吾妻鏡入門第廿七巻

安貞三年己丑(1229)月小〔三月五日改元寛喜元年〕

安貞三年(1229)二月小五日甲辰。申刻地震。

読下し                   さるのこくぢしん
安貞三年(1229)二月小五日甲辰。申刻地震。

現代語安貞三年(1229)二月小五日甲辰。午後四時頃、地震です。

安貞三年(1229)二月小十一日庚戌。於武州御亭走湯山造營事有其沙汰。當山管領之仁淨蓮房參上。召陰陽師。被定日次。三月五日可爲事始之由。親職朝臣已下四人撰申之。盛綱爲奉行。

読下し                      ぶしゅう おんてい  をい  そうとうさんぞうえい  こと  そ    さた あ    とうさんかんれいのじん じょうれんぼうさんじょう
安貞三年(1229)二月小十一日庚戌。武州の御亭に於て走湯山造營の事、其の沙汰有り。當山管領之仁 淨蓮房參上す。

おんみょうじ  め     ひなみ  さだ  られ    さんがついつかことはじ たるべ   のよし  ちかもとあそん いげ よにんこれ  えら  もう    もりつなぶぎょうたり
陰陽師を召し、日次を定め被る。三月五日事始め爲可き之由、親職朝臣已下四人之を撰び申す。盛綱奉行爲。

現代語安貞三年(1229)二月小十一日庚戌。泰時さんの屋敷で、伊豆山神社の建築について会議をしました。走湯権現の管理者の浄蓮坊も来ました。陰陽師を呼んでお日和を決めました。3月5日が着工式にするよう安陪親職以下四人の陰陽師が選んで上申しました。平左衛門尉盛綱が担当です。

安貞三年(1229)二月小十七日丙辰。戌尅大地震。

読下し                     いぬのこくぢしん
安貞三年(1229)二月小十七日丙辰。戌尅大地震。

現代語安貞三年(1229)二月小十七日丙辰。午後八時頃、大地震です。

安貞三年(1229)二月小廿日己未。リ。竹御所并武州室令出三浦三崎津給。是駿河前司義村可搆來迎講之儀由。依申之也。

読下し                    はれ  たけごしょなら    ぶしゅう しつ みうらみさき  つ   いでせし  たま
安貞三年(1229)二月小廿日己未。リ。竹御所并びに武州が室三浦三崎の津@へ出令め給ふ。

これ  するがぜんっじよしむら  らいごうこうの ぎ  かま    べ   よし  これ  もう    よっ  なり
是、駿河前司義村 來迎講之儀を搆へる可き由、之を申すに依て也。

参考@三浦三崎の津は、港を指すので神奈川県三浦市三崎であろう。

現代語安貞三年(1229)二月小二十日己未。晴れです。竹御所と泰時さんの奥さんが、三浦の三崎港へおいでになりました。これは、駿河前司三浦義村がお彼岸の来迎阿弥陀の講座を用意すると云ったからです。

安貞三年(1229)二月小廿一日庚申。〔彼岸初日〕天霽風靜。於三崎海上。有來迎之儀。走湯山淨蓮房依駿河前司之請。爲結搆此儀。兼參儲此所。浮十餘艘之船。其上有件搆。莊嚴之粧映夕陽之光。伎樂音如添晩浪之響也。事訖有説法。其後被召御船。嶋々令歴覽給。

読下し                      〔ひがんのしょにち〕 そらはれかぜしずか  みさき  かいじょう をい    らいごうの ぎ あ
安貞三年(1229)二月小廿一日庚申。〔彼岸初日〕 天霽風靜。 三崎の海上に於て、來迎之儀有り。

そうとうさんじょうれんぼう するがぜんじの こい  よっ    かく  ぎ   けっこう  ため  かね  こ   ところ まい  もう
 走湯山淨蓮房 駿河前司之請に依て、此の儀を結搆の爲、兼て此の所に參り儲く。

じうよそうの ふね  うか    そ   うえ  くだん かま  あ     しょうごんのよそお ゆうひのひかり  は     ぎがく  おと ばんろうのひびき  そ        ごと  なり
十餘艘之船を浮べ、其の上に件の搆へ有り。莊嚴之粧い夕陽之光に映へ、伎樂の音 晩浪之 響に添へるが如く也。

