吾妻鏡入門第廿七巻

安貞二年戊子(1228)十一月小

安貞二年(1228)十一月小九日己夘。筥根山神社佛閣火災事。滿月上人草創當山以後五百余歳。未有此例。當于斯時回祿。武州頗以御歎息。仍今日潜有解謝之儀。又被捧願書云々。

読下し                     はこねさんじんじゃ  ぶっかくかさい  こと  まんげつしょうにん とうさん  そうそう いご ごひゃくよさい  いま  かく  れいあ
安貞二年(1228)十一月小九日己夘。筥根山神社@の佛閣火災の事、滿月上人當山を草創以後五百余歳A、未だ此の例有らず。

 そ  ときに あた    かいろく    ぶしゅう すこぶ もっ  ごたんそく   よっ  きょう ひそか げしゃの ぎ あ     また  がんしょ  ささ  られ    うんぬん
斯の時于當りて回祿す。武州 頗る以て御歎息。仍て今日潜に解謝B之儀有り。又、願書を捧げ被ると云々。

参考@筥根山神社は、神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1箱根神社。旧名は筥根權現。
参考A滿月上人當山を草創以後五百余歳は、「筥根山縁起」によれば、孝昭天皇の時代、聖占仙人が駒ヶ岳を神体山として神仙宮を開いたのに始まり、天平宝字元年(757年)、万巻上人が現在地に里宮を創建して僧・俗・女の三体の神を箱根三所権現として祀ったと伝える。ウィキペディアから
参考B解謝は、謝ること。政治が悪いから神様が怒って神社が燃えたと考え謝る事になる。

現代語安貞二年(1228)十一月小九日己卯。箱根神社の神殿や仏閣の火災については、万巻上人がこの神社を創建して以来500余年、未だに火事の例はありませんでした。この時代になって火事で燃えてしまいました。武州泰時さんは(ご自分の政治が悪いので神様の怒りで火事になったと)とても気に病んで、今日密かにお詫びの儀式をしました。又、(良い政治が出来るように)願い事を文書にしたためて捧げましたとさ。

安貞二年(1228)十一月小十三日癸未。リ。武州有殊心願。被始行祈祷云々。

読下し                       はれ  ぶしゅう こと  しんがんあ       きとう   しぎょうされ    うんぬん
安貞二年(1228)十一月小十三日癸未。リ。武州 殊に心願有りて、祈祷を始行被ると云々。

現代語安貞二年(1228)十一月小十三日壬未。晴れです。武州泰時さんは、特別な願い事があって、御祈祷を始めさせましたとさ。

-安貞二年(1228)十一月小十四日甲申。リ。月蝕正現。月曜供助法印珎譽。羅喉星供師法橋珎瑜云云。

読下し                       はれ  げっしょくせいげん   げつようぐ すけのほういんちんよ  らごうせい ぐ そちのほっきょうちんゆ  うんぬん
安貞二年(1228)十一月小十四日甲申。リ。月蝕正現す。月曜供は助法印珎譽。羅喉星@供は師法橋珎瑜と云云。

参考@羅喉星は、九曜星の1番目。本尊は大日如来。方位は南東。胎蔵界曼荼羅では南。この年に当たるときは大凶。他行すれば災難有り。又、損失病気口説事あり。慎むべし。

現代語安貞二年(1228)十一月小十四日甲申。晴れです。月食がきっちり現れました。そこで、月を供養する月曜供は助法印珍与。南を祓うため羅喉星供養を法橋珍瑜が勤めましたとさ。

安貞二年(1228)十一月小十九日己丑。南御堂可被建鎭守社壇之由。有其沙汰云々。信濃民部大夫入道行然爲奉行云々。

読下し                       みなみみどう ちんじゅ  しゃだん  た   られ  べ   のよし  そ   さた あ     うんぬん
安貞二年(1228)十一月小十九日己丑。南御堂に鎭守の社壇@を建て被る可き之由、其の沙汰有りと云々。

しなののみんぶたいふにゅうどうぎょうねん ぶぎょうたり  うんぬん
信濃民部大夫入道行然 奉行爲と云々。

参考@鎭守の社壇は、神仏混交時代には、大きな寺には鎮守の神社を、大きな神社の別当は寺又は僧侶が勤めていた。

現代語安貞二年(1228)十一月小十九日己丑。南御堂勝長寿院の境内に、お寺を守る鎮守の神社を建てるようにお決めになりました。信濃民部大夫入道行然二階堂行盛が担当です。

安貞二年(1228)十一月小廿五日乙未。リ。可被引馬塲殿御所西方地之由。有沙汰。自去廿三日。武州被申行之云々。平左衛門尉盛綱奉行之云々。

読下し                       はれ  ばばどの   ごしょ  せいほう  ち   ひかれ   べ   のよし   さた あ
安貞二年(1228)十一月小廿五日乙未。リ。馬塲殿の御所を西方の地に引被る@可き之由、沙汰有り。

さんぬ にじうさんにち よ    ぶしゅうこれ  もう  おこなはれ  うんぬん  へいさえもんのじょうもりつな これ  ぶぎょう   うんぬん
去る 廿三日 自り、武州之を申し行被ると云々。平左衛門尉盛綱 之を奉行すと云々。

参考@地に引被るは、建物の縄張りを引く。

現代語安貞二年(1228)十一月小二十五日乙未。晴れです。馬場に将軍用の建物を西側に縄張りするよう、お決めになりました。先日の23日から武州泰時さんが上申していましたとさ。平左衛門尉盛綱が担当します。

安貞二年(1228)十一月小廿八日戊戌。筥根社上棟。周防前司親實爲奉行云々。

読下し                       はこねしゃじょうとう   すおうのぜんじちかざね ぶぎょうたり  うんぬん
安貞二年(1228)十一月小廿八日戊戌。筥根社上棟す。周防前司親實 奉行爲と云々。

現代語安貞二年(1228)十一月小二十八日戊戌。箱根神社の棟上げ式です。周防前司中原親実が担当です。

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