吾妻鏡入門第廿六巻

承久四年壬午(1222)二月小

承久四年(1222)二月小一日庚辰。雷電數聲。甚雨。

読下し                    らいでんすうこえ はなは あめ
承久四年(1222)二月小一日庚辰。雷電數聲。甚だ雨。

現代語承久四年(1222)二月小一日庚辰。雷が何度か鳴り、激しい雨です。

承久四年(1222)二月小六日乙酉。於南庭有犬追物。若君御入興。此事又讃岐羽林殊庶幾被申行。奥州。足利前武州已下群參見物。犬二十疋。射手四騎也。相搆可決勝負之由。別被仰出之間。各爭箭員之處。面々五疋射之。始十疋内。毎一疋今度犬者某可射之由。次第付主被仰出。其人箭必中之。後十疋之時者。射手次第。此犬者令領之由自稱。依仰也。又無相違。等巡射手中之。旁爲希代珎事之由。人々美談。駿河前司義村加檢見。嶋津三郎兵衛尉忠義申次之。
射手
 小山新左衛門尉朝長        氏家太郎
 駿河二郎泰村           横溝六郎

読下し                    なんてい  をい  いぬおうもの あ    わかぎみ きょう い  たま
承久四年(1222)二月小六日乙酉。南庭に於て犬追物@有り。若君A興に入り御う。

こ   ことまた  さぬきうりん こと   しょき    もう   おこなはれ
此の事又、讃岐羽林B殊に庶幾Cを申し行被る。

おうしゅう あしかがさきのぶしゅう いげ ぐんさん  けんぶつ   いぬ  にじっぴき   いて    よんきなり
奥州、 足利前武州 已下群參し見物す。犬は二十疋。射手は四騎也。

あいかま  しょうぶ  けっ  べ   のよし   べっ    おお  い   られ のあいだ  おのおの やかず  あらそ のところ  めんめん ごひき これ  い
相搆へ勝負を決す可し之由、別して仰せ出で被る之間、 各 箭員を爭う之處、 面々 五疋之を射る。

はじ  じっぴき  うち  いっぴきごと  このたび いぬは ぼう い  べ   のよし  しだい  つ       ぬし  おお  い   られ    そ   ひと  や  かなら これ  あた
始め十疋の内、一疋毎に今度の犬者某射る可し之由、次第に付けては主が仰せ出で被る。其の人の箭必ず之に中る。

あと  じっぴきの ときは   いて   しだい     こ   いぬは りょうせし  のよしみづか とな   おお   よっ  なり  また そういな     とうじゅん いて これ  あて
後の十疋之時者、射手の次第は、此の犬者領令む之由自ら稱う。仰せに依て也。又相違無し。等巡の射手之を中る。

かたがた きだい  ちんじ たるの よし  ひとびとびだん    するがのぜんじよしむら けみ くは    しまづのさぶろうひょうえのじょうただよし これ  もう  つ
 旁、 希代の珎事爲之由、人々美談す。駿河前司義村檢見を加へ、  嶋津三郎兵衛尉忠義D 之を申し次ぐ。

 いて
射手

  おやまのしんさえもんのじょうともなが               うじいえのたろう
 小山新左衛門尉朝長        氏家太郎

  するがのじろうやすむら                       よこみぞのろくろう
 駿河二郎泰村           横溝六郎E

参考@犬追物は、すだれなどで円形に囲った中に犬を放ち、これを周りから鏃のない蟇目で当てる弓矢の術。これが初見。
参考A若君は、三寅。後の九条頼経。
参考B讃岐羽林(中將)は、一条実雅。
参考C庶幾は、節に願い望む事。注文した。
参考D
嶋津三郎兵衛尉忠義は、島津忠久の息子。
参考E
横溝六郎義行は、近江国横溝で滋賀県東近江市横溝町。得宗被官。

現代語承久四年(1222)二月小六日乙酉。公邸の南庭で矢で犬を当てる犬追物がありました。面白くて若君は大喜びでした。この事もまた、讃岐中将一条実雅が強く願い申しあげたのです。奥州義時さん・前武州足利義氏以下が見物しました。
犬は20匹で射手は馬上四人です。心して勝負するように、特別に仰せがあったので、それぞれ腕を戦わせ、人毎に五匹を狙い撃ちました。
初めは、十匹のうち一匹づつ今度の犬は誰それが撃ちなさいと、順に従って司会者が云いますと、その人は必ず当てていました。
後の十匹の時は、討つ順番は、この犬は私が撃つと自分から云いました。それは命令があったからです。又もや間違いなく、順の射手があてました。
「これは大した珍しい事だよなー。」と人々は褒めました。駿河前司三浦義村が検証役で、島津三郎兵衛尉忠義がこれを伝えました。
射手は、
 小山新左衛門尉朝長 氏家太郎公信
 駿河次郎泰村    横溝六郎義行

承久四年(1222)二月小九日戊子。讃岐羽林室被行平産祈祷等云々。

読下し                     さぬきうりん   しつ  へいさんきとうら  おこなはれ   うんぬん
承久四年(1222)二月小九日戊子。讃岐羽林が室の平産祈祷等を行被ると云々。

現代語承久四年(1222)二月小九日戊子。讃岐中将一条実雅の奥さんの安産祈願の祈祷を行いましたとさ。

承久四年(1222)二月小十二日辛夘。霽。鶴岳神事如例。」今日申刻。讃岐中將室平産〔女子〕。驗者大進僧都觀基。醫師權侍醫頼經朝臣。秡陰陽權助國道朝臣。主計大夫知輔。陰陽大允親職等也。各給祿〔五衣〕。奥州。式部丞朝時主。修理亮重時主。駿河前司義村以下被群集。

読下し                     はれ つるがおか しんじれい  ごと
承久四年(1222)二月小十二日辛夘。霽。鶴岳の神事例の如し。」

きょう さるのこく  さぬきちうじょう  しつへいさん  〔おんなのこ〕  げんざ  だいしんそうづかんき   くすし  ごんのじいよりつねあそん
今日申刻、讃岐中將が室平産す〔女子〕。驗者は大進僧都觀基。醫師は權侍醫頼經朝臣@

はら   おんみょうごんのすけくにみちあそん かぞえのたいふともすけ おんみょうだいじょうちかもと らなり
秡へは 陰陽權助國道朝臣、 主計大夫知輔、陰陽大允親職 等也。

おのおの ろく たま     〔 ごい 〕   おうしゅう しきぶのじょうともときぬし しゅりのさかんしげときぬし するがのぜんじよしむらいげ ぐんしゅうされ
 各、祿を給はる〔五衣A。奥州、式部丞朝時主B、 修理亮重時主、 駿河前司義村以下群集被る。

参考@權侍醫頼經は、丹波。
参考A
五衣は、御衣。
参考B
式部丞朝時は、名越流北条氏。義時の次男。義時の息子は、泰時、朝時、重時、政村、実泰、有時、時尚、時經。

現代語承久四年(1222)二月小十二日辛卯。晴れました。鶴岡八幡宮の神事は何時もの通りです。今日の午後四時頃讃岐中将一条実雅の奥さんが安産でした。祈祷師は大進僧都観基で、医者は権侍医丹波頼経さんです。お祓いは陰陽権助安陪國道さん・主計大夫安陪知輔・陰陽大允安陪親職達です。それぞれ褒美を頂きました〔衣服〕。義時さん・式部丞朝時さん・修理亮重時さん・駿河前司三浦義村以下が集まりました。

参考貞応元年(4/13改元)2月16日日蓮誕生

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