正嘉元年(1257)五月小
正嘉元年(1257)五月小一日乙夘。陰。夘尅日蝕。不正見〔丑寅〕。御祈。 |
読下し くも うのこくにっしょく しょうげんせず 〔うしとら〕 おいの
正嘉元年(1257)五月小一日乙夘。陰り。夘尅日蝕、正見不〔丑寅〕。御祈り。
現代語正嘉元年(1257)五月小一日乙卯。曇り。卯の刻(午前6時頃)日食ですが、ちゃんと見えません〔方角は東北〕でしたので、お祈りを捧げました。
正嘉元年(1257)五月小十八日壬申。陰。子尅大地震〔現度計(斗)宿〕。被尋下之處。リ茂朝臣兄弟七人連署。勘申悪動之旨。廣資申吉動之由。仍無沙汰被閣云々。 |
読下し
くも ねのこく
おおぢしん 〔げんどとしゅく〕
正嘉元年(1257)五月小十八日壬申。陰り。子尅大地震〔現度斗宿@〕。
たず
くださる のところ はるもちあそんきょうだいしちにん
れんしょ あくどう のむね かん もう
尋ね下被る之處、リ茂朝臣
兄弟 七人 連署し、悪動之旨を勘じ申す。
ひろすけ きちどう のよし もう よっ
さた な さしおかれる うんぬん
廣資
吉動之由を申す。仍て沙汰無く閣 被ると云々。
参考@現度計宿は、現度斗宿らしいが、吉川本には「現度安宿」とあり、いずれも意味不明。斗宿は北方を守る霊獣玄武の亀の甲羅の前部に当たり、地位、推薦を意味するとあるが?
現代語正嘉元年(1257)五月小十八日壬申。曇り。午前0時頃大地震です〔現度斗宿〕。地震の占いをお尋ねされた所、晴茂さん兄弟7人が連名で、悪い揺れだと上申しました。でも広資は良い揺れれだと言ってます。それで何もせずに置きましたとさ。
正嘉元年(1257)五月小廿二日丙子。安房又太郎加小侍番帳。日來者爲非番所令着到也。 |
読下し あわのまたたろう こさむらいばんちょう くは ひごろは ひばん な
ちゃくとうせし ところなり
正嘉元年(1257)五月小廿二日丙子。安房又太郎
小侍番帳 に加ふ。日來者非番と爲し、着到 令む所也。
現代語正嘉元年(1257)五月小二十二日丙子。安房又太郎を、将軍の身の回りの世話をする小侍所の班長に加えました。普段は非番であっても出仕していたからです。