寛元二年甲辰(1244)十一月小
寛元二年(1244)十一月小三日庚子。終日雨降。丑刻大洪水。道路悉爲水底。家屋流失。資財紛散云々。近年無比類云々。」今日。御臺所被供養春日大明神御正躰也。大納言法印隆弁爲導師。布施百物。并南庭二云々。 |
読下し しゅうじつあめふ うしのこくだいこうずい どうろことごと みずぞこ な
寛元二年(1244)十一月小三日庚子。終日雨降る。丑尅大洪水。
道路悉く水底と爲す。
かおくりゅうしつ しざいふんさん うんぬん きんねんひるいな
うんぬん
家屋流失し、資財紛散すと云々。近年比類無しと云々。」
きょう みだいどころ かすがだいみょうじん みしょうたい くようされ なり だいなごんほういんりゅうべんどうしたり ふせ ひゃくぶつなら
なんてい に うんぬん
今日、御臺所@、春日大明神の御正躰を供養被る也。大納言法印隆弁導師爲。布施は百物并びに南庭A二と云々。
参考@御臺所は、頼経の正妻で持明院藤原家行の女。
参考A南廷は、銀塊で、レンガの半分の厚さの板状の物と、巴の形をしたものと二種類ある。
現代語寛元二年(1244)十一月小三日庚子。一日中雨降りです。夜中の午前2時頃に大洪水になりました。道路のすべてが水に沈んでしまい、家は流され財産はばらばらにどっかへ行ってしまったそうな。近年にない災害でした。」
今日、前大納言家頼経様の正妻が、春大明神の神様の本体の鏡御正躰の法要を行いました。大納言法印隆弁が指導僧です。お布施は、百種の物と銀塊二つです。
寛元二年(1244)十一月小十二日己酉。天リ。今曉熒惑入犯弖庫門星之由。司天等申之。 |
読下し
そらはれ こんぎょうけいこく てこもんせい い おか のよし してんらこれ もう
寛元二年(1244)十一月小十二日己酉。天リ。今曉熒惑、弖庫門星@に入り犯す之由、司天等之を申す。
参考@弖庫門星は、不明。
現代語寛元二年(1244)十一月小十二日己酉。空は晴です。今朝の夜明けに、熒惑星火星が弖庫門星の軌道を犯しましたと、天文方が報告しました。
寛元二年(1244)十一月小十六日癸丑。評定間經營事。雜掌人等。向後故可存儉約之旨。被定下云々。 |
読下し ひょうじょうのあいだ けいえい こと ざっしょうにんら きようこう ことさら けんやく ぞん
べ のむね さだ くだされ うんぬん
寛元二年(1244)十一月小十六日癸丑。評定之間の經營@の事、雜掌人等、向後 故に儉約を存ず可き之旨、定め下被ると云々。
参考@評定之間の經營は、評定での宴会。
現代語寛元二年(1244)十一月小十六日癸丑。政務会議の宴会については、世話係の者達に、今後は特に質素に倹約するようにと決めて命じましたとさ。
寛元二年(1244)十一月小廿二日己未。今曉歳星入大微宮中之由。司天申之。 |
読下し こんぎょうさいせい だいびぐう ちゅう い のよし してんらこれ もう
寛元二年(1244)十一月小廿二日己未。今曉歳星、大微宮@中に入る之由、司天之を申す。
参考@大微宮は北斗七星から南に約63度の幅を持って分布しています。
現代語寛元二年(1244)十一月小二十二日己未。今朝の夜明けに、歳星木星が大微宮の中に入ったと、天文方が報告しました。