吾妻鏡 寺社仏閣事典   

作成進行状況:10巻文治6年(1190)2月末日まで整理済み

あつた熱田は、熱田神宮。一巻治承四年八月十八日

あまなわしんめいぐう甘繩神明宮は、鎌倉市長谷1丁目1番に鎮座。六巻文治二年(1186)正月二日、十月二十四日。祭神は天照大神。

あわいちのみや安房一宮は、千葉県館山市大神宮589の安房神社。27巻寛喜元年(1229)十二月十日

あわじんじゃ安房神社は、安房一宮は、千葉県館山市大神宮589。27巻寛喜元年(1229)十二月十日

あんらくじ安樂寺は、筑前大宰府安楽寺天満宮。菅原道真廟所。六巻文治二年(1186)四月三日、文治二年(1186)四月三日に宇佐神宮から告げ口があり、その後同族の全珍から訴えがあり、六月十五日に安能の弁解の書面が鎌倉へ届いたなどしていたが。六巻文治二年(1186)八月十八日

あんらくじゅいん安楽寿院は、鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が造営した仏堂を起源とする寺院。白河天皇が退位後の居所として造営。白河鳥羽後白河の院政の舞台。京都市伏見区竹田。八巻文治四年(1188)三月十七日

いくさわなおもとしゃ生澤直下社は、大磯町生沢の鷹取山山頂の鷹取神社。平塚市土屋の南。11巻建久2年4月27日

いこうじ威光寺は、川崎市多摩区長尾三丁目の妙楽寺がかつての源氏祈願寺の長尾山威光寺跡と云われる。十九日に出てくる長尾寺と同一で。妙楽寺そばに礎石が残る。 http://home.g06.itscom.net/rinchako/noble/noble_goout/NG_myourakuji.html一巻治承四年十一月十五日四巻元暦二年(1185)四月十三日

いざはのみや伊雜宮は、伊勢神宮の別宮のひとつ。二巻養和元年三月六日

いずさん伊豆山は、静岡県熱海市伊豆山708−1静岡県熱海市の走湯神社伊豆山神社。旧名は走湯權現。十二巻建久三年(1192)五月小八日

いずさんごんげん伊豆山権現は、今の熱海市の走湯神社で走湯山権現とも云う。一巻治承四年八月十九日

いちのみや一宮は、東京都多摩市一ノ宮。二巻養和元年四月廿日

いちのみや一宮は、大和朝廷の頃に全国を征服するまでの地域の土豪を国毎に征服した順に番号をつけ、天皇家の神の分家にした。番数は國よってちがうので、長門は八まであり、三で終っている国もある。壽永三年(1184)正月八日

いちのみや(さむかわ)一宮〔佐河大明神〕は、高座郡寒川町宮山3916寒川神社。相模一ノ宮。十二巻建久三年(1192)八月小九日

いまはちまんぐう今八幡宮は、石清水八幡宮。六巻文治二年(1186)三月十二日

いまひえ新日吉は、後白河法皇が法住殿造営にあたり、鎮守社として日吉山王七社を勧請した。六巻文治二年(1186)七月二十八日、八月五日

いわしみず石C水は、京都府八幡市八幡高坊の岩清水八幡宮。四巻元暦二年(1185)六月

いわていじんじゃ八幡宮(伊沢郡鎮守)は、岩手県奥州市水沢区黒石町字小島の石手堰神社九巻文治五年(1189)九月二十一日

いわどのかんのんどう岩殿觀音堂は、神奈川県逗子市久木5丁目7の岩殿寺。坂東三十三観音第二番札所。十二巻建久三年(1192)三月小廿三日、七巻文治三年(1187)二月二十三日

いわやどう窟堂は、神奈川県鎌倉市雪ノ下二丁目2−1岩窟不動尊。八巻文治四年(1188)正月一日、十二巻建久三年(1192)五月小八日

うさぐう宇佐宮は、宇佐八幡宮。大分県宇佐市南宇佐2859の宇佐神宮五巻文治元年(1185)十月十六日

うさだいぐうじ宇佐大宮司宇佐大宮司は、宇佐八幡宮の宮司の筆頭。宇佐八幡は、大分県宇佐市南宇佐2859の宇佐神宮四巻元暦二年(1185)五月八日

うつのみや宇津宮は、現在の宇都宮二荒山神社(ふたらやまじんじゃ)の別号http://61.194.63.139/ext/mukautu.html九巻文治五年(1189)七月廿五日

うつのみやしゃ宇都宮社は、栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1の宇都宮二荒山神社。九巻文治五年(1189)十月十九日

