吾妻鏡入門第五十二巻

文永二年(1265)四月小

参考:*四月二十一日に時輔が式部丞(内官)從五位下になっている。内官は京都で通常武装をしない。外官は地方。

文永二年(1265)四月小廿二日辛酉。天リ。將軍家依御夢想之告。於御所南庭。被行泰山府君祭。主殿助業昌朝臣〔束帶〕奉仕之。御都状廣範草之。被下鞍馬一疋。御劔一腰。絹十疋。縫殿頭師連爲奉行。

読下し                     そらはれ しょうぐんけ ごむそう のつげ  よっ    ごしょ  なんてい  をい   たいさんふくんさい おこなはれ
文永二年(1265)四月小廿二日辛酉。天リ。將軍家御夢想之告に依て、御所の南庭に於て、泰山府君祭を行被る。

とのものすけなりまさあそん 〔そくたい〕 これ  ほうし   ごとじょう  ひろのりこれ  そう   くらうまいっぴき  ぎょけんひとこし  きぬじゅっぴき  くださる
主殿助業昌朝臣〔束帶〕之を奉仕す。御都状@は廣範之を草す。鞍馬一疋・御劔一腰・絹十疋を下被る。

ぬいのかみもろつらぶぎょうたり
縫殿頭師連奉行爲。

参考@御都状は、長生きできますようにと祈る時の書式。使う紙は黄紙(使用済みの紙を漉き返した紙・実際は御汁粉の薄い色)に朱書きで書き名前だけは墨で書く。ちなみに黄紙は、勅や院宣に使う。江戸幕府は大高檀紙を使う。

現代語文永二年(1265)四月小二十二日辛酉、空は晴です。宗尊親王将軍家は、夢のお告げを受けて、御所の南庭で、泰山府君祭を行いました。主殿助業昌さん〔束帯〕がこれを勤めました。祈りの紙は広範が草案をしました。鞍乗せ馬一頭、刀一腰、絹二十反を与えました。縫殿頭中原師連が担当しました。

文永二年(1265)四月小廿五日甲子。執柄〔良實。二條殿〕可被上表之由云々。

読下し                     しっぺい 〔よしざね  にじょうどの〕 じょうひょうさる べ  のよし  うんぬん
文永二年(1265)四月小廿五日甲子。執柄@〔良實。二條殿〕上表A被る可き之由と云々。

参考@執柄は、関白。
参考A
上表は、辞表で4月18日に出して止めている。二条義實が兄で、この後弟の一条實經がつく。

現代語文永二年(1265)四月小二十五日甲子。関白〔良実、二条殿〕は、辞表を出したんだそうな。

閏四月へ

吾妻鏡入門第五十二巻

inserted by FC2 system