嘉祿二年丙戌(1226)六月小
嘉祿二年(1226)六月小七日庚寅。相州造立之被上塔九輪。 |
読下し そうしゅう ぞうりゅうの とう くりん
あ られ
嘉祿二年(1226)六月小七日庚寅。相州、造立之塔に九輪@を上げ被る。
参考@九輪は、三重の塔や五重塔の天辺に乗せる金属の塔。相輪とも宝輪とも言う。これを載せると完成。
現代語嘉祿二年(1226)六月小七日庚寅。相州時房さんが建立している三重塔に九輪をあげました。
嘉祿二年(1226)六月小十三日丙申。リ。迎右京兆第三年忌辰。依之。大慈寺釋迦堂被供養之。導師求佛房。施主武州也。 |
読下し はれ うけいちょう
だいさんねんきしん むか これ よっ
だいじじ しゃかどう これ くようされ
嘉祿二年(1226)六月小十三日丙申。リ。右京兆の第三年忌辰を迎へる。之に依て、大慈寺釋迦堂で之を供養被る。
どうし くぶつぼう せしゅ ぶしゅうなり
導師は求佛房。施主は武州也。
現代語嘉祿二年(1226)六月小十三日丙申。晴れです。義時さんの三回忌を迎えるので、大慈寺の釈迦堂で法事です。指導僧は、求仏房で、施主は武州泰時さんです。
嘉祿二年(1226)六月小十四日丁酉。リ。二位家周闋御佛事也。爲奉報彼恩徳。相州此間大慈寺郭内。三重寳塔一基令建立。今日被遂供養。導師小河法印忠快。御布施三十物三十也。 |
読下し はれ にいけ
しゅうけつ おんぶつじなり
嘉祿二年(1226)六月小十四日丁酉。リ。二位家の周闋の御佛事也。
か おんとく
むく たてまつ ため そうしゅうこ あいだ だいじじかくない さんじうのとういっき こんりゅうせし
彼の恩徳に報い奉らん爲、相州此の間大慈寺郭内に、三重寳塔一基を建立令む。
きょう くよう と られ どうし おがわのほういんちうかい おんふせ さんじう ものさんじうなり
今日供養を遂げ被る。導師は小河法印忠快。御布施は三十の物三十也。
現代語嘉祿二年(1226)六月小十四日丁酉。晴れです。二位家政子様の一周忌の法事です。彼女の後生を訪うために、時房さんは大慈寺の境内に三重塔を立て、今日その開眼供養の日です。指導僧は、小川法印忠快。お布施は三十種を包んだ物三十です。
嘉祿二年(1226)六月小廿日癸卯。陰。竹御所御除服也。二位家雖爲御祖母。彼御一廻之間。御服暇也。於新御堂池邊有御秡。泰貞奉仕之。 |
読下し くもり たけごしょ おんじょふく なり にいけ おんそぼ たり いへど
か ごいっかいのあいだ おんふく いとまなり
嘉祿二年(1226)六月小廿日癸卯。陰。竹御所の御除服@也。二位家は御祖母爲と雖も、彼の御一廻之間、御服の暇也。
しんみどう いけへん
をい おんはら あ やすさだこれ ほうし
新御堂の池邊に於て御秡へ有り。泰貞之を奉仕す。
参考@除服は、喪明け。
現代語嘉祿二年(1226)六月小二十日癸卯。曇り。竹御所さんの喪明けです。二位家政子様はおばあさんに当たるけれども、その一周忌までの間喪に服しておりました。新御堂(大慈寺)の池のあたりでお祓いの儀式を行いました。泰貞が勤めました。
嘉祿二年(1226)六月小廿六日己酉。申刻地震。 |
読下し さるのこくぢしん
嘉祿二年(1226)六月小廿六日己酉。申刻地震。
現代語嘉祿二年(1226)六月小二十六日己酉。午後四時頃地震。
嘉祿二年(1226)六月小廿七日庚戌。申刻地震。 |
読下し さるのこくぢしん
嘉祿二年(1226)六月小廿七日庚戌。申刻地震。
現代語嘉祿二年(1226)六月小二十七日庚戌。午後四時頃地震。
嘉祿二年(1226)六月小廿八日辛亥。子刻地震。 |
読下し ねのこく ぢしん
嘉祿二年(1226)六月小廿八日辛亥。子刻地震。
現代語嘉祿二年(1226)六月小二十八日辛亥。夜中の十二時頃地震。