貞應元年壬午(1222)九月小
貞應元年(1222)九月小廿一日丙辰。巳刻。藤民部大夫行盛妻男子平産。 |
読下し みのこく とうのみんぶたいふゆきもり つま だんし
へいさん
貞應元年(1222)九月小廿一日丙辰。巳刻。藤民部大夫行盛が妻、男子平産す。
現代語貞應元年(1222)九月小廿一日丙辰。午前十時頃に、藤民部大夫二階堂行盛の妻が、男の子を安産しました。
貞應元年(1222)九月小廿二日丁夘。霽。戌刻。奥州御亭寢殿坤角有放火。而工藤右馬允郎從見之。即撲滅畢。彼男給御劍云々。 |
読下し
はれ
いぬのこく おうしゅう おんてい
しんでん ひつじさる かど ほうか あ
貞應元年(1222)九月小廿二日丁夘。霽。戌刻、奥州が御亭の寢殿の 坤 の角に放火有り。
しか くどうのうまのじょう ろうじゅう これ
み すなは う めっ をはんぬ か
おとこぎょけん たま うんぬん
而るに工藤右馬允が郎從、之を見て、即ち撲ち滅し
畢。 彼の男御劍を給はると云々。
現代語貞應元年(1222)九月小二十二日丁卯。晴れました。午後九時頃、奥州義時さんのお屋敷の寝殿の坤(南西)の角に放火されました。しかし、工藤右馬允の家来が、これを見つけて叩き消しました。その男には刀を褒美にあげましたとさ。