吾妻鏡入門第四十巻

建長二年(1250)八月大

建長二年(1250)八月大一日甲午。常陸國鹿嶋社神宮寺本尊。令汗降給之由。注申云々。

読下し                   ひたちのくにかしましゃ じんぐうじ  ほんぞん あせくだせし  たま  のよし  ちゅう もう    うんぬん
建長二年(1250)八月大一日甲午。常陸國鹿嶋社神宮寺@の本尊、汗降令め給ふ之由、注し申すと云々。

参考@鹿島社神宮寺は、神仏混淆時代に鹿島神宮寺がかつてあったそうで、天平勝宝(749-757)頃に創建されたと嘉祥3年(850)天安3年(859)の太政官符にあるそうな。

現代語建長二年(1250)八月大一日甲午。常陸国鹿島社神宮寺の本尊釈迦如来が汗をかいたと、書いて送って来ましたとさ。

建長二年(1250)八月大七日庚子。幕府北小庭可被立石之由。有其沙汰。今日阿弥陀堂。加賀法印定C依召參入。所被仰含也。武藤左衛門尉景頼爲奉行云々。

読下し                    ばくふ   きたこにわ  いし  たてられ  べ   のよし  そ   さた あ
建長二年(1250)八月大七日庚子。幕府の北小庭に石を立被る可き之由、其の沙汰有り。

きょう  あみだどう  かがのほういんじょうせいめし  よっ  さんにゅう   おお  ふく  らる ところなり  むとうさえもんのじょうかげより  ぶぎょうたり  うんぬん
今日阿弥陀堂の加賀法印定C召に依て參入し、仰せ含め被る所也。武藤左衛門尉景頼、奉行爲と云々。

現代語建長二年(1250)八月大七日庚子。若宮幕府の北小庭に石を立てるようにとの判断がありました。今日、阿弥陀堂の加賀法印定清が呼ばれて来て、云いつけられたのです。武藤左衛門尉景頼が担当だとさ。

建長二年(1250)八月大十五日戊申。鶴岳放生會也。將軍家有御出之儀云々。
随兵
 先陣
  相摸三郎太郎時成  武藏四郎時仲
  三浦介盛時     梶原右衛門尉景俊
  上野五郎兵衛尉重光 常陸次郎兵衛尉行雄
  足利太郎家氏    城九郎泰盛
  北條六郎時定    遠江太郎C時
 後陣
  越後五郎時家    相摸八郎時隆
  武田五郎三郎政綱  江戸七郎太郎重光
  出羽三郎行資    大泉九郎長氏
  橘薩摩余一公員   土肥次郎兵衛尉
  葛西新左衛門尉C時 千葉次郎胤泰

読下し                    つるがおか ほうじょうえなり  しょうぐんけ おんいでのぎ あ     うんぬん
建長二年(1250)八月大十五日戊申。鶴岳の放生會也。將軍家 御出之儀有りと云々。

