文永三年(1266)五月小
文永三年(1266)五月小一日癸巳。陰。自去夜黒雲掩天。日蝕不正見。御祈三位僧都範乘也。祈祷玄應。殊依有御感。被送遣銀劔一腰。鞍馬一疋也。 |
読下し くもり さんぬ よ よ こくうんてん おお にっしょくせいげんせず
文永三年(1266)五月小一日癸巳。陰。去る夜自り黒雲天を掩い、日蝕正見不。
おいのり さんみそうづはんじょうなり きとう げんのう こと ぎょかん あ よっ ぎんけんひとこし あんめ いっぴき おく つか さる なり
御祈は三位僧都範乘也。祈祷は玄應。殊に御感有るに依て、銀劔一腰・鞍馬一疋を送り遣は被る也。
現代語文永三年(1266)五月小一日癸巳。曇りです。昨夜から黒い雲が空を覆っているので、日食は現れません。それでも日食の穢れから将軍を守るためのお祈りは三位僧都範乗です。加持祈祷は玄応です。特に良く感じたので、銀造りの太刀を一振りと鞍乗せ馬を一頭褒美に送らせました。
文永三年(1266)五月小廿四日丙辰。天リ。依御惱事。於廣御所。被始行五大尊合行法。若宮大僧正率伴僧八口奉仕之。 |
読下し そらはれ ごのう こと よっ ひろ ごしょ をい ごだいそんがっこうほう しぎょうさる
文永三年(1266)五月小廿四日丙辰。天リ。御惱の事に依て、廣の御所に於て、五大尊合行法@を始行被る。
わかみやだいそうじょう ばんそう はっく ひき これ ほうし
若宮大僧正、伴僧八口を率ひ之を奉仕す。
参考@五大尊合行法は、五大尊は不動,降三世(ごうざんぜ),軍荼利(ぐんだり),大威徳,金剛夜叉の五大明王のことで,天台密教では金剛夜叉にかえて烏蒭(枢)沙摩(うすさま)明王を用いることもある。これらの明王は,1明王ごとに壇を連ねて5壇で行う場合と,1壇のみで勤める場合とがあり,前者をとくに五壇法,後者を一壇法,五大尊合行法という。コトバンクから
現代語文永三年(1266)五月小二十四日丙辰。空は晴です。将軍が腫れ物の病気なので、広の御所で、五大明王の加持祈祷を始めました。若宮大僧正隆弁がお供の坊さん八人を部下にこの法要を勤めました。
文永三年(1266)五月小廿五日丁巳。相州令參御所給云々。 |
読下し そうしゅう ごしょ さん せし やま うんぬん
文永三年(1266)五月小廿五日丁巳。相州、御所に參じ令め給ふと云々。
現代語文永三年(1266)五月小二十五日丁巳。相州北条時宗は、御所に参りましたとさ。
文永三年(1266)五月小廿六日戊午。御惱事。當于御修法結願之日。可有御減氣之由。大阿闍梨申入之云々。 |
読下し ごのう こと ごしゅほう けちがん にひ にあた おんげんけ あ べ のよし
文永三年(1266)五月小廿六日戊午。御惱の事、御修法結願之日于當り、御減氣有る可き之由、
だいあじゃり これ もう い うんぬん
大阿闍梨之を申し入ると云々。
現代語文永三年(1266)五月小二十六日戊午。将軍の腫れ物の病気について、加持祈祷の満願の日になるので、病気は回復するでしょうと、大阿闍梨松殿僧正が予言して来ましたとさ。