えいざん叡山は、比叡山延暦寺。六巻文治二年(1186)六月二十二日

えんしょうじ圓勝寺は、鳥羽天皇皇后待賢門院璋子の御願寺。京都市美術館の辺りにあった。白河の地には代々の天皇・上皇・女院たちの御願によって建てられた6つの寺院が並んでいた。法勝寺(白河天皇御願寺)・尊勝寺(堀河天皇御願寺)・最勝寺(鳥羽天皇御願寺)・円勝寺(鳥羽天皇皇后待賢門院御願寺)・成勝寺(崇徳天皇御願寺)・延勝寺(近衛天皇御願寺)と、いずれも「勝」の字がつくため、この6カ寺をあわせて「六勝寺」と呼ばれる。六巻文治二年(1186)二月二十九日

えんしょうじ延勝寺は、六勝寺のひとつ近衛天皇御願寺。八巻文治四年(1188)六月四日

えんりゅうじ圓隆寺は、毛通寺の金堂。9巻文治5年(1189)9月17日

おおくらかんのんどう大倉觀音堂は、神奈川県鎌倉市二階堂903杉本寺、通称は杉本觀音。坂東三十三観音第一番札所。十二巻建久三年(1192)五月八日

おおみね大峯は、大峯山寺は奈良県吉野郡天川村にある修験道の寺院である。大峯山の中心である山上ケ岳の山頂に建つ。女人禁制で毎年5月2日に戸開式、9月22日に戸閉式が行われる。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。六巻文治二年三月六日

おおやまでら相摸國大山寺は、神奈川県伊勢原市大山阿夫利神社。神仏分離後雨降山大山寺と分かれた。http://www.afuri.or.jp/ http://www.oyamadera.jp/三巻元暦元年(1184)九月十七

おうふくじ王福寺〔坂本〕は、神奈川県中郡大磯町寺坂大高山王福寺。十二巻建久三年(1192)八月小九日

おとこやま男山は、京都府八幡市八幡高坊の岩清水八幡宮。一巻治承四年(1180)四月二十七日

おのじんじゃ小野神社は、武蔵一ノ宮は、東京都多摩市一ノ宮1丁目18-8。27巻寛喜元年(1229)十二月十日

おむろ御室は、御室仁和寺。六巻文治二年(1186)三月十二日

おんじょうじ園城寺は、通称三井寺で寺門とも云い、天台宗寺門派本山にて近江国滋賀郡大津の西北三井の地。三井寺は俗称で、天智天皇・天武天皇・持統天皇の三人が産湯を使った井戸があることから三井寺と云う。一巻治承四年五月二十七日二巻養和元年五月八日三巻元暦元年(1184)十一月二十三

おんじょうじしんらぜんしんどう園城寺新羅善神堂は、大津市園城寺町長等地区の園城寺所有、室町時代建立(国宝)の園城寺北院の森の中に、南面して建つ。園城寺の中興開山智証大師円珍が唐より帰朝の途次、船中で護法を誓った新羅明神を祀る。明治の神仏分離によって現在の名称となった。三間社流造の神社本殿の建築で、桁行三間・梁間二間の内陣は、正面中央を板扉とする以外はすべて漆喰壁とし、その前に一間の外陣がつく。外陣の正面・側面の欄間には、牡丹唐草と鳳凰の透彫がほどこされている。寺伝によれば、貞和3年(1347)足利尊氏により再建されたという。三巻元暦元年(1184)十一月二十三

かがみしゃ鏡社は、佐賀県唐津市南城内3-13唐津神社で神功皇后が新羅遠征の海路の安全を祈願し、凱旋時に捧げたと伝えられる宝鏡を発見し祀ったのが始まりと伝えられる古社。六巻文治二年(1186)十二月十日

かしいしゃ香椎社は、香椎宮で福岡県東区香椎にあり、仲哀(ちゆうあい)天皇・神功皇后を祀(まつ)る。四巻元暦二年(1185)六月二十

かしましゃ鹿嶋社は、茨城県鹿嶋市宮中の鹿島神宮寿永二年(1183)二月二十八日・三巻壽永三年(1184)正月廿三日三巻元暦元年(1184)八月十三三巻元暦元年(1184)十二月廿五