ずいへい
随兵

  せんじん
 先陣

    さがみのさぶろうたろうときなり    むさしのしろうときなか
  相摸三郎太郎時成@  武藏四郎時仲A

    みうらのすけもりとき          かじわらうえもんのじょうかげとし
  三浦介盛時     梶原右衛門尉景俊

    こうづけごろうひょうえのじょうしげみつ いたちのじろうひょうえんじょうゆきかつ
  上野五郎兵衛尉重光 常陸次郎兵衛尉行雄

    あしかがらたろういえうじ        じょうのくろうやすもり
  足利太郎家氏    城九郎泰盛

    ほうじょうろくろうときさだ        とおとうみのたろうきよとき
  北條六郎時定    遠江太郎C時

参考@時成は、時房─三郎資時─太郎時成
参考A時仲は、時房─時直─時仲

  こうじん
 後陣

    えちごのごろうときいえ        さがみのはちろうときたか
  越後五郎時家    相摸八郎時隆

    たけだのごろさぶろうまさつな    えどのしちろうたろうしげみつ
  武田五郎三郎政綱  江戸七郎太郎重光

    でわのさぶろうゆきすけ        おおいずみのくろうながうじ
  出羽三郎行資    大泉九郎長氏

    たちばなさつまよいちきんかず   といじょじろうひょうえのじょう
  橘薩摩余一公員   土肥次郎兵衛尉

    かさいのしんさえもんのじょうきよとき ちばのじろうたねやす
  葛西新左衛門尉C時 千葉次郎胤泰

現代語建長二年(1250)八月大十五日戊申。鶴岡八幡宮の生き物を放して贖罪する放生会です。将軍家頼嗣様のお出ましがありましたとさ。
武装儀仗兵
 前を行く人
  相摸三郎太郎時成    武蔵四郎時仲
  三浦介盛時       梶原右衛門尉景俊
  上野五郎兵衛尉結城重光 常陸次郎兵衛尉二階堂行雄
  足利太郎家時      城九郎安達泰盛
  北条得宗家六郎時定   遠江太郎北条清時
 後ろを行く人
  越後五郎北条時家    相摸八郎北条時隆
  武田五郎三郎政綱    江戸七郎太郎重光
  出羽三郎二階堂行資   大泉九郎長氏
  橘薩摩余一公員     土肥次郎兵衛尉
  葛西新左衛門尉清時   千葉次郎胤泰

建長二年(1250)八月大十六日己酉。將軍家於鶴岡上下宮令奉幣給。其後有馬塲之儀。

読下し                     しょうぐんけ つるがおかじょうげ みや  をい ほうへいせし  たま    そ   ご  ばば のぎ あ
建長二年(1250)八月大十六日己酉。將軍家、鶴岡上下の宮に於て奉幣令め給ふ。其の後馬塲之儀有り。

現代語建長二年(1250)八月大十六日己酉。将軍家頼嗣様は、鶴岡八幡宮の上下の宮で幣の奉納をしました。その後、馬場での行事がありました。

建長二年(1250)八月大十八日辛亥。將軍家爲逍遥。令出由比浦給。前後供奉人皆著直垂帶弓箭。而歳四十以後人々負征矢。四十未滿之輩帶野箭云々。有犬追物。射手相分上下。各六騎。箭員。上手四十四疋。下手四十七疋也。越後五郎。武藏太郎等。雖被催射手。今度各申障云々。
御出行列
先行十騎〔三騎相並〕
 陸奥四郎      遠江六郎
 相摸三郎太郎
 武藏四郎      足利三郎
 長井太郎
 城九郎〔一騎〕
 陸奥七郎      尾張次郎
 越後五郎
次將軍家〔御水干〕御騎馬
 佐渡五郎左衛門尉  肥後次郎左衛門尉
 土肥次郎兵衛尉   善太郎左衛門尉
 攝津新左衛門尉   筑前四郎
 江戸七郎太郎    武石四郎
 出羽三郎      伯耆新左衛門尉
 鎌田左衛門尉〔以上歩行。候御駕左右〕
次御後
 備前々司      遠江守
 相摸右近大夫將監  陸奥掃部助
 宮内少輔      遠江左近大夫將監
 北條六郎      遠江太郎
 相摸八郎      武藏太郎
 武藏五郎      上野前司
 那波左近大夫    小山出羽前司
 佐々木壹岐前司   筑前々司
 伊勢前司      佐渡大夫判官
 遠江次郎左衛門尉  梶原左衛門尉
 三浦介       上野十郎
 阿曽沼小次郎    千葉次郎
 城次郎       同三郎
 同四郎       大曽祢左衛門尉
 大曽祢次郎左衛門尉 隱岐次郎左衛門尉
 遠江六郎左衛門尉  式部六郎左衞門尉
 武藤左衛門尉    遠江新左衛門尉
 小野寺三郎左衛門尉 出羽次郎左衛門尉
 小野寺四郎左衛門尉 足立太郎左衛門尉
 中條出羽四郎左衛門尉 信濃四郎左衛門尉
 伯耆四郎左衛門尉  和泉次郎左衛門尉
 善右衛門尉     弥次郎左衛門尉
 常陸次郎兵衛尉   土肥四郎
 薩摩七郎左衛門尉  同九郎
 武田五郎三郎    東中務少輔
犬追物射手
一番    四十四疋
 遠江六郎左衛門尉  小笠原余一
 遠江六郎      城次郎
 遠江新左衛門尉   信濃四郎左衛門尉
二番    四十七疋
 武田五郎三郎    薩摩九郎
 上野十郎      城九郎
 土肥四郎      和泉次郎左衛門尉
   迯犬九疋