ことをは    せっぽあ     そ   ご おんふね  めされ   しまじま  れきらんせし  たま
事訖りて説法有り。其の後御船を召被、嶋々@を歴覽令め給ふ。

参考@嶋々は、城ヶ島や歌舞島等と思われる。歌舞島は関東大震災以前は独立した島で、船で見ている頼朝に、この島で遊女達が踊って見せたと謂われる。

現代語安貞三年(1229)二月小二十一日庚申。〔お彼岸の初日です〕空は晴れて風も静かです。三崎の海上に来迎阿弥陀の儀式がありました。走湯山浄連坊は駿河前司三浦義村に頼まれて、この儀式の準備のため前もってここへきて用意していました。十数艘の船を浮かべ、その上に来迎儀式のお飾りがしてあります。重々しく厳かな様子が夕日の光を浴びて輝き、音楽の音に夕方の波が響きを添えているようです。式典が終わり坊さんの法話がありました。その後、船に乗って島めぐりをしました。

安貞三年(1229)二月小廿二日辛酉。リ。竹御所已下自三崎還御。駿河前司兼遣四郎家村於杜戸邊。儲御駄餉。盡善極美者也。及黄昏。入御武州御亭。依爲凶會日。竹御所今夜御止宿也。

読下し                     はれ  たけごしょ いげ みさきよ   かんご
安貞三年(1229)二月小廿二日辛酉。リ。竹御所已下三崎自り還御す。

するがぜんじ かね  しろういえむらを もりと へん  つか      ごだしゅう  もう    ぜん  つく  び  きは    ものなり
駿河前司兼て四郎家村於杜戸@邊に遣はし、御駄餉を儲く。善を盡し美を極める者也。

たそがれ  およ   ぶしゅう おんてい  にゅうご    くえにち たる  よっ    たkごしょ こんや ごししゅくなり
黄昏に及び、武州の御亭へ入御す。凶會日A爲に依て、竹御所今夜御止宿也。

参考@杜戸は、神奈川県三浦郡葉山町森戸。
参考A
凶會日は、暦注の一。月ごとに干支(えと)によって最凶とする日。二四種あり、それぞれに忌むべき事柄が定められている。悪日。Goo電子辞書から

現代語安貞三年(1229)二月小二十二日辛酉。晴れです。竹御所たちが、三崎から帰りました。駿河前司三浦義村は、前もって駿河四郎三浦家村を森戸海岸へ行かせて、弁当を用意しておきました。とても豪華なものでした。夕方になって、泰時さんの屋敷へ入りました。今日は縁起の悪い日なので、竹御所はここへお泊りです。

安貞三年(1229)二月小廿三日壬戌。竹御所還御本所。武州被献贈物。御共人々皆賜之。

読下し                     たけごしょ ほんじょ  かんご  ぶしゅうおくりもの けん  られ    おんとも  ひとびとみな これ  たま
安貞三年(1229)二月小廿三日壬戌。竹御所本所へ還御。武州贈物を献じ被る。御共の人々皆、之を賜はる。

現代語安貞三年(1229)二月小二十三日壬戌。竹御所は自分の屋敷へ帰りました。泰時さんはお土産を献上しました。お供の人達にもお土産を配りました。

安貞三年(1229)二月小廿四日癸亥。リ。巳刻。將軍家御不例云々。

読下し                     はれ  みのこく  しょうぐんけ ごふれい  うんぬん
安貞三年(1229)二月小廿四日癸亥。リ。巳刻、將軍家御不例と云々。

現代語安貞三年(1229)二月小二十四日癸亥。晴れです。午前十時頃、将軍頼経様が御病気です。

安貞三年(1229)二月小廿五日甲子。リ。今夜。被始行御不例御祈。泰山府君呪咀靈氣等御祭云々。

読下し                     はれ  こんや   ごふれい   おいの    しぎょうされ    たいさんふくん  じゅそ  れいき ら  おまつり   うんぬん
安貞三年(1229)二月小廿五日甲子。リ。今夜、御不例の御祈りを始行被る。泰山府君、呪咀、靈氣等の御祭と云々。

現代語安貞三年(1229)二月小二十五日甲子。晴れです。今夜、将軍頼経様の病気平癒のお祈りを始めました。泰山府君・呪詛・霊気などの祭だそうな。

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