貞永元年壬辰(1232)十二月大
貞永元年(1232)十二月大五日庚辰。故入道前大膳大夫廣元朝臣存生之時。執行幕府巨細之間。壽永元暦以來自京都到來重書并聞書。人々款状。洛中及南都北嶺以下自武家沙汰來事記録。文治以後領家地頭所務條々式目。平氏合戰之時東士勳功次第注文等文書。随公要。依賦渡右筆輩方。散在所處。武州聞此事。令季氏。淨圓。圓全等。尋聚之。整目録。被送左衛門大夫云々。 |
読下し こにゅうどうだいぜんだいぶひろもとあそん ぞんせいのとき ばくふ こさい しぎょうのあいだ
貞永元年(1232)十二月大五日庚辰。故入道前大膳大夫廣元朝臣存生之時、幕府の巨細を執行之間、
かえいげんりゃくいらい きょうとよ とうらい ちょうしょなら ききが ひとびと
かじょう らくちうおよ
なんとほくれい いげ ぶけ よ さた きた こと きろく
壽永元暦以來
京都自り到來する重書并びに聞書き、人々の款状、洛中及び南都北嶺以下の武家自りの沙汰し來る事の記録。
ぶんじ いご りょうけ
ぢとう しょむ じょうじょう しきもく
へいし
がっせんのとき とうし くんこう しだい ちうもんら もんじょ
文治以後の領家、地頭の所務の條々@の式目。平氏合戰之時の東士の勳功の次第の注文A等の文書。
こうよう したが ゆうひつ やからかた くば
わた よっ しょしょ さんざい
公要に随ひて、右筆の輩方に賦り渡すに依て、所處に散在す。
ぶしゅう こ こと き すえうじ じょうえん
えんぜんら し これ たず
あつ もくろく ととの さえもんたいふ おくらる うんぬん
武州此の事を聞き、季氏、淨圓、圓全等を令て、之を尋ね聚め、目録を整へ、左衛門大夫Bに送被ると云々。
参考@所務の條々は、領地関係の裁判沙汰の記録。
参考A注文は、注進文書。
参考B左衛門大夫は、大江広元の次男泰秀。武蔵国長井庄を受け「長井流大江氏」。
現代語貞永元年(1232)十二月大五日庚辰。故入道前大膳大夫大江広元さんの生前の頃、幕府の色々な業務を執行していて、寿永(1183)元暦(1184)以後の、京都から送ってきた重要書類や人事措置、人々の上申書、京都街内や奈良・比叡山を始めとする武士がかかわった事の記録。文治(1185)以後の上級荘園権利者の領家と現地徴収者の地頭との領地関係の裁判記録。平家との合戦の関東軍の手柄の書き届けた注進文書。公務の用事によって筆記係に配布したので、散逸してしまった。泰時さんはこの話を聞いて、清原季氏・齋藤浄円・法橋円全などに命じて、これを探し求めて目録をきちんと作り、左衛門大夫長井流大江氏長井泰秀に送らせましたとさ。
貞永元年(1232)十二月大十二日丁亥。爲御祈。於御所。轉讀壽命經并一万巻心經。可爲七箇日云々。 |
読下し おんいの ため ごしょ をい じゅみょうきょうなら
いちまんがん しんぎょう てんどく
なぬかにちたるべ うんぬん
貞永元年(1232)十二月大十二日丁亥。御祈りの爲、御所に於て、壽命經并びに一万巻の心經@を轉讀Aす。七箇日爲可きと云々。
参考@心經は、般若心経。
参考A転読は、略式の飛ばし読みのお経を上げる事で、お経を左右にアコーデオンのように片手から片手へ移しながらお経を唱える。摺り読みとも云う。反対にちゃんと読むのを「真読」と云う
現代語貞永元年(1232)十二月大十二日丁亥。お祈りのため御所で、寿命経それに一万巻の般若心経を略読みさせます。七日間だそうです。
貞永元年(1232)十二月大十八日癸巳。岩殿觀音堂加修理之後。今日遂供養。導師三位僧都頼兼也。爲滅門之由。陰陽道雖加難。就觀音縁日。勸進聖人西願宥用之云々。 |
読下し いわどのかんのんどう
しゅうり くは ののち きょう
くよう
と どうし さんみのそうづらいけんなり
貞永元年(1232)十二月大十八日癸巳。岩殿觀音堂@修理を加へる之後、今日供養を遂ぐ。導師は三位僧都頼兼也。
めつもん たるのよし
おんみょうどう
なん くは いへど かんのん えんにち
つ かんじんしょうにん さいがん これ なだ
もち うんぬん
滅門A爲之由、陰陽道
難を加へると雖も、觀音の縁日Bに就き、 勸進聖人 西願
之を宥め用いると云々。
参考@岩殿觀音堂は、神奈川県逗子市久木5丁目7の岩殿寺。坂東三十三観音第二番札所。
参考A滅門は、滅門日で陰陽道で、万事に凶の日。人の生まれ年によって定まるという。
参考B觀音の縁日は、毎月18日は観音さまの「ご縁日」。
現代語貞永元年(1232)十二月大十八日癸巳。逗子の岩殿観音堂(岩殿寺)を修理し終えたので、今日開眼供養の法要を行いました。指導僧は三位僧都頼兼です。万事に凶の滅門日だと陰陽師が難癖を付けたが、観音様の縁日の18日なので、復興寄付収集者の勧進聖の西願が解いて決めましたとさ。
貞永元年(1232)十二月大廿三日戊戌。武藏國惣檢校職并國檢之時事書等國中文書加判。及机催促加判等事。父重員讓状。河越三郎重資如先例可致沙汰之由被仰云々。 |
