吾妻鏡入門第五十二巻  

文永二年乙丑(1265) 各頁のを押すとこの目次に戻ります

参考文永元年(1264)欠落
参考文永元年(1264)四月二十九日 惟康親王 生誕
参考文永元年(1264)五月三日 大仏朝直 死亡
参考文永元年(1264)七月三日 極楽寺長時執権辞任
参考文永元年(1264)夏中国ではフビライが征東行省を作ったと元史に載せている。文永五年(1268)正月元旦蒙古の使節が来て、文永十一年(1274)に蒙古は攻めてくる。
参考文永元年(1264)八月九日 退耕行勇 高野山金剛三昧院別当に
参考文永元年(1264)八月十一日 北條政村連署から執権に 時宗(数え年十四才)小侍所所司から連署に
参考文永元年(1264)八月二十一日 長時 死亡35才
参考文永元年(1264)十月 時輔六波羅探題南方に(これまで廿数年間空席であった)
参考文永元年(1264)十二月九日 にぎ玉集(宗尊親王の和歌集)成る

吾妻鏡第五十二巻 乙丑 文永二年   丙寅 文永三年 自正至七月

文永二年乙丑

文永二年(1265)正月大 垸飯、北条時宗(連署)・政村(執権)・時盛、比叡山と三井寺喧嘩、地震 読下し完了

文永二年(1265)二月小 二所詣で中の下馬橋で落馬、塩谷時朝卆、着到状に結解の文字を使うな 読下し完了

文永二年(1265)三月大 鞠の壺で童舞見学 町屋(商店)を九か所に限定 大地震 太田三善康家卆 読下し完了

文永二年(1265)四月小 夢想の告げで泰山府君祭を 関白二条義実辞表 弟一条実経任官    読下し完了

文永二年(1265)閏四月小 北条政房没 御所当番をサボるのは罪科に北条時宗小侍所に命令   読下し完了

文永二年(1265)五月小 元執権長時の一周忌 陰陽師の倅でも右筆は武士陰陽師の官職は持たない読下し完了

文永二年(1265)六月大 安達義景の十三回忌 大雨崖崩れ 評定衆新規参入 将軍最明寺亭訪問 読下し完了

文永二年(1265)七月小 侍二人乱闘双方死ぬ 将軍執権邸へ訪問 清原教隆没 将軍山内邸訪問 読下し完了

文永二年(1265)八月大 長時一周忌 妻の出産で放生会欠席行事は八幡宮任せ 馬場の催し見学 読下し完了

文永二年(1265)九月大   御息所産気伸び  二十日後 将軍の姫君掄子女王誕生      読下し完了

文永二年(1265)十月小 二階堂行泰没 連歌 出産祝いに勅使 勅撰集気になる 貢馬に暴れ馬 読下し完了

文永二年(1265)十一月大 勅撰集 弓始めの射手を指名 若宮別当大僧正に 善光寺地頭越権行為 読下し完了

文永二年(1265)十二月大 続歌合 彗星出現か 来春の弓始め射手検討 彗星発見       読下し完了

文永三年丙寅

文永三年(1266)正月大 垸飯は時宗・政村・義宗 彗星 雪降る 二所精進始め御息所政村邸へ 読下し完了

文永三年(1266)二月小 泥の雨降る 二所詣で代参出発 将軍精進のため御息所政村亭から戻る 読下し完了

文永三年(1266)三月大 雹降る 訴訟は引付を止め評定に 鷹狩は神供物領でも神主以外禁止  読下し完了

文永三年(1266)四月小 将軍できもの 藤原教定没 一の宮への守護介入禁止 比企谷で礫合戦起 読下し完了

文永三年(1266)五月小 曇りで日食見えず 病気のお祈り 若宮大僧正結願に治ると予言    読下し完了

文永三年(1266)六月小 上皇から諫言 時宗邸で深秘の沙汰 将軍妻時宗邸へ 御家人等集まる 読下し完了

文永三年(1266)七月大 武装兵鎌倉へ集まる 使者が時宗邸と御所往復す 将軍上洛させられる 読下し完了

参考十一月二日近衛中御所は将軍の娘を連れて上洛する。宗尊親王も中御所も京都の嵯峨に住んだが、別な場所だったらしい。

宗尊親王の歌 虎とのみ もてなされしは 昔にて 今は鼠の あな憂世の中
       十とせあまり 五とせまても 住みなれて なお忘られぬ 鎌倉の星
       ありて身の かひやなからん 國のため 民のためにと 思ひなさずば
       心をも 身をもくだかし あちきなし よしやよの中 あるにまかせて

吾妻鏡入門第五十二巻  

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