吾妻鏡入門第卅五巻

寛元二年甲辰(1244)十一月小

寛元二年(1244)十一月小三日庚子。終日雨降。丑尅大洪水。道路悉爲水底。近年無比類云々。」今日。御臺所被供養春日大明神御正躰。大納言法印隆弁爲導師。布施百物。并南庭二云々。

読下し                    しゅうじつあめふ    うしのこくだいこうずい  どうろことごと みずぞこ な    きんねんひるいな     うんぬん
寛元二年(1244)十一月小三日庚子。終日雨降る。丑尅大洪水。 道路悉く水底と爲す。近年比類無しと云々。」

きょう   みだいどころ かすがだいみょうじん みしょうたい くようされ    だいなごんほういんりゅうべんどうしたり   ふせ  ひゃくぶつなら   なんてい に  うんぬん
今日、御臺所@、春日大明神の御正躰を供養被る。大納言法印隆弁導師爲。布施は百物并びに南庭A二と云々。

参考@御臺所は、頼経の正妻で持明院藤原家行の女。
参考A南廷は、銀塊で、レンガの半分の厚さの板状の物と、巴の形をしたものと二種類ある。

現代語寛元二年(1244)十一月小三日庚子。一日中雨降りです。夜中の午前2時頃に大洪水になりました。道路のすべてが水に沈んでしまうと云う近年にない災害でした。」
今日、前大納言家頼経様の正妻(藤原家行女)が、春大明神の神様の本体の鏡御正躰の法要を行いました。大納言法印隆弁が指導僧です。お布施は、百種の物と銀塊二つです。

寛元二年(1244)十一月小十六日癸丑。評定之間經營事。雜掌人等。向後故可存儉約之旨。被定下云々。

読下し                      ひょうじょうのあいだ けいえい こと  ざっしょうにんら きようこう ことさら けんやく ぞん  べ   のむね  さだ  くだされ    うんぬん
寛元二年(1244)十一月小十六日癸丑。評定之間の經營@の事、雜掌人等、向後 故に儉約を存ず可き之旨、定め下被ると云々。

参考@評定之間の經營は、評定での宴会。

現代語寛元二年(1244)十一月小十六日癸丑。政務会議の宴会については、世話係の者達に、今後は特に質素に倹約するようにと決めて命じましたとさ。

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