吾妻鏡入門第廿九巻

文暦二年未(1235)閏六月大

文暦二年(1235)閏六月大三日甲午。上野入道辞申評定衆。是短慮迷易。不弁是非之間。無所于欲献意見云々。武州被仰云。五月初參。今月辞退。物忩事歟云々。上州重申云。初參之日。即雖可辞申之。爲胎眉目於子葉。憖懸其号。渉一兩月訖。於今者難參懃云々。此上有許容。

読下し                     こうづけにゅうどう ひょうじょうしゅう  じ   もう
文暦二年(1235)閏六月大三日甲午。上野入道、 評定衆 を辞し申す。

これ  たんりょまよ  やす     ぜひ  わきま ざるのあいだ  いけん  けん      ほっ    に ところな    うんぬん
是、短慮迷い易く、是非を弁へ不之間、意見を献ぜんと欲する于所無しと云々。

ぶしゅう  おお  られ  い       ごがつ  ういざん  こんげつ  じたい  ぶっそう  ことか  うんぬん じょうしゅうかさ   もう    い
武州、仰せ被て云はく。五月の初參、今月の辞退、物忩の事歟と云々。上州重ねて申して云はく。

ういざんの ひ  すなは これ  じ   もう  べ    いへど    びもく を しよう  のこ    ため なまじい そ  ごう  か     いちりょうげつ わた をはんぬ
初參之日、即ち之を辞し申す可きと雖も、眉目@於子葉Aに胎さん爲、憖に其の号を懸け、一兩月に渉り訖。

いま  をい  は さんきん  がた   うんぬん  かく  うえ  きょようあ
今に於て者參懃し難しと云々。此の上は許容有り。

参考@眉目は、名誉。
参考A子葉は、子孫。

現代語文暦二年(1235)閏六月大三日甲午。上野入道結城朝光は、政務会議員の評定衆を辞退したいと申し出ました。「私は、思慮深くなく、しかも優柔不断で、事の是非を云えませんので、意見を申し上げたくても出来そうにもありません。」との事です。武州泰時さんが仰せになられたのは「5月に初登庁されたばかりで6月に辞退するなんて、せっかち過ぎません?」と問われると、朝光が続けて云うのには「初登庁の日にすぐに辞退するべきでしたが、名誉を子孫に残したいばかりに、よせばいいのにその呼び名を頂戴して一・二月にもなりました。今では無理だと承知しております。」との事でしたので、許可されました。

文暦二年(1235)閏六月大廿八日己未。今日。被定起請失之篇目。所謂鼻血出事。書起請文後病事〔但除本病者〕。鵄烏矢懸事。爲鼠被喰衣裳事。自身中令下血事〔但除用楊枝時并月水及痔病者〕。重輕服事。父子罪科出來事。飮食時咽事〔但被打背之程可定失者〕。乘用馬斃事。已上九ケ條。是於政道。以無私爲先。而論事有疑。决是非無端。故仰神道之冥慮。可被糺犯否云々。信濃右衛門尉行泰。圖書允C時。C判官C原季氏等爲奉行申沙汰之云々。

読下し                       きょう   きしょうしつの へんもく  さだ  られ
文暦二年(1235)閏六月大廿八日己未。今日、起請失之篇目@を定め被る。

いはゆる  はなぢ いだ  こと  きしょうもん  か   のち やまい こと 〔ただし ほんびょう はのぞ  〕  とび  からす くそ か    こと
所謂、鼻血出す事、起請文を書く後の病の事〔但し本病A者除く〕鵄、烏の矢懸くる事、

ねずみ ためいしょう  くはれ   こと  からだ よ   ち   くだ  せし  こと  〔ただ   ようじ   もち     とき なら     げっすいおよ  じびょう  もの  のぞ  〕
鼠の爲衣裳を喰被る事、身中自り血を下り令む事〔但し楊枝を用ゐる時并びに月水及び痔病の者を除く〕

ちょうけいぶく こと   ふし   ざいか い  きた  こと  いんしょくじ  むせ  こと  〔ただ  せ   うたれ    のほど   しつ  さだ   べ   てへり〕
重輕服の事、父子に罪科出で來る事、飮食時に咽ぶ事〔但し背を打被る之程を失と定む可し者〕

じょうよう うまたお    こと  いじょう  きゅうかじょう
乘用の馬斃るる事、已上の九ケ條。

これ  せいどう  をい      し な     もっ  せん  な     しか    こと  ろん  うたが あ        ぜひ   けっ      たんな
是、政道に於ては、私無きを以て先と爲すB。而るに事を論じ疑い有りて、是非を决するに端無しC

ことさら しんどうのめいりょ  あお    はんぴ  たださる  べ     うんぬん
 故に神道之冥慮を仰ぎ、犯否を糺被る可きと云々。

しなののうえもんのじょうゆきやす  づしょのじょうきよとき せいんほうがんきよはらすえうじら ぶぎょう な   これ  もう   さた     うんぬん
 信濃右衛門尉行泰、 圖書允C時、 C判官C原季氏等 奉行と爲し之を申し沙汰すと云々。

参考@起請失之篇目は、参篭起請文の効果を失う条件。
参考A
本病は、本(元、前)からの病気。
参考B
私無きを以て先と爲すは、えこひいきをしない。
参考C端無しは、証拠がない。

現代語文暦二年(1235)閏六月大廿八日己未。今日、約束事の時に制約する起請文の効果が無くなる場合を決めました。それは、

1、鼻血を出す事。2、起請文を書いた後病気になる事〔但し、以前からの病気は除く〕。3、鳶や烏にフンをかけられる事。4、ネズミに衣装をかじられること。5、体から出血する事〔但し爪楊枝を使った時と生理と痔を除く〕。6、喪が生じた時。7、父か子が犯罪を犯した時。8、食事中にむせた時〔但し背中を討ってもらわなければならない程の時〕。9、何時も乗っている馬が死んだとき。以上の9条です。

それに政治的判断はえこひいきをしない事をまず第一とする。しかし、訴訟での論議に疑いが生じて、是非を決めにくい時は、特に神様の御判断を仰いで、有罪無罪をはんだんするようにとの事だそうな。信濃右衛門尉二階堂行泰・図書允清原清時・判官清原季氏たちが、担当としてこれを説明して取り決めましたとさ。

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