吾妻鏡入門第卅一巻  

嘉禎二年丙申(1236)五月大

嘉禎二年(1236)五月大五日庚申。霽。鶴岳宮神事如例。將軍家御參。

読下し                   はれ つるがおかぐう しんじ れい  ごと    しょうぐんけぎょさん
嘉禎二年(1236)五月大五日庚申。霽。鶴岳宮の神事例の如し。將軍家御參。

現代語嘉禎二年(1236)五月大五日庚申。晴れました。鶴岡八幡宮での端午の節句の神事は何時もの通りです。将軍頼経様もお参りです。

嘉禎二年(1236)五月大廿四日己夘。新造御所築地。七月中可修功之旨。被定之。佐渡守基綱。藤内大夫判官定員爲奉行云々。

読下し                     しんぞう   ごしょ   ついぢ   しちがつちう  こう  おさ  べ   のむね  これ  さだ  らる
嘉禎二年(1236)五月大廿四日己夘。新造の御所の築地、七月中に功を修む可し之旨、之を定め被る。

さどのかみもとつな  とうないたいふほうがんさだかず ぶぎょうたり  うんぬん
佐渡守基綱、 藤内大夫判官定員 奉行爲と云々。

現代語嘉禎二年(1236)五月大二十四日己卯。新築中の御所の築地塀の土盛工事は、7月中に工事を終わるように、お決めになりました。佐渡守後藤基綱と藤内判官大夫藤原定員が指揮担当です。

嘉禎二年(1236)五月大廿五日庚辰。武州爲令下向伊豆國給。有出門之儀。來月一日。可被入北條。五月中依有其憚也。

読下し                     ぶしゅう いずのくに  げこう せし  たま    ため  しゅつもんのぎあ    らいげつついたち ほうじょう はいられ  べ
嘉禎二年(1236)五月大廿五日庚辰。武州伊豆國へ下向令め給はん爲、出門之儀有り。來月一日、北條へ入被る可し。

ごがつちう   そ  はばか  あ     よっ  なり
五月中は其の憚り有るに依て也。

現代語嘉禎二年(1236)五月大二十五日庚辰。武州泰時さんが伊豆へおくだりになるため、門を出る儀式がありました。北条へ行くのです。5月中に北条へ入るのは、縁起が悪いからです。

嘉禎二年(1236)五月大廿七日壬午。武州被進發。是依相當故右京兆〔義時〕十三年。於北條爲被修御佛事也。

読下し                     ぶしゅうしんぱつされ
嘉禎二年(1236)五月大廿七日壬午。武州進發被る。

これ  こうけいちょう 〔よしとき〕   じうさんねん  あいあた    よっ    ほうじょう をい  おんぶつじ  しゅうされ  ためなり
是、故右京兆〔義時〕の十三年に相當るに依て、北條に於て御佛事を修被ん爲也。

現代語嘉禎二年(1236)五月大二十七日壬午。武州泰時さんが出発です。これは、故右京兆義時さんの十三回忌にあたるので、北条で法事を行うためです。

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