建長二年(1250)九月小
建長二年(1250)九月小四日丁夘。鶴岡別當法印〔隆弁〕上洛。爲園城寺興隆并執行龍花會云々。 |
読下し つるがおかべっとうほういん〔りゅうべん〕じょうらく おんじょうじ
こうりゅうなら りゅうげえ しぎょう ため うんぬん
建長二年(1250)九月小四日丁夘。鶴岡別當法印〔隆弁〕上洛す。園城寺
興隆并びに龍花會@執行の爲と云々。
参考@龍花会は、竜華会で園城寺で弥勒菩薩を本尊として修する法会。
現代語建長二年(1250)九月小四日丁卯。鶴岡八幡宮筆頭の法印隆弁が、京都へ上りました。園城寺三井寺の復興と弥勒菩薩を本尊としてする法要の為だそうな。
建長二年(1250)九月小十日癸酉。諸人訴論御成敗事。專守式條。不可有參差之由。今日被觸仰引付并問注所政所云々。 |
読下し しょにんそろんごせいばい こと もっぱ しきじょう まも しんし あ べからずのよし
建長二年(1250)九月小十日癸酉。諸人訴論御成敗の事、專ら式條を守り、參差@有る不可之由、
きょう ひきつけなら もんちゅうじょ まんどころ ふ おお らる うんぬん
今日引付并びに問注所・政所へ觸れ仰せ被ると云々。
参考@參差は、互いに入り混じる。不揃い。
現代語建長二年(1250)九月小十日癸酉。一般人の訴訟の結審について、貞永式目等の武家法を守って不平等な判決をしないように、今日裁判担当官それと裁判所及び政務事務所へ布告しましたとさ。
建長二年(1250)九月小十八日辛巳。於久遠壽量院。一日中。被轉讀千巻觀音經。般若房律師率門弟等奉仕之。將軍家御祈祷也。御布施等事。政所沙汰云々。」今日。雜人訴訟事。被糺决之時。爲僻事者。以十貫可被宛橋用途之由。兼召置請文。可有沙汰之由。被定云々。 |
読下し くおんじゅりょういん をい
いちにちじゅう せんかん かんのんきょう てんどくさる はんにゃぼうりっし もんていら ひき これ ほうし
建長二年(1250)九月小十八日辛巳。久遠壽量院に於て、一日中、千巻の觀音經を轉讀@被る。般若房律師、門弟等を率ひ之を奉仕す。
しょうぐんけ
ごきとうなり おんふせら こと まんどころ さた うんぬん
將軍家の御祈祷也。御布施等の事、政所の沙汰と云々。」
参考@轉讀(てんどく)は、擦り読みとも云い、お経を飛ばし読みする事だが、実際にはお経をアコーデオンのように片手から片手へはじき移す。
きょう ぞうにんそしょう こと ただ けっ らう のとき へきごとたらば じっかん もっ はし ようとう あてらる べ のよし
今日、雜人訴訟の事、糺し决せ被る之時、僻事爲者A、十貫を以て橋の用途に宛被る可き之由、
かね うけぶみ めしお さた あ べ のよし さだ らる うんぬん
兼て請文を召置き、沙汰有る可き之由、定め被ると云々。
参考A僻事爲者(へきごとたらば)は、道理に違える。間違える。一貫文は米一石で発表している。
現代語建長二年(1250)九月小十八日辛巳。入道大納言家頼経様の持仏堂の久遠寿量院で、一日中千巻の観音経を摺り読みさせました。般若房律師が、弟子たちを引き連れてこれを勤めました。将軍家頼嗣様の御祈祷です。お布施については、政務事務所の負担だそうな。」
今日、庶民の訴訟について、結審をする時、訴えた方が悪かったときは、十貫の罰金として橋の修理代に当てると、予め承諾書を出させて、裁決するようにとお決めになりましたとさ。
建長二年(1250)九月小十九日壬午。相州室家聊病惱。奥州渡御。諸人奔集列。而不經幾程。被復本云々。 |
読下し そうしゅう しつけ
いささ びょうのう おうしゅう
わた たま しょにんはし あつま なら
建長二年(1250)九月小十九日壬午。相州が室家
聊か病惱。奥州 渡り御う。諸人奔り集り列ぶ。
しか いくほど へず
ふくほん され うんぬん
而るに幾程を經不に、復本@被ると云々。
参考@復本は、元へもどる。
現代語建長二年(1250)九月小十九日壬午。相州時頼さんの奥さんが多少具合が悪いので、父の奥州重時さんが見舞いました。御家人等も集まって見舞の順を並びました。しかし、いくらも経たずに治ってしまいましたとさ。
建長二年(1250)九月小廿六日己丑。亥尅。相州御亭失火。 |
読下し いのこく そうしゅう おんていしっか
建長二年(1250)九月小廿六日己丑。亥尅。相州が御亭失火。
現代語建長二年(1250)九月小二十六日己丑。夜10時頃に、時頼さんお屋敷で失火です。
建長二年(1250)九月小廿八日辛夘。名越邊燒亡。」今日。奥州被進調度等於相州。依火事也。 |
読下し なごえへんしょうぼう きょう おうしゅう ちょうどら を そうしゅう すす らる かじ よっ なり
建長二年(1250)九月小廿八日辛夘。名越邊燒亡。」今日、奥州、調度等於相州に進め被る。火事に依て也。
現代語建長二年(1250)九月小二十八日辛卯。名越のあたりで火事です。」
今日、奥州重時さんは、家財道具を時頼さんに送りました。火事で燃えてしまったからです。