文暦二年乙未(1235)七月小
文暦二年(1235)七月小二日癸亥。所職所帶并堺相論事。爲非據者。可被召所領。無所領者。可被處罪科之旨。兩方召取請文之後。可糺明之由被定。且被仰六波羅云々。 |
読下し しょしきしょたいなら さかいそうろん こと ひきょたらば しょりょう めされ べ
文暦二年(1235)七月小二日癸亥。所職所帶并びに堺相論の事、非據爲者、所領を召被る可し。
しょりょうな ば ざいか しょされ べ のむね りょうほううけぶみ め と ののち ただ あか べ のよしさだ らる
所領無くん者、罪科に處被る可き之旨、兩方請文を召し取る之後、糺し明す可き之由定め被る。
かつう ろくはら おお らる
うんぬん
且は六波羅へ仰せ被ると云々。
現代語文暦二年(1235)七月小二日癸亥。持っている役職(地頭職)やそれに付随する領地の境界裁判について、もし嘘があれば領地を没収する。領地がなければ刑法で罰せられる事を、双方から承諾書を取った上で、裁判をするようにお決めになりました。それを六波羅へも通知しましたとさ。
文暦二年(1235)七月小廿三日甲申。被仰六波羅條々事。先京都刄傷殺害人事。爲武士輩於相交者。可爲使廳沙汰。犯過断罪事。爲夜討強盜張本所犯無所遁者。可被断罪。枝葉輩者。召進關東。可被遣夷嶋也。次大番事。被定次第之處。替番衆遲々之間。前番衆勤仕超一兩月。令遲參輩者。二ケ月可勤入也者。又都鄙之間。有急事之時。相互所立之飛脚。爲早速。取路次往反馬。騎用之條。人之所愁也。向後可搆乘馬已下事於驛々之由。今日被定云々。 |
読下し ろくはら おお らる じょうじょう こと
文暦二年(1235)七月小廿三日甲申。六波羅へ仰せ被る條々の事、
ま きょうと にんじょう
せつがいにん こと ぶし やから な あいまじ をい は しちょう さた たるべ
先ず京都の刄傷
殺害人 の事、武士の輩と爲して相交はるに於て者、使廳の沙汰@爲可き。
しょか だんざい こと ようち
ごうとう ちょうほん な しょはんのが
ところな ば だんざい さる べ
犯過断罪の事、夜討強盜の張本Aと爲し所犯遁れる所無くん者、断罪B被る可き。
しよう やからは かんとう め すす えぞがしま つか さる べ なり
枝葉Cの輩者、關東へ召し進め、夷嶋Dへ遣は被る可き也。
つぎ おおばん
こと しだい さだ らる のところ かえ ばんしゅう
ちちのあいだ
次に大番の事、次第に定め被る之處、替の番衆遲々之間、
まえ ばんしゅう ごんじ
いちりょうげつ こ ちさん
せし やからは にかつき つと い べ
なりてへ
前の番衆が勤仕
一兩月を超へE、遲參令むる輩者、二ケ月勤め入る可きF也者り。
また とひのあいだ きゅう ことあ のとき そうご
た ところのひきゃく
又、都鄙之間、急の事有る之時、相互に立てる所之飛脚、
さっそく
ため ろじ おうはん うま と きようのじょう ひとの
うれ ところなり
早速の爲、路次往反の馬を取りG、騎用之條、人之愁う所也。
きょうこう
じょうば いげ ことを
うまやうまや かま べ のよし きょう さだ らる うんぬん
向後は、乘馬已下の事於
驛々に搆う可き之由、今日定め被ると云々。
参考@使廳の沙汰は、檢非違使の庁に任せる。
参考A張本は、主犯。
参考B断罪は、死刑。
参考C枝葉は、子分。
参考D夷嶋は、北海道。
参考E一兩月を超へは、延長が一月以上になったら。
参考F二ケ月勤め入る可きは、二倍の月勤める。
参考G路次往反の馬を取りは、道中の他人の馬を取って。
現代語文暦二年(1235)七月小二十三日甲申。六波羅探題へ通知した条文について、まず、京都市街での傷害・殺人については、武士であっても罪人ならば京都朝廷の治安担当検非違使の庁に任せなさい。犯罪者の処分については、夜討強盗の主犯は、歴然としていて逃れようがない奴は死刑。子分の連中は鎌倉へ護送してきて、取り調べの上北海道へ島送りにする。次に京都朝廷警備の大番役については、規則に定めてあるのに、交代要員が遅れて来た時に、前任者の延長が一か月を超える様な事があれば、遅れて来たやつは二か月勤務させなさい。又、京都と鎌倉の間に、急報がある時に、そうぞれぞれ走らせる伝令が、急いでいるために、道中の他人の馬を取って乗ってしまうので、庶民が嘆いております。今後は、乗り換え馬などは宿駅ごとに用意しておくように、今日お決めになりましたとさ