吾妻鏡入門第卅七巻

寛元四年丙午(1246)九月大

寛元四年(1246)九月大一日丙辰。左親衛招請若狹前司泰村。條々有被仰合事。皆悉爲理世眼目云々。其中仰曰。短智一身扶軍營之政。頗不自專怖畏。招下六波羅相州。欲令談合万事。是日來所存也云々。若州依被申不可然之由。暫被閣此儀云々。

読下し                    さしんえい わかさのぜんじやすむら しょうせい  じょうじょう おお  あわ  らる  ことあ
寛元四年(1246)九月大一日丙辰。左親衛、若狹前司泰村を招請し、條々 仰せ合せ被る事有り。

みなことごと  りせい  がんもくたり  うんぬん   ぞ  うちおお    い
皆 悉く理世@の眼目爲と云々。其の中仰せて曰はく。

たんち  いっしん ぐんえいのまつりごと たす   すこぶ じせんせざ    ふい     ろくはら    そうしゅう  まね  くだ    ばんじ  だんごうせし      ほっ
短智の一身 軍營之 政を 扶け、頗る自專不るを怖畏す。六波羅の相州を招き下し、万事を談合令めんと欲す。

これ  ひごろ  しょぞんなり  うんぬん じゃくしゅう しか べからず のよし  もうさる    よっ    しばら かく  ぎ   さしかれ    うんぬん
是、日來の所存也と云々。 若州 然る不可之由を申被るAに依て、暫く此の儀を閣被ると云々。

参考@理世は、政治。
参考A
若州然る不可之由を申さるは、その趣旨は@京都の方が手薄になるので、A貴方なら大丈夫ですよ、B私がついているから、のどれかが考えられる。

現代語寛元四年(1246)九月大一日丙辰。左親衛北条時頼は、若狭前司三浦泰村を招待して、数々の話し合うことがありました。全て政治向きについての方針だそうな。その話の中で特に強調したのは、「大した知恵も無いのに、武士の政治を預かっています。とても自分で勝手にしてしまうことを恐れています。六波羅探題の相州北条重時さんを鎌倉へお呼びして、何事も相談したいと思っています。これが日來から考えている事です。」若州泰村は、「そうすべきではありませんよ。」と云ったので、しばらくその件はやらない事にしたそうな。

寛元四年(1246)九月大九日甲子。天リ。今曉。太白犯微執法皇星。

読下し                   そらはれ こんぎょう たいはくびしつほうおうせい おか
寛元四年(1246)九月大九日甲子。天リ。今曉。太白微執法皇星を犯す。

現代語寛元四年(1246)九月大九日甲子。空は晴です。今朝未明に、太白星金星が微執法皇星の軌道を犯しました。

寛元四年(1246)九月大十二日丁夘。被結番近習人々〔六番〕其番帳者。左親衛被染自筆。無故不參及三ケ度者。可被處罪科之由。所載于右状也。

読下し                     きんじゅう ひとびと  けちばんさる  〔ろくばん〕   そ  ばんしょうは   さしんみづか ふで  そ   らる
寛元四年(1246)九月大十二日丁夘。近習の人々を結番被る〔六番〕。其の番帳者、左親衛自ら筆を染め被る。

ゆえな   ふさん さんかど   およ  ば   ざいか  しょさる  べ   のよし   みぎ  じょうに の    ところなり
故無き不參三ケ度に及ば者、罪科に處被る可き之由、右の状于載せる所也。

現代語寛元四年(1246)九月大十二日丁卯。将軍の身の回りをする近習の人々の順番を作りました〔6班〕。その名簿は、時頼が自筆で書きました。理由もないのに欠席を三回したら、罰則にするとその紙に書きだしたところです。

寛元四年(1246)九月大十六日辛未。天リ。寅剋。太白犯太執法皇星。相去九寸。

読下し                     そらはれ とらのこく たいはく  たびしつほうおうせい おか    あいさ       くすん
寛元四年(1246)九月大十六日辛未。天リ。寅剋。太白が太執法皇星を犯す。相去ること九寸。

現代語寛元四年(1246)九月大十六日辛未。空は晴です。午前4時頃、金星が太執法皇星の軌道を犯しました。離れているのは27cmです。

寛元四年(1246)九月大廿七日壬午。天リ。左親衛依殊所願。被造立藥師如來像。今日令大納言法印隆弁加持其御衣木。此上綱自去年在京之間。爲護持。頻就令招請給。一昨日〔廿五〕下着云々。

読下し                     そらはれ  さしんえいこと    しょがん  よっ    やくしにょらいぞう  ぞうりゅうさる
寛元四年(1246)九月大廿七日壬午。天リ。左親衛殊なる所願に依て、藥師如來像を造立被る。

きょう   だいなごんほういんりゅうべん  し   そ  ごいき   かじ せし
今日、大納言法印隆弁を令て其御衣木を加持令む。

 こ じょうごうきょねんよ  ざいきょうのあいだ  ごじ   ため  しきり しょうせい せし  たま    つ     いっさくじつ 〔にじうご〕 げちゃく    うんぬん
此の上綱去年自り在京之間、護持の爲、 頻に招請 令め給ふに就き、一昨日〔廿五〕下着すと云々。

現代語寛元四年(1246)九月大二十七日壬午。空は晴です。時頼さんの特別な願いによって、薬師如来像を造りました。今日、大納言法印隆弁に頼んで、その材料の木を加持祈祷させました。この坊さんは去年から京都へ行ってましたが、自分を守る坊さんとして、何度も頼んで呼んだので、一昨日〔25日〕鎌倉へ着きましたとさ。

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