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会津から米沢の町に入りかけた所で、長井に向かう国道298号線が鬼面川を渡りJR米坂線を渡った処、米沢の町の西はずれにある成島八幡宮に向かいました。

成島八幡宮

平成11年八月旧盆すぎに、米沢の南西の町外れ(米沢市広幡町成島)の小高い岡の上の森の中にっという感じで麓からは社殿はおろか森しか見えません。

蝉時雨の麓の鳥居の処で少女が写生をしているので「お邪魔します。」と声をかけると「いらっしゃいませ。」と明るく答えられて気分の良い思いをした。あれから6年あの少女も大学受験の年頃になっていることだろう。

石段の上がり口右の湧き水らしい手水の水は温くて飲む気にはなれなかった。少女も飲まない方が良いと云ってたが、翌年にはなくなっていた。結局いつも社務所にわざわざ声を掛ける事がためらわれたので、何も拝観することは出来ませんでした。

この神社には、元々僧形八幡神(応神天皇)とその母(神功皇后)と妻(仲津姫)とがあり、うち応神天皇像は現在川西町成宝寺に、他の二女神像が今でもここに保管されています。

後に東北歴史博物館の開館記念の「いのりの形ー東北の仏像展」で拝観しましたが、神功皇后像は目鼻立ちがぼんやりとしており、両手は袖に包んでいました。優しいお顔と不思議なお姿に魅了されました。画像は有りませんが、詳しくは米沢市のホームページから観光「成島八幡宮」で説明しています。

http://www.dewatabi.com/okitama/yonezawa/narusima.html

 

 

 

なお、成島八幡宮の説明版には、

「祭神は、応神天皇、神功皇后、比売神。奈良時代に蝦夷が反乱を起こした時に大伴駿河麿を将軍として派遣、宇佐八幡宮に勅願をたて、この地に苦戦し、宇佐八幡宮に念じて勝った為、勅命を得て宝亀八年(777)八幡神社を建立した。

大同二年(807)将軍坂上田村麿が戦勝を祈願し社殿を造営する。永保元年(1081)源義家は社領を寄進し、以来長井氏(大江)、蒲生氏、伊達氏(伊佐)、上杉氏と歴代の崇敬を集めた。
現在の拝殿は伊達宗遠が永徳三年(1383)に造営したものであり、本殿は上杉四代綱勝が承応三年(1664)に造営した。仙台市の大崎八幡神社(国宝)は伊達正宗が成島八幡神社を分霊して創建した。米沢市」とあります。

 

本山慈恩寺寒河江市

米沢から、南陽市、山形市を経て寒河江市の本山慈恩寺へ立ち寄りました。宿坊の名がのこり、境内の樹木の豊富さなどからかつての壮大さが伺われます。目的の仏様たちは本堂彌勒堂のお厨子のなかでお休みとの事で拝観はかないませんでしたが、隣の薬師堂の薬師三尊(国重文)は鎌倉時代的な仏像でした。また木立の深さが心を和ませてくれる寺です。寒河江市のホームページに乗ってます。

 

 

湯殿山

その後は、仏像とは直接関係ないのですが、出羽三山に興味があったので

湯殿山ホテルで夕方になり宿泊をしました。何よりも水道が湧き水を引いているので、氷のように冷たくてとてもおいしいのです。

なんと10秒と手を漬けておくとビリビリとしびれてくるんです。昔の井戸水を思い出します。その水がホテルの玄関前に引いてあり、ザアザアと溢れているのです。もう感動でした。(西瓜とトマトを冷やしておきたい。)

翌朝は六時半に宿のバスで湯殿山の本尊参りです。湯殿山の御神体は、噴泉が悠久の時をかけて作り上げた硫黄の大きな噴丘岩です。この自然の細工を修験者達が人知を超えたものとして崇め、裸足で熱い湯の上で修行としたと謂われ、今でも御神体として厳重な管理化に置いており、お参りの際はお札と形代として人形(ひとがた)を買い求め、お払いしてもらい、人形で体中を払い清めその上で参拝します。

羽黒山

当然、湯殿山と来たら次は羽黒山です。車で上まで行けますが、その前に手向(とうげ)部落の随身門のところで車を置き、国宝の五重塔を見に行きましょう。杉木立の中にたたずむ姿は写真で憧れていたとおり、なんとも神秘的に感じました。今回は残念ながら屋根の吹き替え工事中だったので、写真はありません。こちらをどうぞ

その後頂上の三山神社を目指すと意外と産業車が多いのに気が付きました。道はすいているので平地をぐるっと回ったほうが早そうなのに、わざわざ山越えで行く車が多いのが不思議でした。神社にはさすがに有名な出羽三山の代表神社なので観光客がとても多いのですが、宝物館に入ると人は少なかったです。ここにはある人が集めた由緒の分からない仏像が沢山寄贈されています。帰りに手向部落の中央にある黄金堂に寄りましょう。頼朝が奥州征伐のお礼に建立したと伝えられます。羽黒山仁王門の仁王や出羽三山本地仏像や三十三観音などがずらりとあります。

