吾妻鏡入門第廿五巻

承久三年辛巳(1221)十二月大

承久三年(1221)十二月大三日壬午。讃岐中將室〔右京兆女〕懷孕之間。於大倉亭廊。行千度秡。主計大夫知輔。少輔大夫泰貞。陰陽大允親職。右京亮重宗。漏尅博士忠業〔各衣冠〕等勤之。進士判官代隆邦〔布衣〕陪膳。工藤右馬允云々。同爲奉行云々。

読下し                     さぬきちうじょう  しつ 〔うけいちょう むすめ〕 かいにんのあいだ  おおくらてい ろう  をい    せんどばらい おこな
承久三年(1221)十二月大三日壬午。讃岐中將@が室〔右京兆の女〕 懷孕之間、 大倉亭の廊に於て、千度秡Aを行う。

かぞえのたいふともすけ  しょうゆうたいふやすさだ おんみょうだいじょうちかもと うきょうのりょうしげむね ろうこくはくじただなち  〔おのおの いかん〕 ら これ  つと
主計大夫知輔、 少輔大夫泰貞、 陰陽大允親職、 右京亮重宗、 漏尅博士忠業〔 各 衣冠B等之を勤む。

しんじほうがんだいたかくに 〔 ほい 〕 ばいぜん   くどうのうまのじょう おな     ぶぎょう  な    うんぬん
進士判官代隆邦〔布衣〕陪膳す。工藤右馬允、同じく奉行を爲すと云々。

参考@讃岐中將は、一条実雅。
参考A千度祓は、身のけがれを清めるため、神前で大祓(おお はらえ)の詞を千度唱えること。千度の祓い。
参考B衣冠は、宮中勤務者が束帯は窮屈な爲、宿直用に下着類を省き、面倒な裾も止め袴をゆったりした指貫に変えた「宿直装束」。

現代語承久三年(1221)十二月大三日壬午。讃岐中将一条実雅の奥さん〔義時さんの娘〕が妊娠したので、大倉邸の廊下で身の穢れを清めるために千回大祓を唱える儀式を行いました。主計大夫知助・少輔大夫泰貞・陰陽大允親職・右京亮重宗・漏刻博士忠業〔それぞれ衣冠の正装〕等が勤めました。進士判官代隆邦〔普段着〕が仕度を手伝いました。工藤右馬允は、同様に指揮担当しましたとさ。

承久三年(1221)十二月大十一日庚寅。右京兆室立願藥師如來像一體。於産所遂供養。導師伊賀阿闍梨光猷。布施馬〔置鞍〕一疋。原左衛門尉牽之。筑後介秀朝奉行之。

読下し                       うけいちょう  しつ  やくしにょらいぞう いったい りゅうがん   さんじょ  をい  くよう   と
承久三年(1221)十二月大十一日庚寅。右京兆が室、藥師如來像一體を立願す。産所に於て供養を遂ぐ。

どうし    いがのあじゃりこうゆう    ふせ   うま 〔くらおき〕 いっぴき   はらさえもんのじょう これ  ひ    ちくごのすけひでとも これ  ぶぎょう
導師は伊賀阿闍梨光猷。布施は馬〔置鞍〕一疋。原左衛門尉 之を牽く。筑後介秀朝 之を奉行す。

現代語承久三年(1221)十二月大十一日庚寅。義時さんの奥さんが、薬師如来の像一体を造らせました。お産場所で開眼供養をしました。指導僧は伊賀阿闍梨光猷。お布施は鞍置き馬一頭。原左衛門尉忠康がこれを引きだしました。筑後介藤原秀朝がこれを指揮担当しました。

吾妻鏡入門第廿五巻

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