読下し                     しょうぐんけしょうよう ため  ゆいのうら  いでせし  たま    ぜんご  ぐぶにん みなひたたれ  つ  きゅうせん おび
建長二年(1250)八月大十八日辛亥。將軍家逍遥の爲、由比浦に出令め給ふ。前後の供奉人皆直垂を著け弓箭を帶る。

しか    とししじゅういご  ひとびと   そや   お     しじゅうみまんのやから  のや   おび    うんぬん  いぬおうものあ      いて   じょうげ  あいわか  おのおのろっき
而して歳四十以後の人々は征矢を負い、四十未滿之輩は野箭を帶ると云々。犬追物有り。射手は上下に相分る。各 六騎。

やかず   かみてよんじゅうよんひき  しもてよんじゅうしちひきなり  えちごのごろう  むさしのたろうら   いて   もよおさる   いへど   このたびおのおの さわ    もう    うんぬん
箭員は、上手四十四疋。下手四十七疋也。 越後五郎、武藏太郎等、射手を催被ると雖も、今度 各 障りを申すと云々。

おんいで ぎょうれつ
御出の行列

せんこうじっき  〔さんきあいなら  〕
先行十騎〔三騎相並ぶ〕

  むつのしろう    とおとうみのろくろう  さがみのさぶろうたろう
 陸奥四郎@ 遠江六郎  相摸三郎太郎  参考@陸奥四郎は、42巻建長四年(1252)十二月三日条に陸奥弥四郎時茂及び陸奥四郎時茂と出ている。