かしまじんじゃ鹿島神社は、茨城県鹿島市鹿島神宮。二巻養和元年二月廿八日

かしょうじ嘉勝寺(ひらいずみ)九巻文治五年(1189)九月十七日

かずさいちのみや上総一宮は、千葉県長生郡一宮町一宮の玉前神社

がちりんじ月林寺は、比叡山の寺のひとつ。梅若丸伝説の寺。荘園地は不明。六巻文治二年(1186)三月十二日

かとりしゃ下総香取社は、千葉県香取市香取の香取神宮二巻壽永元年(1182)月十一

かめがやつどう亀谷堂は、岡崎四郎義實の建立した一宇で、後に政子が寿福寺の前身を建立。二巻養和元年三月一日

かも(やぎした)賀茂〔柳下〕は、小田原市らしいが、詳しい事は分からない。十二巻建久三年(1192)八月小九日

かもしゃ賀茂社は、京都の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨(しもがも)神社)。賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)との併称が賀茂神社。創建は古く、特に平安時代以後、王城鎮護の神社として朝廷の尊崇あつく、嵯峨天皇の代より斎院として未婚の皇女を御杖代(みつえしろ)として奉仕させた。社の例祭(賀茂祭)は、葵祭として三大勅祭の一。山城国一の宮。六巻文治二年(1186)三月十二日

かものわけいかづちしゃ賀茂別雷社は、京都府京都市北区上賀茂本山339の賀茂別雷社。山城国一宮。六巻文治二年(1186)九月五日、十月一日

かもみおや鴨祖(かもみおや)は、京都の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨(しもがも)神社)。賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)との併称が賀茂神社。創建は古く、特に平安時代以後、王城鎮護の神社として朝廷の尊崇あつく、嵯峨天皇の代より斎院として未婚の皇女を御杖代(みつえしろ)として奉仕させた。社の例祭(賀茂祭)は、葵祭として三大勅祭の一。山城国一の宮。四巻元暦二年(1185)正月二十二日

かんきこういん歡喜光院は、菅原院天満宮神社京都市上京区烏丸通下立売下る堀松町406。元は道真の屋敷跡で道真死後歓喜光院となったが、後に六条道場(六条河原院)へ移している。その後、この地に菅原道真公を本座とし相殿に父是善卿を奉祀して菅原院天満宮を創建し今日に至る。六巻文治二年(1186)六月二十五日

かんじさいおういん観自在王院(平泉阿弥陀堂)九巻文治五年(1189)九月十七日

がんじょうじゅいん願成就院は、静岡県伊豆の国市寺家83-1に現存する。阿彌陀三尊并不動多門形像は、運慶作で現存する。九巻文治五年(1189)六月六日

かんだちは、カンダチと読み神館を意味する。又(まうけ)とも読み、儲の義で社の田地を言う。千葉県鴨川市西町(旧東条)庤(まうけ)神社。現在ではもうけじんじゃとも呼ぶ。五巻文治元年十二月四日

がんでんじ岩殿寺は、神奈川県逗子市久木5丁目7に岩殿寺。坂東三十三観音第一番札所。十二巻建久三年(1192)五月小八日「岩殿観音堂」

かんのんじ觀音寺〔金目〕は、神奈川県平塚市南金目896光明寺金目觀音。坂東三十三観音第七番札所。十二巻建久三年(1192)五月小八日十二巻建久三年(1192)八月小九日

かんはっしゅういちのみや関八州の一宮は、相模は寒川神社、武蔵は、氷川神社、上野は貴前神社、下野は二荒山神社(宇都宮)、常陸は鹿島神宮、下総は香取神宮、上総は玉前神社、安房は洲崎神社。プラス伊豆は三島大社。五巻文治元年(1185)十一月廿四

きっしょうどう吉祥堂(平泉)九巻文治五年(1189)九月十七日

きびつのみや吉備津宮は、岡山県岡山市の吉備津神社。三巻元暦元年(1184)十二月十六

きんごくいちのみや近國一宮とは、通常近国というと畿内近国を指すが、この場合は前後の関係から鎌倉の近国を表している。関八州の一宮は、相模は寒川神社、武蔵は、氷川神社、上野は貴前神社、下野は二荒山神社(宇都宮)、常陸は鹿島神宮、下総は香取神宮、上総は玉前神社、安房は洲崎神社。プラス伊豆は三島大社。五巻文治元年(1185)十一月廿四

ぐうじ宮寺は、八幡宮寺。別當は、一人。供僧は、二十五坊あったと云われる。九巻文治五年(1189)五月八日

くじょうじょうこうじ九條城興寺は、京都府京都市南区東九条烏丸町7-1。平安時代末期には、以仁王がこの寺の寺領を領していたが、治承3年(1179年)平氏政権によってとりあげられた。このことが以仁王の乱の原因のひとつとされる。平氏滅亡後、城興寺は以仁王の子真性にうけつがれ、16世紀の記録によると寺領は比叡山不動院の管理下にあったことがしられる。ウィキペディアから六巻文治二年(1186)三月十二日

