嘉禎三年丁酉(1237)十一月大
嘉禎三年(1237)十一月大一日戊申。霽。將軍家被始二所御精進。 |
読下し はれ しょうぐんけ にしょ ごしょうじん はじ らる
嘉禎三年(1237)十一月大一日戊申。霽。將軍家二所の御精進を始め被る。
現代語嘉禎三年(1237)十一月大一日戊申。晴れました。将軍頼経様は、箱根・伊豆両権現へお参りのための精進潔斎を始めました。
嘉禎三年(1237)十一月大七日甲寅。小雨降。辰刻御進發。丑刻甚雨洪水。稻瀬河邊民屋數十餘宇流失。下女二人漂没云々。 |
読下し こさめ ふ たつのこくごしんぱつ
うしのこく はなは あめ こうずい
嘉禎三年(1237)十一月大七日甲寅。小雨降る。辰刻御進發。丑刻
甚だ雨、洪水。
いなせがわへん みんや すうじゅうう りゅうしつ げじょふたりひょうぼつ うんぬん
稻瀬河邊@の民屋數十餘宇流失し、下女二人漂没すと云々。
参考@稻瀬河は、鎌倉市内南西の長谷の交差点の東側を南北に流れる川。川の名前を捩って「イナセ」から後に芝居で白波五人男が揃うのもここである。
現代語嘉禎三年(1237)十一月大七日甲寅。小雨が降ってます。午前八時頃出発です。午前二時頃大雨で洪水。稲瀬河附近の民家数十軒が流され、しもべの女二名が海へ流されたそうです。
嘉禎三年(1237)十一月大八日乙夘。筥根御奉幣。有御經供養。導師大納言律師隆弁〔依此事。自鎌倉被召具〕。 |
読下し はこね ごほうへい おきょう
くよう あ
嘉禎三年(1237)十一月大八日乙夘。筥根@へ御奉幣。御經の供養有り。
どうし だいなごんりっしりゅうべん 〔かく こと よっ かまくら よ めしぐ され 〕
導師は大納言律師隆弁A〔此の事に依て、鎌倉自り召具被る〕。
参考@筥根は、神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1箱根神社。旧名は筥根權現。
参考A隆辨は、藤原隆房(四条隆房・冷泉隆房)の息子。母は葉室光雅の娘。
現代語嘉禎三年(1237)十一月大八日乙卯。箱根神社へ幣を捧げました。お経の法要もありました。指導僧は大納言律師隆弁〔このために鎌倉から連れて来たのです〕。
嘉禎三年(1237)十一月大九日丙辰。三嶋。 |
読下し みしま
嘉禎三年(1237)十一月大九日丙辰。三嶋@。
参考@三島は、静岡県三島市大宮町2−1−5所在の三島大社。
現代語嘉禎三年(1237)十一月大九日丙辰。三島宿です。
嘉禎三年(1237)十一月大十一日戊午。伊豆山。 |
読下し いずさん
嘉禎三年(1237)十一月大十一日戊午。伊豆山@。
参考@伊豆山は、静岡県熱海市伊豆山708−1静岡県熱海市の走湯神社。伊豆山神社。旧名は走湯權現。
現代語嘉禎三年(1237)十一月大十一日戊午。伊豆山権現走湯神社。
嘉禎三年(1237)十一月大十二日己未。天霽。自二所還御。 |
読下し そらはれ にしょ よ かへ
たま
嘉禎三年(1237)十一月大十二日己未。天霽。二所自り還り御う。
現代語嘉禎三年(1237)十一月大十二日己未。空は晴れました。二所詣からお帰りです。
嘉禎三年(1237)十一月大十六日癸亥。子剋月犯填星云々。 |
読下し ねのこく つき しんせい
おか うんぬん
嘉禎三年(1237)十一月大十六日癸亥。子剋、月、填星を犯すと云々。
現代語嘉禎三年(1237)十一月大十六日癸亥。夜中の零時頃、月が土星の軌道を犯しましたとさ。
嘉禎三年(1237)十一月大十七日甲子。駿河式部丞泰村献奥州駒五疋於御所云々。 |
読下し するがのしきぶのじょうやすむら おうしゅうごま
ごひきを ごしょ けん うんぬん
嘉禎三年(1237)十一月大十七日甲子。
駿河式部丞泰村、 奥州駒@五疋於御所へ献ずと云々。
参考@駒は、体高4尺以下の馬を指す。4尺を越えると龍蹄と云い、一寸ごとに数え、頼朝は4尺8寸の八寸(やき)が好きだったらしい。
現代語嘉禎三年(1237)十一月大十七日甲子。駿河式部丞三浦泰村が、東北産の小型馬五頭を御所へ献上しました。