嘉禄元年(元仁二年)乙酉(1225)四月大廿日改元
嘉祿元年(1225)四月卅日庚申。霽。夜半。毛利藏人大夫入道西阿宿所〔御所向〕燒亡。近邊一許町災。 |
読下し
はれ やはん
もうりくらんどたいふにゅうどうせいあ すくしょ 〔
ごしょ むか 〕
しょうぼう きんぺんいちばか ちょうわざわ
嘉祿元年(1225)四月卅日庚申。霽。夜半、毛利藏人大夫入道西阿@が宿所〔御所の向い〕燒亡す。近邊一許り町災す。
参考@毛利西阿は、毛利季光の出家名。宿所は御所の向かいと、言うと筋替橋の東側、六浦道南側、元は父の大江広元邸。
現代語嘉祿元年(1225)四月三十日庚申。晴れました。夜中に毛利蔵人大夫入道西阿季の上屋敷〔御所の向かい〕火事になりました。近所の100m程が類焼しました。