吾妻鏡入門第卅一巻  

嘉禎三年丁酉(1237)十月小

嘉禎三年(1237)十月小四日壬午。天變御祈等被行之。

読下し                   てんぺん おいのりら これ  おこなはれ
嘉禎三年(1237)十月小四日壬午。天變の御祈等之を行被る。

現代語嘉禎三年(1237)十月小四日壬午。天変地異のお祈りなどを行いました。

嘉禎三年(1237)十月小九日丁亥。未刻白雲亘天。

読下し                   ひつじのこく はくうんてん  わた
嘉禎三年(1237)十月小九日丁亥。 未刻 白雲天を亘る。

現代語嘉禎三年(1237)十月小九日丁亥。午後二時頃に白雲が空を渡って行きました。

嘉禎三年(1237)十月小十六日甲午。信濃國善光寺五重塔婆供養也。淨定上人爲大勸進。々々知識奉加云々。導師等大貳律師圓仙。咒願齋圓能登阿闍梨。依此事。去五日。別當勝舜自本寺下着云々。

読下し                     しなののくに ぜんこうじ  ごじょうとうば くよう なり  じょうじょうしょうにん だいかんじん  な    かんじん ちしき ほうが    うんぬん
嘉禎三年(1237)十月小十六日甲午。信濃國 善光寺の五重塔婆供養也。 淨定上人 大勸進を爲す。々々知識@奉加Aすと云々。

どうし ら   だいにのりっしえんせん  じゅがん  さいえんのと あじゃり   かく  こと  よっ    さんぬ いつか  べっとう しょうしゅん ほんじ よ   げちゃく    うんぬん
導師等は大貳律師圓仙。咒願は齋圓能登阿闍梨。此の事に依て、去る五日、別當 勝舜 本寺B自り下着すと云々。

参考@知識は、坊主。
参考A
奉加は、寺社の建設などの際に金品を寄進すること。Goo電子辞書からここでは勧進坊主が金を集めたの意。
参考B本寺は、三井寺園城寺。

現代語嘉禎三年(1237)十月小十六日甲午。信濃国善光寺の五重塔の落成開眼供養です。浄定上人が寄付を集める総元締めの大勧進をしました。勧進聖の坊さん達が金品を集めたそうな。指導僧は大二律師円仙。施主の願を唱えるのは斉円能登阿闍梨。この慶事に出席するため筆頭の勝瞬は先日の五日に三井寺から下って来たそうな。

嘉禎三年(1237)十月小十九日丁酉。駿河掃部權助泰村。於御所献盃酒。匠作京兆以下群集云々。

読下し                    するがかもんごんのすけやすむら  ごしょ  をい  はいしゅ  けん   しょうさく けいちょう いげ む  つど    うんぬん
嘉禎三年(1237)十月小十九日丁酉。駿河掃部權助泰村@、御所に於て盃酒を献ず。匠作、京兆以下群れ集うと云々。

参考@駿河掃部權助泰村は、三浦泰村で最近掃部權助を任命されたのでお礼の盃酒らしい。

現代語嘉禎三年(1237)十月小十九日丁酉。駿河掃部権助三浦泰村が、御所でお酒を献上しました。匠作時房さん・京兆泰時さん以下が集まりましたとさ。

嘉禎三年(1237)十月小廿五日癸夘。大夫判官定員自京都歸參。去二日。大殿准后太政入道。爲御參天王寺。万燈會供養云々。

読下し                     たいふほうがんさだかずきょうよ   きさん
嘉禎三年(1237)十月小廿五日癸夘。大夫判官定員京都自り歸參す。

さんぬ ふつか  おおとの じゅんごう だじょうにゅうどう  てんのうじ  ぎょさんたり  まんとうえ  くよう   うんぬん
去る二日、大殿@、准后A、太政入道B。天王寺へ御參爲。万燈會Cの供養と云々。

参考@大殿は、九条道家。
参考A
准后は、母方の伯母准后掄子。
参考B太政入道は、西園寺公経。
参考C
万灯会は、沢山の灯明をともして仏・菩薩を供養し、衆人の罪障を懺悔し、減罪を祈願する法会。

現代語嘉禎三年(1237)十月小二十五日癸卯。大夫判官藤原定員が京都から帰って来ました。去る二日に、大殿九条道家・准后掄子。太政入道西園寺公経、四天王寺へお参りです。多くの灯明を灯し減罪を祈願する法会だそうな。

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