ぐみょうじ求明寺は、横浜市南区の弘明寺観音(京急弘明寺下車すぐ)で、尊像は平安中期と推測される鉈彫り。二巻養和元年一月二十三日

くらま鞍馬は、寺を松尾山金剛壽命と号す。本尊は毘沙門天。天台宗。義經牛若丸時代、ここに居た。そのような由緒のある寺の奥に昌俊が隠れたのは、何か特別の縁故があるのか疑問である。しかも、義經の育ったところではないか。五巻文治元年(1185)十月二十六

くりたじ栗田寺は、長野市栗太。一巻治承四年九月七日

くりはまだいみょうじん栗濱大明~は、神奈川県横須賀市久里浜8丁目29の住吉神社。二巻永元年(1182)月十三

くろべみや黒部宮〔平塚〕は、平塚市平塚4丁目の春日神社の元の宮らしい。十二巻建久三年(1192)八月小九日

げつりんじ→がちりんじ

けんこうじ顯光寺は、旧水内郡戸隠山の別当。戸隠山顕光寺は廃寺。光前寺・善光寺・佐久津金寺・更科八幡宮寺(廃寺)と供に天台宗信濃五山だった。戸隠神社六巻文治二年(1186)三月十二日

こうすいじ高水寺は、紫波郡紫波町高水寺の地名有り。9巻文治5年(1189)9月9日紫波町二日町字向山171。9巻文治5年(1189)9月11日

こうづけいちのみや上野一宮は、群馬県富岡市一ノ宮1535の貫前神社。27巻寛喜元年(1229)十二月十日

こうのだけ神嵩は、逗子市沼間二丁目の神武寺。十九巻承元三年五月十五日

こうやさん高野山は、金剛峰寺。三巻元暦元年(1184)七月二日

こうらいじ(こまでら)高麗寺〔大磯〕は、中郡大磯町高麗2丁目9高来神社の別当寺だったが廃寺。建久三年(1192)八月小九日己酉十二巻建久三年(1192)五月小八日

おがしまたいしゃ小鹿嶋大社は、 秋田県男鹿市北浦真山 字水喰沢97 男鹿真山神社と思われる。10巻文治6年(1190)1月6日

こくぶんじ國分寺〔一宮下〕は、海老名の国分寺跡か?一宮下の意味が分からない。十二巻建久三年(1192)八月小九日

こくぶんじ國分寺は、相模国なら神奈川県海老名市国分南1丁目19に国分寺跡あり。武蔵なら東京都国分寺市西元町1丁目13に国分寺跡あり。十二巻建久三年(1192)五月小八日

ごずのみや五頭宮は、足柄上郡中井町遠藤の五所宮八幡神社らしい。十二巻建久三年(1192)八月小九日

ごだいどう五大堂〔八幡。大會御堂と号す〕は、平塚市らしい。十二巻建久三年(1192)八月小九日

こまでら(こうらいじ)高麗寺〔大磯〕は、神奈川県中郡大磯町高麗2丁目9高来神社の別当寺だったが廃寺。建久三年(1192)八月小九日己酉十二巻建久三年(1192)五月小八日

ごりょうしゃ(ごれいしゃ)御靈社は、鎌倉権五郎景政を祀った神奈川県鎌倉市坂の下4-9御霊神社。なお、同じ祭神で同名の御霊神社が@藤沢市宮前が一番古いと言われ。A藤沢市川名656B藤沢市羽鳥1062C鎌倉市梶原1-12-27D栄区長尾台町372E横浜市泉区中田北3-42-1F栄区長尾台372G栄区田谷町1506(御霊社)H戸塚区汲沢町1273(五霊神社)I戸塚区小雀町1193(五霊神社)J泉区新橋109(五霊神社)K逗子市沼間3-10-34(五霊神社)等に分祀したようである。四巻文治元年(1185)八月二十七日。鎌倉近辺には大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉という平氏五家があり、これら五家の祖を祀る神社として五霊神社が建てられた。五家のうちの一つ鎌倉権五郎景政公だけを祀るようになり御霊神社となる。通称権五郎さんとも呼ばれる。

こんごういん金剛院は、金剛勝院。京都粟田口にあった。美福門院藤原得子(なりこ)崩御の地。六巻文治二年(1186)三月十二日

こんごうじ金剛寺(相州)は、厚木市飯山の飯山観音脇に金剛寺あり。弘法大師の開山の伝説もあり、厚木市のHPには「身代わり地蔵といわれ、健康と安全を願う人々に信仰されました。この像の内側の銘文から、正安元年(1299)9月に京都の仏師院慶によって造られたことがわかりました。作者と製作年代が共に明確である大変珍しい貴重な仏像です。とあります。二巻養和二年月廿五

