吾妻鏡入門第廿九巻

嘉禎元年未(1235)十一月小

嘉禎元年(1235)十一月小十八日丁丑。將軍家御不例。兩國司以下群參云々。良基朝臣祗候。

読下し                      しょぐんけ ごふれい  りょうこくし いげ ぐんさん    うんぬん  よしもとあそん しこう
嘉禎元年(1235)十一月小十八日丁丑。將軍家御不例。兩國司以下群參すと云々。良基朝臣祗候す。

現代語嘉禎元年(1235)十一月小十八日丁丑。将軍頼経様が病気です。時房さんと泰時さんの両国司を始め多くの御家人が訪れました。医者の権侍医丹波良基さんが診察をしております。

嘉禎元年(1235)十一月小十九日戊寅。今曉。始行御不例御祈祷。泰山府君祭忠尚。七曜供珎譽法印。此外。鬼氣天曹地苻等祭及數座云々。

読下し                      こんぎょう   ごふれい   ごきとう   しぎょう    たいさんふくんさい ただなお  しちようぐ  ちんよほういん
嘉禎元年(1235)十一月小十九日戊寅。今曉、御不例の御祈祷を始行す。泰山府君祭@は忠尚。七曜供Aは珎譽法印。

こ   ほか   きき てんそうちふ ら  まつり  すうざ  およ    うんぬん
此の外、鬼氣天曹地苻B等の祭、數座に及ぶと云々。

参考A七曜供は、一週間の日月火水目金七天体信仰の護摩炊き。
参考B天曹地府祭は、陰陽道で、冥官(みょうかん)を祭って戦死者の冥福などを祈る儀式。六道冥官祭。

現代語嘉禎元年(1235)十一月小十九日戊寅。今朝夜明けに病気平癒の御祈祷を始めました。泰山府君祭は安陪忠尚。一週間の天体信仰の護摩炊きは珍与法印。この他に、悪鬼祓の鬼気祭や冥官を祭る天曹地府祭を何人にもやらせましたとさ。

解説@泰山府君祭は、安倍晴明が創始した祭事で月ごと季節ごとに行う定期のものと、命に関わる出産、病気の安癒を願う臨時のものがあるという。「泰山府君」とは、中国の名山である五岳のひとつ東嶽泰山から名前をとった道教の神である。陰陽道では、冥府の神、人間の生死を司る神として崇拝されていた。延命長寿や消災、死んだ人間を生き帰らすこともできたという。

嘉禎元年(1235)十一月小廿六日乙酉。京都使者參。去十九日將軍家叙從二位御云々。

読下し                       きょうと  ししゃ まい    さんぬ じうくにち しょうぐんけ  じゅにい   じょ  たま    うんぬん
嘉禎元年(1235)十一月小廿六日乙酉。京都の使者參る。去る十九日將軍家、從二位に叙し御うと云々。

現代語嘉禎元年(1235)十一月小二十六日乙酉。京都朝廷の使いが来ました。先日の19日に将軍頼経様が従二位に任命されましたとさ。

嘉禎元年(1235)十一月小廿八日丁亥。去十九日大嘗會無風雨難。其間事。自京都被奉記録。今日到着。大膳權大夫於御前讀申之。

読下し                       さんぬ じうくにち  だいじょうえ ふうう  なんな     そ  あいだ こと  きょうと よ   きろく たてまつられ きょう とうちゃく
嘉禎元年(1235)十一月小廿八日丁亥。去る十九日の大嘗會@風雨の難無し。其の間の事、京都自り記録を奉被、今日到着す。

だいぜんごんのたいふ ごぜん  をい  これ  よ   もう
 大膳權大夫 御前に於て之を讀み申す。

参考@大嘗会は、天皇の即位後最初の新嘗祭(しんじょうさい)。一代一度の祭事。

現代語嘉禎元年(1235)十一月小二十八日丁亥。先日の19日の大嘗会は風雨の妨げもありませんでした。その日の出来事が京都から文書で贈られて、今日届きました。大膳権大夫中原師員さんが将軍頼経様さんの前で読み上げました。

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