  むさしのしろう    あしかがのさぶろう  ながいのたろう
 武藏四郎  足利三郎  長井太郎

  じょうのくろう 〔いっき〕
 城九郎〔一騎〕

  むつのしちろう    おわりのじろう    えちごのごろう
 陸奥七郎  尾張次郎  越後五郎

つぎ しょうぐんけ 〔おんすいかん〕  おんきば
次に將軍家〔御水干〕御騎馬

  さどのごろうさえもんのじょう      ひごのじろうさえもんのじょう
 佐渡五郎左衛門尉  肥後次郎左衛門尉

  といのじろうひょうえんじょう      ぜんのたろうさえもんのじょう
 土肥次郎兵衛尉   善太郎左衛門尉

  しっつのしんさえもんのじょう     ちくぜんのしろう
 攝津新左衛門尉   筑前四郎

  えどのしちろうたろう         たけいしのしろう
 江戸七郎太郎    武石四郎

  でわのさぶろう            ほうきのしんさえもんのじょう
 出羽三郎      伯耆新左衛門尉

  かまたさえもんのじょう  〔いじょう かち   おんが  さゆう  そうら  〕
 鎌田左衛門尉〔以上歩行。御駕の左右に候う〕

つぎ おんうしろ
次に御後

  びぜんのぜんじ           とおとうみのかみ
 備前々司      遠江守

  さがみうこんたいふしょうげん    むつかもんのすけ
 相摸右近大夫將監  陸奥掃部助

  くないしょうゆう             とおとうみさこんたいふしょうげん
 宮内少輔      遠江左近大夫將監

  ほうじょうろくろう            とおとうみのたろう
 北條六郎      遠江太郎

  さがみのはちろう           むさしのたろう
 相摸八郎      武藏太郎

  むさしのごろう             こうづけぜんじ
 武藏五郎      上野前司

  さわさこんたいふ           おやまのでわぜんじ
 那波左近大夫    小山出羽前司

  ささきいきのぜんじ          ちくぜんぜんじ
 佐々木壹岐前司   筑前々司

  いせのぜんじ             さどのほうがんたいふ
 伊勢前司      佐渡大夫判官

  とおとうみのじろうさえもんのじょう  かじわらさえもんのじょう
 遠江次郎左衛門尉  梶原左衛門尉

  みうらのすけ              こうづけのじうろう
 三浦介       上野十郎

  あそぬまのこじろう           ちばのじろう
 阿曽沼小次郎    千葉次郎

  じょうのじろう              おな    さぶろう
 城次郎       同じき三郎

  おな    しろう           おおそねさえもんのじょう
 同じき四郎     大曽祢左衛門尉

  おおそねじろうさえもんのじょう   いきのじろうさえもんのじょう
 大曽祢次郎左衛門尉 隱岐次郎左衛門尉

  とおとうみろくろうさえもんのじょう   しきぶのろくろうさえもんのじょう
 遠江六郎左衛門尉  式部六郎左衞門尉

  むとうさえもんのじょう        とおとうみのしんさえもんのじょう
 武藤左衛門尉    遠江新左衛門尉

  おのでらさぶろうさえもんのじょう  でわのじろうさえもんのじょう
 小野寺三郎左衛門尉 出羽次郎左衛門尉

  おのでらしろうさえもんのじょう    あだちのたろうさえもんのじょう
 小野寺四郎左衛門尉 足立太郎左衛門尉

  ちゅうじょうでわしろうさえもんのじょう  しなののしろうさえもんのじょう
 中條出羽四郎左衛門尉 信濃四郎左衛門尉

  ほうきのしろうさえもんのじょう     いずみのじろうさえもんのじょう
 伯耆四郎左衛門尉  和泉次郎左衛門尉

  ぜんうえもんのじょう          いやじろうさえもんのじょう
 善右衛門尉     弥次郎左衛門尉

  ひたちのじろうひょうえのじょう    といのしろう
 常陸次郎兵衛尉   土肥四郎

  さつまのしちろうさえもんのじょう   おな    くろう
 薩摩七郎左衛門尉  同じき九郎

  たけだのごろさぶろう        とうのなかつかさしょうゆう
 武田五郎三郎    東中務少輔

いぬおうもの  いて
犬追物の射手

いちばん       よんじゅうよんひき
一番    四十四疋

  とおとうみのろくろうさえもんのじょう おがさわらよいち
 遠江六郎左衛門尉  小笠原余一

  とおとうみろくろう           じょうのじろう
 遠江六郎      城次郎

  とおとうみしんさえもんのじょう     しなののしろうさえもんのじょう
 遠江新左衛門尉   信濃四郎左衛門尉

 にばん       よんじゅうしちひき
二番    四十七疋

  たけだのごろさぶろう         さつまのくろう
 武田五郎三郎    薩摩九郎

  こうづけじうろう            じょうのくろう
 上野十郎      城九郎

  といのしろう              いずみのじろうさえもんのじょう