こんごうじ金剛寺(上州)は、群馬県安中市松井田町新堀1058の碓氷山金剛寺か、前橋市苗ケ島町1148の金剛寺かもしれない。乞情報。七巻文治三年(1187)四月四日

こんごうしんいん金剛心院は、鳥羽離宮の田中殿付属院。八巻文治四年(1188)六月四日

こんじきどう金色堂九巻文治五年(1189)九月十七日

さいしょうこういん最勝光院は、承安三年(一一七三)、建春門院(後白河院女御)御願として建立された。法住寺殿内。四巻元暦二年(1185)七月十九。後白河法皇が造営した御所で三十三間堂そばにあった。六巻文治二年(1186)三月十二日

さいしょうじ最勝寺は、白河の地には代々の天皇・上皇・女院たちの御願によって建てられた6つの寺院六勝寺が並んでいた。最勝寺(さいしょうじ)は鳥羽天皇御願。元永元(1118)年落慶供養。六巻文治二年(1186)九月十三

ざおうどう藏王堂は、金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂(国宝)東大寺の大仏殿に次ぐという巨大木造建築は高さ34メートルの重層入母屋造。五巻文治元年(1185)十一月十七日

さがみいちのみや相摸一宮は、相摸一の宮で神奈川県高座郡寒川町の寒川神社二巻壽永元年(1182)月十一

さがみのくにこんごうじ 相摸國金剛寺は、厚木市飯山の飯山観音脇に金剛寺あり。弘法大師の開山の伝説もあり、厚木市のHPには「身代わり地蔵といわれ、健康と安全を願う人々に信仰されました。この像の内側の銘文から、正安元年(1299)9月に京都の仏師院慶によって造られたことがわかりました。作者と製作年代が共に明確である大変珍しい貴重な仏像です。とあります。二巻養和二年五月廿五

がみのくにおおやまでら相摸國大山寺は、神奈川県伊勢原市大山阿夫利神社。神仏分離後雨降山大山寺と分かれた。http://www.afuri.or.jp/ http://www.oyamadera.jp/三巻元暦元年(1184)九月十七

さむかわじんじゃ寒川神社は、相模一宮は、神奈川県高座郡寒川町27巻寛喜元年(1229)十二月十日

さめがいわかみや左女牛若宮は、京都市下京区六条若宮通上ルに頼義が邸内鎮守として石清水八幡宮を勧請したのが始まり。七巻文治三年(1187)十月二十六日  
さめがいぐうじ女左牛宮寺は、
京都市下京区六条若宮通上ルに、源頼義が天喜元年(1053)に創建した若宮八幡宮(六条八幡宮、左女牛八幡宮)がまつられていました。この地に、源頼義の子、義家親子の邸宅がありました。若宮八幡宮は、慶長10年(1605)五条坂へ移転しています。もとの場所にも、小祠がまつられたいたようで、現在では、町内の有志の人びとによって社殿が再興され、八幡宮がまつられています。鳥居の横の「若宮八幡宮」の石碑の側面には「八幡太郎源義家誕生地」と刻まれた石碑が建っています。14巻
建久五年(1194)八月小十二日

さんじょう山上は、比叡山の事。この時代「山」といえば比叡山、「寺」といえば三井寺を指した。九巻文治五年(1189)四月十九日

さんのみや三宮〔冠大明神〕は、伊勢原市三ノ宮の比々多神社。十二巻建久三年(1192)八月小九日

しおがま塩竃は、陸奥国一ノ宮塩釜神社。宮城県塩竃市一森山1-1。10巻文治6年(1190)2月6日

じこうさん慈光山は、慈光寺、埼玉県都幾川村西平。武蔵最古伝白鳳2年(673)。坂東三十三観音霊場九番札所。9巻文治5年(1189)10月22日

じこうじ慈光寺は、埼玉県比企郡都幾川村西平386都幾山慈光寺。坂東三十三観音第九番札所。十二巻建久三年(1192)五月小八日http://bell.jp/pancho/travel/saitama/jikoji.htm九巻文治五年(1189)六月二十九日

しどどうじょう志度道場は、香川県さぬき市志度の志度寺で、志度浦に辿り着いた霊木を尼凡薗子が草庵へ持ち帰り安置し、そののち霊木は本尊(十一面観音)として彫られ、堂宇が建立された。創建は推古天皇33年(626年)とされ、天武天皇10年(681年)には藤原不比等が堂宇を増築し、「志度道場」として名づけた。また、持統天皇76年(693年)には藤原房前が行基とともに堂宇を建立したと伝えている。ウィキペディアより四巻元暦二年(1185)二月二十一日