読下し むさしのくに
そうけんぎょうしきなら こっけんの とき ことがきら くにちう もんじょかはん
貞永元年(1232)十二月大廿三日戊戌。武藏國 惣檢校職@并びに國檢之時Aの事書等、國中の文書加判、
およ つくえさいそく かはんら こと ちち
しげかず ゆずりじょう かわごえのさぶろうしげすけ
せんれい ごと さた いた べ のよしおお らる うんぬん
及び机催促Bの加判等の事、父
重員が 讓状、 河越三郎重資
先例の如く沙汰致す可し之由仰せ被ると云々。
参考@惣檢校職は、国司代行軍事権。秩父氏の重綱→重隆→能隆→河越太郎重頼と継いできたが、重頼が義経の連座で殺され畠山重忠へ与えられていた。
参考A國檢之時は、国司交代の引継ぎらしい。
参考B机催促は、武蔵国でのみ軍勢催促をこう呼んだらしい。他には出てこない単語。
現代語貞永元年(1232)十二月大二十三日戊戌。武蔵国の国司代行軍事権職それと国司交代の引継ぎ文書など、国中の文書への署名、それに軍勢催促文書への署名について、父重員からの譲与書類は、河越三郎重資に先例通りの処理権を与えると仰せになりましたとさ。
貞永元年(1232)十二月大廿四日己亥。雪降。當時京都事。大相國被進御記。七月廿九日御即位叙位。今月二日御即位。五日行幸官廳。十二日攝政從一位拝賀。十四日秋除目云々。 |
読下し ゆきふ とうじ
きょうと こと だいしょうこくおんき すす らる
貞永元年(1232)十二月大廿四日己亥。雪降る。當時京都の事、大相國御記を進め被る。
しちがつにじうくにち ごそくい じょい こんげつふつか ごそくい いつか
かんちょう ぎょうこう じうににちせっしょうじゅいちいはいが じうよっかさき じもく うんぬん
七月廿九日
御即位叙位、今月二日御即位、五日
官廳に行幸。十二日攝政從一位拝賀。十四日秋の除目と云々。
現代語貞永元年(1232)十二月大二十四日己亥。雪が降る。最近の京都について、猪熊関白近衛家実が記述を送ってきました。7月29日に四条天皇の即位のための位階。今月2日四条天皇即位、5日役所へお出かけ。12日摂政九条教実が従一位のお礼参り。14日が秋の人事異動だそうな。
貞永元年(1232)十二月大廿七日壬寅。後藤大夫判官基綱大倉堂供養。導師弁僧正定豪。奉爲故右府將軍追善。成建立之功云々。 |
読下し ごとうのたいふほうがんもとつな おおくらどう くよう どうし べんのそうじょうていごう
貞永元年(1232)十二月大廿七日壬寅。後藤大夫判官基綱、大倉堂@供養。導師は弁僧正定豪。
こうふしょうぐん
ついぜん おほんため こんりゅうのこう な うんぬん
故右府將軍の追善の
奉爲、 建立之功を成すと云々。
参考@大倉堂は、江戸時代の鎌倉欗勝考に植田孟縉が理智光寺だと云ってる。天保年間の事である。
現代語貞永元年(1232)十二月大二十七日壬寅。後藤大夫判官基綱が、大倉堂の開眼供養です。指導僧は弁僧正定豪。これは故右大臣実朝様の(地獄へ落ちないための)追善供養の恩返しに建立したそうです。
貞永元年(1232)十二月大廿九日甲辰。在京御家人者。大番不能勤仕之由被定。又於禁中節會之時。大番衆下人等爲見物參入之間。嗷々狼藉之由。依有其聞。可停止之。次和市賣買之間。奸謀之輩横行所々。可加懲肅云々。 |
読下し ざいきょうごけにんは おおばん
ごんじ あたはざるのよし さだ らる
貞永元年(1232)十二月大廿九日甲辰。在京御家人者、大番の勤仕に不能之由
定め被る。
また きんちう
をい せちえ
のとき おおばんしゅう げにんら けんぶつ ため さんにゅうのあいだ がうがう
ろうぜきのよし
又、禁中@に於て節會A之時、大番衆 下人等 見物の爲、參入 之間、嗷々
狼藉之由、
そ きこ あ よっ これ ちょうじすべ
其の聞へ有るに依て、之を停止可し。
つぎ わし ばいばいのあいだ かんぼうのやから
しょしょ おうこう ちょうしゅく くは べ うんぬん
次に和市B賣買之間、 奸謀之輩 所々に横行す。懲肅を加へる可しと云々。
参考@禁中は、宮中。
参考A節會は、節日(せちにち)その他公事のある日に宮中で行われた宴会。この日には天皇が出御し、群臣に酒饌を賜った。平安時代に盛んとなり、元日・白馬(あおうま)・踏歌(とうか)・端午・豊(とよ)の明かりは五節会として重視された。Goo電子辞書から
参考B和市は、古代・中世の市場における双方の合意に基づいた売買行為。また、その合意による売買価格。相場。Goo電子辞書から 反語に強市がある。
現代語貞永元年(1232)十二月大二十九日甲辰。京都駐在の御家人は、京都御所警備の大番に勤務しなくて良いと決めました。
又、宮中での五節会の時、大番の侍は見物のために入るとガアガアと騒がしいふるまいをすると、聞こえて来たのでこれを止めるように。
次に双方の合意に基づく売買取引の際に、悪だくみの連中があちこちに徘徊している。厳罰を加えるようにとの事でした。