつ 〔にじうろくにち〕 うまのこく ざいきょうなら   きんごく  ゆうし すうせんき  あいもよお   なんと  さ   む
仍て相州、武州に相談じ、翌日〔廿六日〕午刻、在京并びに近國の勇士數千騎を相催し、南都へ差し向ける。

しゅうとこれ  き  はなは しゅうしょう   きづがわへんに きた  あ     ま   もっ   ししゃ   うれ    い
衆徒之を聞き太だ周章し、木津河邊于來り合う。先ず以て使者、愁へて云はく。

ぐんぴょう なんと   い   は   へいけ  だいがらん しょうしつ    のとき  こと    ざるか  しからば   あくとうら   さが  たず    とりこ けん  べ   てへ
軍兵の南都に入る者、平家が大伽藍を燒失する之時に異なら不歟。然者、惡黨等を搜し尋ね、虜を献ず可し者り。

こんもうの むね  つ     ゆうじょの ぎ  な     きらく をはんぬ
懇望之旨に就き、優恕之儀を成し、歸洛し畢。

こんげつふつか  なんとよ   ひでやすの こうけん  から  いだ    とうじ さた あ
今月二日、南都自り秀康之後見を搦め出す。當時沙汰有り。

また  みっか  やはん  でんかおよ  うばっかてい しょうぼう
又、三日の夜半、殿下及び右幕下亭燒亡す。

さきのでんかてい おな  とき  ほうかせし   いへど  うちけ     およ  ほんぎゃく よえい いま  つく      うんぬん
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前殿下亭も同じ時に放火令むと雖も打消す。凡そ叛逆の余殃未だ盡さずと云々。

現代語承久三年(1221)十月大十二日壬戌。六波羅の伝令が到着して云いました。「先月25日に、今度の戦争の張本人の能登守藤性足利秀康と河内判官藤原秀澄が、奈良に隠れていると噂があったので、相州時房の責任で家来たちを派遣し、捜索させましたが、例の二人は逃げてしまった後でした。武者僧どもが武装蜂起して夜討に来た連中だと決めつけて、時房の使いを取り囲んで戦いになりました。時房の使いは多勢に無勢で殆ど殺されてしまいました。わずかに生き残った下部が二三人六波羅へ駆け戻りこの状況を訴えました。それで時房は、泰時に話して翌日〔26日〕正午頃に京都在住とその近在の軍勢を集めて、奈良へ行かせました。僧兵はこれを聞いて、とてもうろたてて木津川あたりまで来て、出会いました。まず、使いの者が嘆きながら述べました。「軍隊が奈良へ入るのは、平家が東大寺や興福寺の伽藍を焼いてしまった時と変わらないじゃないですか。それなので、悪い連中は探し出して引き渡します。」と、盛んに願い出たので、寛大な心になって、京都へ戻りました。今月2日に奈良から秀康の後見人を捕えて突き出してきました。今は処分しました。又、3日の夜中に殿下近衛宗実邸と右大将西園寺実氏邸が燃えました。前殿下九条道家邸も同時に放火されたが打ち消しました。反逆者の連中の暗躍はまだ消えていません。」との事でした。

承久三年(1221)十月大十三日癸亥。京中警固。并与黨人等刑法次第。有沙汰。召六波羅使於當座。示含云々。進士判官代隆邦爲奉行云々。武州於京都。此程草創伽藍。是且爲關東若公。并二品禪尼息災。且爲今度合戰間滅亡貴賎得脱也。供養事。今日内々申談蓮院宮僧正坊。其門徒中。以不与叛逆之衲衣。可用唱導之由云々。

読下し                     けいちゅう けいご なら    よとうにんら   けいほう  しだい    さた あ
承久三年(1221)十月大十三日癸亥。京中の警固并びに与黨人等の刑法の次第、沙汰有り。

 ろくはら  つかいを とうざ  め    しめ  ふく      うんぬん  しんじほうがんだいたかくにぶぎょう な    うんぬん
六波羅の使於當座に召し、示し含めると云々。進士判官代隆邦奉行を爲すと云々。

ぶしゅう  きょうと  をい    こ   ほど がらん  そうそう
武州、京都に於て、此の程伽藍を草創す。

これ  かつう かんとう  わかぎみなら   にほんぜんに  そくさい  ため  かつう このたび かっせん あいだ めつぼう   きせん  げだつ  ためなり
是、且は關東の若公并びに二品禪尼の息災の爲、且は今度の合戰の間に滅亡した貴賎の得脱の爲也。

 くよう  こと  きょう ないない  しょうれにんぐうそうじょうぼう  もう  だん
供養の事、今日内々に蓮院宮僧正坊に申し談ず。

そ   もん  うち  ほんぎゃく  よせずの のうえ  もっ    しょうどう  もち   べ   のよし  うんぬん
其の門徒の中、叛逆に与不之衲衣を以て、唱導に用いる可き之由と云々。

現代語承久三年(1221)十月大十三日癸亥。京都市内の警備と反逆者への協力者の刑罰について、取扱いを決定しました。六波羅からの使者をその座に呼んで指示をして分からせました。進士判官代橘隆邦が担当しました。泰時さんは、京都で寺を新しく造りました。これは、一つは鎌倉幕府の若君三寅と二位家政子様の健康を祈り、一つは今度の合戦で死亡した多くの人が成仏できるようにです。開眼供養については、今日内々に青蓮院宮僧正の房に申し入れました。その房の弟子たちの内、叛逆に味方しなかった坊さんをお経を上げさせるようにとの事でした。

承久三年(1221)十月大十六日丙寅。六波羅飛脚到着。去六日寅尅。於河内國。虜秀康。秀澄等。是依彼後見白状也。同八日至六波羅云々。天下乱逆根源起於此兩人謀計。重過之所當。責而有餘歟云々。

読下し                     ろくはら  ひきゃくとうちゃく    さんぬ むいかとらのこく  かわちのくに をい    ひでやす ひでずみら とりこ
承久三年(1221)十月大十六日丙寅。六波羅の飛脚到着す。去る六日寅尅、河内國に於て、秀康、秀澄等を虜にす。

これ  か   こうけん  はくじょう よっ  なり  おな    ようか ろくはら  いた    うんぬん  てんからんぎゃく こんげん こ  りょうにん  ぼうけい  をい  お
是、彼の後見の白状に依て也。同じき八日六波羅に至ると云々。天下乱逆の根源は此の兩人の謀計に於て起きる。

ちょうかの しょとう  せ   て あま  あ   か   うんぬん
重過之所當、責め而餘り有る歟と云々。

現代語承久三年(1221)十月大十六日丙寅。六波羅の伝令が着きました。先日の六日午前四時頃に、河内国で足利秀康・藤原秀澄を捕虜にしました。これは、彼の後見人の白状によるものです。八日に六波羅へ着いたそうな。天下を覆すような反乱を起こしたその原因はこの二人の謀略から始まったのです。その罪の重さは攻めても余りあるものです。

承久三年(1221)十月大廿三日癸酉。武州建立堂舎。今日有供養儀。曼陀羅供也。

読下し                     ぶしゅう  どうしゃ  こんりゅう  きょう  くよう   ぎ あ      まんだらぐ なり
承久三年(1221)十月大廿三日癸酉。武州が堂舎の建立、今日供養の儀有り。曼陀羅供也。

現代語承久三年(1221)十月大二十三日癸酉。泰時さんが建立しているお寺は、今日開眼供養の儀式がありました。曼荼羅の供養です。

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