しのみや(さきとり)四宮〔前取大明神〕は、平塚市四之宮4丁目14の前鳥神社。十二巻建久三年(1192)八月小九日

しのみやじんじゃ篠宮神社→参考四宮庄は、長野県長野市篠ノ井にあった篠宮神社。八巻文治四年(1188)二月二日

しまづしゃ島津社は、愛知県津島市神明町の津島神社、神社が荘園扱いされている。八巻文治四年(1188)二月二日

しもふさかとりしゃ下総香取社は、千葉県香取市香取の香取神宮二巻壽永元年(1182)月十一

じゃくらくじ寂樂寺は、京都北白川の現白河の喜多院。三巻元暦元年(1184)七月二日

じょうじゅいん成就院は、高野山内にある寺。三巻元暦元年(1184)七月二日

じょうしょうじ成勝寺は、白河の地に代々の天皇・上皇・女院たちの御願によって建てられた6つの寺院六勝寺のひとつで崇徳天皇御願。保延5(1139)年落慶供養。六巻文治二年(1186)六月二十九日

じょうそうじ常蘇寺〔城所〕は、平塚市城所浄心寺。十二巻建久三年(1192)八月小九日

しょうちょうじゅいん勝長壽院は、南御堂とも呼び、同鎌倉市雪ノ下四丁目六にあった廃寺。七巻文治三年(1187)四月二日

しょうぼだいいん證菩提院は、大日本史の堀川天皇の項に中右記からの記事として「建證菩提院」とあるが不明。六巻文治二年(1186)三月十二日

しょうぼだいじ證菩提寺は、神奈川県横浜市栄区上郷町1864。頼朝が石橋山合戦で戦死した佐那田余一義忠を祀る。二十二巻建保三年(1215)五月大十二日

しょしゃざん書寫山は、兵庫県姫路市書写山2968円教寺。康保3年(966)性空上人の開創である。四巻文治元年(1185)八月二十四日

しらかわせきみょうじん白河關明神は、福島県白河市旗宿白河内の白河神社。南200mに白河の関跡。九巻文治五年(1189)七月廿九日

しんがくじ新樂寺〔小磯〕は、大磯町西小磯金龍寺。建久三年(1192)八月小九日己酉

じんごじ神護寺は、京都市右京区梅ケ畑高雄町5にある高野山真言宗別格本山の寺院。四巻元暦二年(1185)七月十五

しんじひじ眞慈悲寺は、東京都日野市百草209の百草園(もぐさえん)にあったらしい。廃寺。南北朝内乱で荒廃し礎石だけになってしまった。百草八幡神社(日野市百草867)には「建長二年(1250)武州多西吉富真慈悲寺」と刻まれた阿弥陀如来像があるそうです。六巻文治二年(1186)二月三日十二巻建久三年(1192)五月小八日

