吾妻鏡入門第卅三巻

延應元年己亥(1239)九月大

延應元年(1239)九月大十一日丁丑。諸國地頭等以山僧并商人借上輩補代官事。一切被停止。是爲貪當時之利潤。不顧後日之煩。以如此輩。補置代官之間。偏忘公物備。只廻私用計之由。依有其聞也。

読下し                     しょこく   じとうら やまそう なら   しょうにんかりあげ やから もっ  だいかん ぶ  こと  いっさいちょうじさる
延應元年(1239)九月大十一日丁丑。諸國の地頭等山僧@并びに商人借上Aの輩を以て代官に補す事、一切停止被る。

これ  とうじの りじゅん  むさぼ   ため  ごじつのわずら かえりみざる かく  ごと  やから もっ    だいかん  ぶ   お  のあいだ
是、當時之利潤を貪らん爲、後日之煩ひを顧不此の如き輩を以て、代官に補し置く之間、

ひとへ くもつ  そなえ わす   ただ し はかり もち  めぐ    のよし  そ   きこ  あ     よっ  なり
偏に公物の備を忘れ、只私の計を用い廻らす之由、其の聞へ有るに依て也。

参考@山僧は、比叡山の僧侶だが祠堂銭と云って高利貸しをしている。
参考A
借上は、質屋。

現代語延応元年(1239)九月大十一日丁丑。諸国の地頭が、比叡山の坊主や、商人・質屋の連中を使って代官に任命することを一切禁止する。これは営利を追求するために後の事を心配しないので、このような連中を代官をして任命しておくから、公の納税の準備をせずに、ただただ個人の利益の事しか考えていないのだと、耳に入ってきているからです。

延應元年(1239)九月大十六日壬午。京都道々之輩。号武士作手。好付沙汰之由。被聞食及之間。可停止之旨。被仰六波羅云々。

読下し                     きょうと  みちみちのやから  ぶし   さくて   ごう    この     さた    つ     のよし
延應元年(1239)九月大十六日壬午。京都の道々之輩@、武士の作手Aと号し、好みて沙汰を付ける之由、

きこ  め   およ  さる  のあいだ  ちょうじすべ  のむね   ろくはら   おお  らる    うんぬん
聞へ食し及ば被る之間、停止可き之旨、六波羅へ仰せ被ると云々。

参考@道々之輩は、細工職人。
参考A作手は、作手注文。荘園における農民の耕作権。

現代語延応元年(1239)九月大十六日壬午。京都の細工職人の連中が、武士の荘園の耕作者だと云って、その権力を乱用していると噂が入っているので、止めさせるように、六波羅探題へ申し伝えましたとさ。

延應元年(1239)九月大廿一日丁亥。尾張國住人中嶋左衛門尉宣長者。承久逆乱之時。爲官軍之由有沙汰。被収公所領。然而當時候御所中。頻依愁申之。於屋敷田畠者可付渡之旨。今日被仰付西郡中務丞云々。

読下し                     おわりのくに じうにん なかじまさえもんのじょうのぶなが は じょうきゅう ぎゃくらんのとき
延應元年(1239)九月大廿一日丁亥。尾張國 住人 中嶋左衛門尉宣長@者、 承久 逆乱之時、

かんぐん たるのよし さた あ       しょりょう しゅうこうさる
官軍 爲之由沙汰有りて、所領を収公被る。

しかれども とうじごしょちう  そうら     しき    これ  うれ  もう     よっ    やしき でんぱく  をい  は ふ   わた  べ  のむね
然而、當時御所中に候ひ、頻りに之を愁ひ申すに依て、屋敷田畠に於て者付し渡す可き之旨、

きょう にしごおりなかつかさのじょう おお  つけらる    うんぬん
今日 西郡中務丞 に仰せ付被ると云々

参考@中嶋左衛門尉宣長は、現愛知県名古屋市中区らしい。

現代語延応元年(1239)九月大二十一日丁亥。尾張國の在地武士の中島左衛門尉宣長は、承久の乱の時に、官軍についていたと判断され、領地を取り上げられました。しかし、現在将軍御所に勤めており、さかんにその事を嘆き訴えるので、屋敷とその付属している田畑(門田)だけは、返してあげるように、今日、錦織中務丞に命じましたとさ。

延應元年(1239)九月大卅日丙申。霽。今日評議。御家人妻改嫁事。致所領之成敗。行家中之雜事。於令現形者。可有其誡之由被定云々。」入夜。於御所有和歌御會。題。行路紅葉。曉擣衣。九月盡。右馬權頭。北條左親衛。相摸三郎入道。伊賀式部大夫入道。兵庫頭。佐渡判官等各献懷紙。

読下し                   はれ   きょう ひょうぎ     ごけにん   つまあらた か     こと
延應元年(1239)九月大卅日丙申。霽。今日評議す。御家人の妻改め嫁する事@

しょりょうのせいばい  いた    かちうに ぞうじ  おこな  げんぎょうせし   をい  は   そ  いさ  あ   べ   のよしさだ  らる     うんぬん
所領之成敗を致しA、家中之雜事を行ひB、現形令むに於て者、其の誡め有る可き之由定め被ると云々。」

参考@改め嫁する事は、再嫁すること。
参考A
所領之成敗を致しは、前夫の所領を処分。
参考B
家中之雜事を行ひは、前夫の実家の。

 よ  い     ごしょ  をい   わか   おんえ あ     だい    こうろこうよう  あかつぎ とうい  ながつきづくし
夜に入り、御所に於て和歌の御會有り。題は、行路紅葉。曉の擣衣C。九月盡。

うまごんのかみ  ほうじょうさしんえい  さがみのさぶろうにゅうどう  いがのしきぶたいふにゅうどう  ひょうごのかみ  さごのほうがんら おのおの かいし  けん
右馬權頭、北條左親衛、 相摸三郎入道、伊賀式部大夫入道、 兵庫頭、 佐渡判官等 各 懷紙を献ず。

参考C擣衣は、砧で衣を打つこと。

現代語延応元年(1239)九月大三十日丙申。晴れました。今日、政務会議がありました。御家人の妻が再嫁について、前夫の領地を処分したり、前夫の実家の財産を処分したりと、現状を変える場合は、それはいけないと決めましたとさ。」
夜になって、御所で和歌の会がありました。題は「行く秋の紅葉」「夜明けの衣打ち」「九月づくし」。右馬権頭北条政村・北条左近将監経時・相模三郎入道北条資時・伊賀式部大夫入道光宗・兵庫頭定員・佐渡判官後藤基綱達が、それぞれ書いた紙を差し出しました。

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