 土肥四郎      和泉次郎左衛門尉

      いぬきゅうひき のが
   犬九疋を迯す

現代語建長二年(1250)八月大十八日辛亥、将軍家頼嗣様は、お遊び散歩のため由比浦へお出ましです。前後のお供の人は、鎧直垂を着て、弓矢を担いでいます。それは、年が40歳以上の人々は戦争用の征矢をしょって、40才未満の連中は狩猟用の野矢をしょってたそうな。
犬を円形の柵内にはなして鏃をはずした匹目で当てる犬追ものがありました。射手は年齢の上下に分けました。それぞれ6騎です。矢数は、年長者が44匹、若手が47匹です。
越後五郎北条時家・武蔵太郎朝房は、射手に選ばれたけれど、今回は遠慮を申し出ましたとさ。
外出の行列
先へ行く10騎〔3騎づつ並ぶ〕
 陸奥四郎時茂 遠江六郎教時 相摸三郎太郎時成
 武蔵四郎時仲 足利三郎利氏 長井太郎時秀
 城九郎安達泰盛〔1騎〕
 陸奥七郎時尚 尾張次郎公時 越後五郎時員
次に将軍家頼嗣様〔水干〕騎乗
 佐渡五郎左衛門尉後藤基隆 肥後次郎左衛門尉天野忠綱?
 土肥次郎兵衛尉朝平    三善太郎左衛門尉康定
 摂津新左衛門尉      筑前四郎二階堂行佐
 江戸七郎太郎重光     武石四郎胤氏
 出羽三郎二階堂行資    伯耆新左衛門尉
 鎌田左衛門尉〔以上は歩きで、将軍の左右に並ぶ〕
次に将軍の後付
 備前前司北条時長     遠江守北条時直
 相模右近大夫将監北条時定 陸奥掃部助北条実時
 宮内少輔足利泰氏     遠江左近大夫将監北条時兼
 北条六郎時定       遠江太郎北条清時
 相模八郎北条時隆     武蔵太郎朝房
 武蔵五郎時忠       上野前司畠山泰国
 那波左近大夫政茂     小山出羽前司長村
 佐々木壱岐前司泰綱    筑前前司二階堂行泰
 伊勢前司二階堂行綱    佐渡大夫判官後藤基政
 遠江次郎左衛門尉佐原光盛 梶原左衛門尉景俊
 三浦介盛時        上野十郎結城朝村
 阿曾沼小次郎光綱     千葉次郎泰胤
 城次郎安達頼景      同三郎安達景村
 同四郎安達時盛      大曽祢左衛門尉
 大曽祢次郎左衛門尉盛経  隠岐次郎左衛門尉佐々木泰清
 遠江六郎左衛門尉佐原時連 式部六郎左衛門尉伊賀朝長
 武藤左衛門尉景頼     遠江新左衛門尉佐原経光
 小野寺三郎左衛門尉    出羽次郎左衛門尉二階堂行有
 小野寺四郎左衛門尉通時  足立太郎左衛門尉直元
 中条出羽四郎左衛門尉光宗 信濃四郎左衛門尉二階堂行忠
 伯耆四郎左衛門尉葛西光清 和泉次郎左衛門尉二階堂行章
 三善右衛門尉康長     弥次郎左衛門尉親盛
 常陸次郎兵衛尉二階堂行雄 土肥四郎実綱
 薩摩七郎左衛門尉伊東祐能 同九郎祐綱
 武田五郎三郎政綱     東中務少輔胤重
犬追物の射手
一番目は、44匹
 遠江六郎左衛門尉佐原時連 小笠原余一長経
 遠江六郎北条教時     城次郎安達頼景
 遠江新左衛門尉佐原経光  信濃四郎左衛門尉二階堂行忠
二番目は、47匹
 武田五郎三郎政綱     薩摩九郎伊東祐朝
 上野十郎結城朝村     城九郎安達泰盛
 土肥四郎実綱       和泉次郎左衛門尉二階堂行章
   犬9疋を逃がしてしまいました。

解説太郎の太郎は、又太郎、小太郎、弥太郎。太郎次郎三郎は長幼順で仮名とかいて「けみょう」と読む。

建長二年(1250)八月大廿六日己未。就雜人訴訟事。被儲其法。是御下知違背濫吹也。慥可停止。但叙用御下知。言上鬱訴者。非制限之由云々。

読下し                     ぞうにんそしょう  こと  つ     そ   ほう  もう  らる    これ  おんげち   いはい  らんすいなり  たしか ちょうじすべ
建長二年(1250)八月大廿六日己未。雜人訴訟の事に就き、其の法を儲け被る。是、御下知に違背の濫吹也。慥に停止可し。

ただし おんげち   じょよう    うっそ  ごんじょう   は   せいげん  あらざ のよし  うんぬん
但し御下知を叙用し、鬱訴を言上する者、制限に非る之由と云々。

現代語建長二年(1250)八月大二十六日己未。一般庶民の訴訟について、その規則を決めました。これは、幕府法に従っていない無謀な事なので、止めさせます。但し、幕府法に適用していれば、訴訟をする者の制限はありませんだとさ。

参考雜人訴訟の事は、一般庶民が武士を訴えてはいけない。参考御下知を叙用しは、幕府法に合わせて、訴える時は良し。但し、武家屋敷前に借地している庶民は屋敷地の主の承認が必要。

建長二年(1250)八月大廿七日庚申。相州室懷孕。祈精等被行之云々。

読下し                     そうしゅう  しつかいよう    きしょうら これ おこなはれ  うんぬん
建長二年(1250)八月大廿七日庚申。相州が室懷孕す。祈精等之を行被ると云々。

現代語建長二年(1250)八月大二十七日庚申。相州時頼さんの正室が妊娠しました。無事な出産をお祈りしましたとさ。

九月へ

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