しんしゃかどう新尺迦堂は、不明。(京都府南丹市美山町鶴ヶ岡に新釈迦堂前の地名有)六巻文治二年(1186)三月十二日

しんひえ(やなぎだ)新日吉〔柳田〕は、大磯町国府新宿の日吉神社のそばの蓮華院。十二巻建久三年(1192)八月小九日

じんむじ寺努寺は、逗子市沼間2丁目の神武寺。十二巻建久三年(1192)八月小九日

しんらくじ新樂寺〔小磯〕は、大磯町西小磯金龍寺。十二巻建久三年(1192)八月小九日

すさきしゃ洲崎社は、千葉県館山市洲崎の洲崎神社二巻壽永元年(1182)月十一

すのさきじんじゃ洲崎神社は、千葉県館山市の洲崎神社。最寄駅は内房線館山駅からバスで洲の崎神社前下車。二巻養和元年二月十日・一巻治承四年九月五日

すみよしじんじゃ元は住吉神社が中国との貿易をしていたが、清盛に独占されて住吉社が騒いだので配流にされたらしい。一巻治承四年七月二十三日

せいしょうじ成勝寺は、六勝寺の一つ、崇徳天皇御願。保延5(1139)年落慶供養。六巻文治二年六月二十九日九巻文治五年(1189)三月二十二日

せんげんしゃ浅間社は、静岡県富士宮市宮町1-1富士山本宮浅間大社で駿河一ノ宮。六巻文治二年(1186)三月十二日

ぜんこうじ善光寺は、旧上水内郡芋井村。1954長野市へ合併。現長野市桜に芋井中学あり。普光寺なら長野県上水内郡飯綱町普光寺。六巻文治二年(1186)三月十二日

せんじゅどう千手堂(平泉)九巻文治五年(1189)九月十七日

せんそうじ淺草寺は、東京都台東区浅草2丁目3−1金龍山浅草寺。通称あさくさの観音様。坂東三十三観音第十三番札所。十二巻建久三年(1192)五月小八日

そうげんじ宗元寺〔三浦〕は、横須賀市公郷町3丁目横須賀高校一帯、曹源寺。十二巻建久三年(1192)八月小九日

そうじゃ惣社〔柳田〕は、中郡大磯町国府本郷の六所神社。十二巻建久三年(1192)八月小九日

そんしょうじ尊勝寺は、六勝寺のひとつで、堀河天皇(1079〜1107)の御願寺。康和4(1102)年に落慶供養が行われ、方四町の敷地には様々な堂舎が建てられた。創建後、たびたび災難に遭ったが、そのつど修復された。しかし、南北朝の内乱期に兵火で全焼したと伝えられる。左京区最勝寺町(京都会館前)にその跡を示す石標六巻文治二年(1186)三月十二日

そうとうごんげん走湯權現は、伊豆山神社。一巻治承四年八月十八日

そうとうさん走湯山は、伊豆山権現とも云って、熱海にある。一巻治承四年七月五日静岡県熱海市伊豆山708−1静岡県熱海市の走湯神社伊豆山神社。七巻文治三年(1187)四月二日

だいかくじ大覺寺は、京都府京都市右京区嵯峨大沢町。真言宗大覚寺派本山五巻文治元年(1185)十二月十七

だいきちどう大吉堂は、長浜市野瀬町の天吉寺に旧跡あり。現在は支院が名を継いでいる。文治三年(1187)二月九日

だいじんぐう太神宮は、伊勢神宮。六巻文治二年(1186)三月十二日、五巻文治元年(1185)十一月廿四日

だいせんじ大山寺は、神奈川県伊勢原市大山の阿夫利神社、神仏分離後雨降山大山寺と分かれた。十二巻建久三年(1192)八月小九日十二巻建久三年(1192)五月小八日http://www.afuri.or.jp/ http://www.oyamadera.jp/三巻元暦元年(1184)九月十七

だいきちどう大吉堂は、長浜市野瀬町の天吉寺に旧跡あり。現在は支院が名を継いでいる。七巻文治三年(1187)二月九日

だいにちどう大日堂は、神奈川県藤沢市西俣野の御嶽神社(みたけおおかみ)。15巻建久6年11月19日

だいはこね大箱根は、足柄下郡箱根町元箱根80−1箱根神社。旧名は筥根權現。十二巻建久三年(1192)八月小九日一巻治承四年八月十八日

たいまじんじゃ大麻藤太家人は、香川県善通寺市大麻神社で金毘羅山の隣。三巻元暦元年(1184)九月十九

たいれい台嶺は、天台宗の山、すなはち比叡山。六巻文治二年(1186)閏七月二十六日八月三日

たかおじ高雄寺は、京都府京都市右京区梅ケ畑高尾町5の神護寺六巻文治二年(1186)八月二十六日

たっこくのいわやびしゃもんどう参考田谷窟は、現在は達谷窟と書き、毛越寺から西南西の厳美渓へでる途中にある。

たふのみね多武峰は、奈良県桜井市南部にある地区名。多武峰街道は談山神社から等弥神社を経て山の辺の道に接続する。元は談山神社の奥の院である談山妙楽寺の境内であったが、廃仏稀釈以降現在は談山神社となっている。西暦800年代、巻向山手地方にあった神武天皇の御霊を、同寺に移したとされる。1596年慶長元年)、同寺は郡山に遷され、曹洞宗久松寺として現存する。ウィキペディアから五巻文治元年(1185)十一月廿二日

たまさきじんじゃ玉前神社は、上総一ノ宮は、千葉県長生郡一宮町一宮304827巻寛喜元年(1229)十二月十日

だんざんじんじゃ談山神社は鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である藤原鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(参照:阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。天武天皇9年(680年)に講堂(現 神廟拝所)が創建され、妙楽寺と称した(後に、談山護国寺妙楽寺と称する)。大宝元年(701年)、妙楽寺の境内に鎌足の神像を安置する神殿が建立された。談山の名の由来は、藤原鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。ウィキペディアから五巻文治元年(1185)十一月廿二日

たんばのくにいちのみやいずもしゃ丹波國一宮出雲社は、出雲社と言う荘園で、京都府亀岡市千歳町千歳出雲神社。三巻元暦元年(1184)九月二十

ちゅうそんじ中尊寺9巻文治5年(1189)9月17日

ちゅうそんじきょうぞうりょう中尊寺経藏領當寺の堺四至〔東は鎰懸。西は山王窟。南は岩井河。北は峯の山堂の馬坂也〕は、一関市厳美町本寺地区(通称骨寺村荘園遺跡)。中尊寺経蔵別当所領。9巻文治5年(1189)9月10日