本間家・庄内酒田

羽黒山からは、庄内地方の鶴岡を通って酒田へ向かいました。あの「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」の本間家へよってみました。この本間家は元は神奈川県厚木市依知(えち)の出身で本間右馬允義忠が初祖で御家人でしたが、その子孫は北条時房の被官として佐渡の代官となり(太平記で日野資朝を預かった本間山城入道も一族)、後に庄内へ移り江戸時代に酒田で藩の御用商人となって財をなした方です。確かに大きな屋敷ですが、うーん!よく解りませんでした。

どうしても象潟をみたかったので、酒田から日本海沿いに北へ向かいました。山形秋田県境の鳥海山に近づき始めたところで、奇妙なものに出会いました。

とてつもなくでかい風力発電機、いわゆる風車です。話に聞いてはいましたが実物を見たのは初めてでした。妙な感動を覚えました。

そして、山形秋田県境の鳥海山です。

象潟次は、昔から行って見たかった芭蕉翁をして「松島は笑うが如く、象潟はうらむが如し」と言わせた象潟へ行って見ました。道の駅象潟には六階建ての展望台があり、芭蕉翁も見られなかった「夢の鳥瞰図」を道の駅「ねむの丘」の六階展望台から見ることが出来ました。本当に田んぼの中の松島なんです。

そして、芭蕉さんが訪れた最北の地でもある蟹満寺へ行ってみますと、田んぼの中の島がより鮮明に感じられました。

芭蕉の時代には未だ海が入り込んでいて、蟹満寺へは舟で行ったようです。その名残として寺の裏の芭蕉上陸の地に池が掘られていました。芭蕉の訪問から百年後位に大地震で地盤が隆起して、陸地となってしまいました。

一回目の平成11年には、雨が降っていたので、しっとりとした象潟を味わうことが出来ました。本当に「象潟や雨に西施が合歓(ねぶ)の花」でした。

西施(せいし)というのは、中国の古代にその美しさに夢中になり王が政治を忘れて国を傾けてしまった程の美人との誉れのある女性で、合歓(ねぶ)というのは男女が愛し合う事だそうなので、それを芭蕉がもじっているとの事です。

言わば、松島の美しさと比較すると陰の美しさを詩っているので「松島は笑うが如く、象潟は恨むが如し」となるのでしょう。

写真は今回平成14年八月下旬です。

 

 

 

そうそう蟹満寺の庭に北条時頼お手植えのつつじがありました。こんなところまで回国伝説が有るんですね。しかも梅松桜でない処に苦心が感じられます。

 

 

 

 

 

 

 

の後は、秋田の羽後本庄、大曲を通って角館へ向かいました。

角館古い武家屋敷時代のたたずまいがそのまま残る角館は、元和6年佐竹秋田藩の支藩として、芦名義勝によって整えられたいいます。特に北側の武家町は区割りまで当時のままだといいます。角館は武家屋敷の町です。きれいなところですね。

角館での宿泊は、市街から国道46号線を秋田方面へ10キロほど入った仙北市営角館温泉花葉館がお進めです。まだ新しくって、若い従業員の方がそばを通ると必ず声を掛けてくれる優しさが印象に残りました。

但し、早い予約でないと夕食はレストランで別注文になります。

 

途中で中仙町の秋田県で唯一の国宝、線刻千手観音の彫られた神鏡のある水神社、と千手観音像と頭の天辺に神の依代(よりしろ)を持っている聖観音のある小沼神社へ行ってみました。小沼神社は山道を約20分程登りますがこの日が今年一番の暑い日だったのです。(死ぬかと思った。)でも山の中腹に静かな沼のほとりに小さな神社があり、とても神秘的で古代の神の降臨場所とした気持ちがわかります。後日東北歴史博物館で拝顔させていただきました。

温泉めぐり・翌日は田沢湖から乳頭温泉郷の鶴の湯、例の白く濁った露天風呂です。黒湯は名前は黒ですが白濁です。でも柱が黒くなってました。蟹場の湯は熱くてまいった。多摩川温泉は世界一のラジウム量を誇る温泉で、県営駐車場の車に寝泊りして温泉場にゴザを引いて寝ている人が多かった。ガンに効くと有名です。と湯めぐりをして11年は八幡平の後生掛温泉に一泊しました。後生掛温泉では、手伝いの若い娘さんの作務衣姿が可愛かった。

環状列石これもどうしても見たかった「大湯環状列石(ストーンサークル)」を見に行きました。十和田湖へ行くときに大湯という名を聞いただけで環状列石を思い浮かべていた私にとっては電話で知り合った恋人に会いにでも行くような気分でした。

行った時はちょうど歴史公園化するための整備工事に伴う発掘調査中で、普段より下まで掘り出していて、しかも工事業者だけなので専門家のような顔をして園地の中を堂々と歩いてそばに行ってじっくりと見てきました。見ているとなんとなく先祖の夷の血が呼ぶような気がしました。大湯環状列石については、私が語るより沢山のホームページがあるので、ご覧下さい。

  大湯環状列石  又は 縄文ジャパン 又は 鹿角市ホームページ

1頁 会津磐梯町・会津湯川村・会津坂下町。会津喜多方市

2頁 米沢・寒河江・湯殿山・羽黒山・酒田・象潟・角館・大湯

3頁 浄法寺町・天台寺・遠野

4頁 江刺藤原の郷・平泉・阿津賀志山防塁

5頁 二本松・安達・会津若松・須賀川・白河・いわき

 

(二) 

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