吾妻鏡入門第卅五巻

寛元二年甲辰(1244)十二月大

寛元二年(1244)十二月大七日癸酉。新將軍御讀書始也。午尅。出御于常御所東面。武州被奉扶持之。筑後守正光朝臣〔布衣〕爲御侍讀也。北條左親衛以下人々出仕云々。

読下し                    しんしょうぐんおんどくしょはじ  なり うまのこく  つね  ごしょ  とうめんに いでたま   ぶしゅうこれ  ふち たてま られ
寛元二年(1244)十二月大七日癸酉。新將軍御讀書始め也。午尅、常の御所の東面于出御う。武州之を扶持奉つ被る。

ちくごのかみまさみつあそん 〔 ほい 〕 ごじどくたるなり   ほうじょうさしんえい いげ   ひとびと  しゅっし    うんぬん
筑後守正光朝臣〔布衣〕御侍讀爲也。北條左親衛以下の人々、出仕すと云々。

現代語寛元二年(1244)十二月大七日癸酉。新将軍頼嗣の読書始めです。12時頃に普段いる御所の東側の部屋にお出ましです。武州経時が手助けをしてます。筑後守正光さん〔武士の正装狩衣〕が教授です。北条左親衛時頼を始めとする人々が、勤めに来ていましたとさ。

寛元二年(1244)十二月大八日甲戌。大納言家。乙若君御前御着袴。并令嘗魚味給。申尅。於寢殿有其儀。人々着布衣〔下括〕參集。武州被献垸飯。宛如元三。武州被奉結御腰。又大殿令食之給。彼此陪膳北條左親衛候之。兩事訖。進御引出物〔略之〕。

読下し                     だいなごんけ   おとわかぎみごぜん ごちゃっこなら    ぎょみ  な   せし  たま   さるのこく しんでん  をい  そ   ぎ あ
寛元二年(1244)十二月大八日甲戌。大納言家が乙若君御前の御着袴并びに魚味を嘗め令め給ふ。申尅、寢殿に於て其の儀有り。

ひとびと ほい  き   〔げぐくり〕 さんしゅう    ぶしゅうおうばん  けん  られ   あたか がんさん  ごと    ぶしゅうおんこし むす たてま られ
人々布衣を着て〔下括〕參集す。武州垸飯を献ぜ被る。宛も元三の如し。武州御腰を結び奉つ被る。

また  おおとのこれ く   せし  たま    かれこれ ばいぜん ほうじょうさしんえいこれ  こう   りょうことをは      おんひきでもの   しん     〔これ  りゃく  〕
又、大殿之を食は令め給ふ。彼此の陪膳、北條左親衛之に候ず。兩事訖りて、御引出物を進ず。〔之を略す〕

現代語寛元二年(1244)十二月大八日甲戌。前大納言家頼経様の次男の初めて袴を着させる儀式と成長を祝う魚の味を食べさせる儀式をします。午後4時頃に寝殿でその儀式がありました。人々は、正装の狩衣を着て〔袴紐は足首で結ぶ〕集まりました。まるで正月の三が日のようです。武州経時が紐を結んでやりました。又前大納言家頼経様が魚を食べさせました。これらのお給仕は北条時頼が勤めました。両方の儀式が終えて、引き出物を献上しました〔これは略します〕。

寛元二年(1244)十二月大廿六日壬辰。夘尅。武州并北條左親衛等第依失火災。餘焔飛行。政所燒亡云々。

読下し                       うのこく  ぶしゅうなら    ほうじょうさしんえいら   だい  しっか  よっ わざわい
寛元二年(1244)十二月大廿六日壬辰。夘尅、武州并びに北條左親衛等の第@、失火に依て災す。

よえん とびゆ   まんどころしょうぼう   うんぬん
餘焔飛行き、政所燒亡すと云々。

参考@武州并びに北條左親衛等の第は、若見大路東面北頭の執権屋敷と得宗屋敷(現宝戒寺)と思われる。

現代語寛元二年(1244)十二月大二十六日壬辰。午前六時頃、武州経時の執権屋敷それに北条時頼(本家に居候)の得宗屋敷が、失火で燃えてしまいました。火の粉が飛んで類焼し政務事務所も燃えてしまいましたとさ。

寛元二年(1244)十二月大廿七日癸巳。今日評定。大殿御上洛事。有延引御沙汰。是日來依思食立。明春二月九日。必可有御進發之由治定訖。而政所火事之間。御出立以下御物等。悉以令災火之故也云々。

読下し
寛元二年(1244)十二月大廿七日癸巳。

きょう  ひょうじょう  おおとのごじょうらく  こと  えんいん おんさた あ
今日の評定、大殿御上洛の事、延引の御沙汰有り。

これひごろおぼ  め   た     よっ   みょうしゅん にがつここのか かなら ごしんぱつあ   べ   のよしちじょう をはんぬ
是日來思し食し立つに依て、 明春 二月九日、必ず御進發有る可き之由治定し訖。

しか   まんどころ かじのあいだ  ごしゅったつ いげ   ごぶつら  ことごと もっ  さいか せし  のゆえなる  うんぬん
而るに政所火事之間、御出立以下の御物等、悉く以て災火令む之故也と云々。

現代語寛元二年(1244)十二月大二十七日癸巳。今日の政務会議で、前大納言家頼経様の京都行は延期する命令が出ました。こらは、最近思い立ったので、来春の2月9日に出発すよう決めたのです。しかしながら、政務事務所が火事になって、旅に使う道具類がすべて焼けてしまったからだそうな。

吾妻鏡入門第卅五巻

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