吾妻鏡入門第四十八巻  

正嘉二年(1258)十二月小

正嘉二年(1258)十二月小九日甲申。於鶴岳八幡宮。被修諸神供養音樂云々。

読下し                     つるがおかはちまんぐう をい   しょしんくよう  おんがく  しゅうさる   うんぬん
正嘉二年(1258)十二月小九日甲申。鶴岳八幡宮に於て、諸神供養の音樂を修被ると云々。

現代語正嘉二年(1258)十二月小九日甲申。鶴岡八幡宮で、神様を供養するための音楽会を行ったそうな。

正嘉二年(1258)十二月小十日乙酉。主從敵對事。自今以後者。不論理非。不可有御沙汰之旨被定之。

読下し                     しゅじゅうてきたい  こと  いまよ   いご は    りひ  ろんぜず   ごさた  あ   べからず のむね  これ さだ  らる
正嘉二年(1258)十二月小十日乙酉。主從敵對の事、今自り以後者、理非を不論、御沙汰有る不可之旨、之を定め被る。

参考@主從敵對は、家来が主人を訴える事。不可とす。下剋上の始まりかも知れない。

現代語正嘉二年(1258)十二月小十日乙酉。家来が主人を被告に訴える事は、今から以後は、理屈抜きで裁判をしないようにと、決めました。

正嘉二年(1258)十二月小十二日丁亥。寅尅雷鳴。

読下し                       とらのこくらいめい
正嘉二年(1258)十二月小十二日丁亥。寅尅雷鳴。

現代語正嘉二年(1258)十二月小十二丁亥。午前4時頃、雷が鳴りました。

正嘉二年(1258)十二月小十六日辛夘。天リ。寅尅地震。巳時雷鳴及數度。

読下し                        そらはれ とらのこくぢしん みのこくらいめいすうど  およ
正嘉二年(1258)十二月小十六日辛夘。天リ。寅尅地震。巳時雷鳴數度に及ぶ。

現代語正嘉二年(1258)十二月小十六日辛卯。それは晴です。午前4時頃地震です。午前10時頃には雷が何度か鳴りました。

正嘉二年(1258)十二月小十九日甲午。諸方番帳等被加C書。依爲歳末也。於廂御簡者。随別仰。秋田城介於御所令C書之。

読下し                        しょほう  ばんちょうら  せいしょ  くは  らる    さいまつたる  よっ  なり
正嘉二年(1258)十二月小十九日甲午。諸方の番帳等@にC書を加へ被る。歳末爲に依て也。

ひさし おんふだ をい  は   べつ    おお   したが  あいだのじょうすけ ごしょ  をい  これ  せいしょせし
廂の御簡Aに於て者、別なる仰せに随い、秋田城介 御所に於て之をC書令む。

参考@番帳は、役目の名簿。
参考A
廂の御簡は、廂の間の出席簿。

現代語正嘉二年(1258)十二月小十九日甲午。あちこちの役目の名簿に将軍の意向で清書しました。年末だからです。将軍の隣のひさしの間の名簿は、将軍の特別に命じたので、秋田城介安達泰盛が清書をしましたとさ。

正嘉二年(1258)十二月小廿日乙未。將軍家聊御惱云々。

読下し                      しょうぐんけいささ ごのう  うんぬん
正嘉二年(1258)十二月小廿日乙未。將軍家聊か御惱と云々。

現代語正嘉二年(1258)十二月小二十日乙未。宗尊親王将軍家が多少具合が悪いとのことだそうな。

正嘉二年(1258)十二月小廿一日丙申。天リ。御惱平愈云々。

読下し                        そらはれ  ごのう へいゆ  うんぬん
正嘉二年(1258)十二月小廿一日丙申。天リ。御惱平愈と云々。

現代語正嘉二年(1258)十二月小二十一日丙申。空は晴です。具合の悪いのは治りましたとさ。

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