吾妻鏡入門第廿六巻

貞應元年壬午(1222)七月小

貞應元年(1222)七月小三日己酉。讃岐中將。於大倉亭。被始百日小笠懸。毎日日出以前。若属晩凉。可會合之由。數輩成約諾。先今日射手結城七郎朝廣。駿河次郎泰村。同四郎家村。小笠原六郎時長。佐々木太郎兵衛尉重綱。同八郎信朝。伊東六郎兵衛尉。嶋津三郎兵衛尉忠義。原左衛門尉忠康。岡邊左衛門尉時綱。横溝五郎。同六郎。伊具右馬太郎盛重。

読下し                    さぬきちうじょう  おおくらてい  をい  ひゃくにち  こがさがけ  はじ  られ
貞應元年(1222)七月小三日己酉。讃岐中將、大倉亭に於て、百日の小笠懸@を始め被る。

まいにち  ひのでいぜん   も       ばんれい  ぞく    かいごう  べ   のよし  すうやからやくだく な
毎日、日出以前に、若しくは晩凉に属し、會合す可し之由、數輩約諾を成す。

ま   きょう    いて  ゆうきのしちろうともひろ  するがのじろうやすむら  おな    しろういえむら  おがさわらのろくろうときなが  ささきのたろうひょうえのじょうしげつな
先ず今日の射手 結城七郎朝廣、 駿河次郎泰村、同じき四郎家村、 小笠原六郎時長、 佐々木太郎兵衛尉重綱、

おな    はちろうのぶとも  いとうのろくろうひょうえのじょう しまづのさぶろうひょうえのじょうただよし はらのさえもんのじょうただやす  おかべのさえもんのじょうときつな
同じき八郎信朝、 伊東六郎兵衛尉、 嶋津三郎兵衛尉忠義、  原左衛門尉忠康、 岡邊左衛門尉時綱、

よこみぞごろう  おな    ろくろう    いぐのうまたろうもりしげ
横溝五郎、同じき六郎、 伊具右馬太郎盛重。

参考@小笠懸は、笠懸(遠矢)と違い馬手(めて)の足元の的を射る。
参考
A横溝五郎・六郎は、近江国横溝で滋賀県東近江市横溝町。得宗被官。

現代語貞応元年(1222)七月小三日己酉。讃岐中将一条実雅は、大倉の屋敷で百日間の小笠懸を始めました。毎日、日の出前に、又は夕方の涼しくなってから集まるように、数人の連中と約束しました。まず今日の射手は、結城七郎朝広・駿河次郎三浦泰村・同じ三浦四郎家村・小笠原六郎時長・佐々木太郎兵衛尉重綱・おなじ佐々木八郎信朝・伊東六郎兵衛尉祐長・島津三郎兵衛尉忠義・原左衛門尉忠康・岡部左衛門尉時綱・横溝五郎資重・同じ横溝六郎義行・伊具右馬太郎盛重です。

貞應元年(1222)七月小廿三日己巳。リ。未刻。大地震。

読下し                    はれ ひつじのこく おおぢしん
貞應元年(1222)七月小廿三日己巳。リ。未刻、大地震。

現代語貞応元年(1222)七月小二十三日己巳。晴れです。午後二時頃に大地震です。

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