ちょうこうどう長講堂は、京都市下京区にある西山浄土宗の寺。もと後白河法皇の仙洞六条御所内の持仏堂として建立。Goo電子辞書から八巻文治四年(1188)四月二十日

つしまじんじゃ→しまづしゃ島津社は、愛知県津島市神明町の津島神社、神社が荘園扱いされている。八巻文治四年(1188)二月二日

つづきたいしゃ杵築大社は、明治時代に出雲大社と呼び名を変えた。六巻文治二年(1186)五月三日

つるがおか鶴岡は、神奈川県鎌倉市雪ノ下二丁目一の鶴岡八幡宮。七巻文治三年(1187)四月二日

てんだいさん天台山は、延暦寺。六巻文治二年(1186)三月十二日

てんのうじ天王寺邊は、大阪市天王寺区四天王寺1丁目11番18号四天王寺五巻文治元年(1185)十一月六

てんまんぐう天滿宮は、平塚天満宮で国道一号線の宮前交差点際にあるとネットで読んだが、どの地図を捜しても見つからない。十二巻建久三年(1192)八月九日

とうこうぼう東光坊は、鞍馬寺の塔頭で牛若丸の学問所と伝えられる。六巻文治二年(1186)二月大十八日

とくちょうじゅいん得長壽院は、平家物語「殿上闇討」に、忠盛が鳥羽院の時に得長壽院を造進して三十三間の御堂を建てとある。法住寺殿内。四巻元暦二年(1185)七月十九

とばじゅういちめんどう鳥羽十一面堂は、不明(京都市南区上鳥羽岩ノ本町にある浄禅寺十一面観音カ?)六巻文治二年(1186)三月十二日

ながおじ長尾寺は、川崎市多摩区長尾三丁目の妙楽寺がかつての源氏祈願寺の長尾山威光寺跡と云われる。近くに長尾神社あり。一巻治承四年十一月十九日・二巻養和元年一月二十三日

なんざん南山は、熊野神宮。六巻文治二年(1186)八月二十六日

にっこうさん日光山は、二荒山神社で国衙が信仰していた。六巻文治二年(1186)九月三十日

にのみや(かわわ)二宮〔河匂大明神〕は、高座郡二宮町山西の川勾神社。十二巻建久三年(1192)八月小九日

にょいじ参考如意寺は、園城寺別院で、京都市左京区鹿ケ谷から滋賀県大津市の園城寺にかけての山中に東西2.5km南北1kmに渡ってた山岳寺院。43巻建長5年10月2日

にんなじ仁和寺は、京都府京都市右京区御室大内33http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji/六巻文治二年(1186)六月二十二日

ぬきさきじんじゃ貫前神社は、上野一宮は、群馬県富岡市一ノ宮1535。27巻寛喜元年(1229)十二月十日

のぎみや野木宮は、は、栃木県下都賀郡野木町大字野木に野木神社。幻の寿永二年(1183)二月廿三日。六巻文治二年(1186)九月大卅日

のぎのみや野木宮は、栃木県下都賀郡野木町大字野木に野木神社あり。近くに野木小学校。野木神社南200mに雷電神社があるが轟の名残か。寿永二年(1183)二月廿三日のぎみや野木宮は、は、栃木県下都賀郡野木町大字野木に野木神社寿永二年(1183)二月廿三日小山朝政が志田義廣と戦った時に隠れた。六巻文治二年(1186)九月三十日

はこね筥根は、神奈川県足柄下郡箱根町の箱根神社二巻壽永元年(1182)月十一

はこねさん筥根山は、神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1箱根神社。旧名は筥根權現。七巻文治三年(1187)四月二日

はこねやま筥根山は、箱根權現で現箱根神社。九巻文治五年(1189)八月十五日

はちしゃ陣岡蜂杜は、紫波町陣ケ岡蜂神社。9巻文治5年(1189)9月4日

はちまんぐう八幡宮は、五の宮で、平塚市浅間町1平塚八幡宮。或いは、鎌倉元八幡かもしれない。十二巻建久三年(1192)八月小九日

はちまんぐう八幡宮は、岩清水八幡宮。六巻文治二年(1186)三月十二日

はちまんぐう八幡宮(伊沢郡鎮守)は、岩手県奥州市水沢区黒石町字小島の石手堰神社九巻文治五年(1189)九月二十一日八幡宮(二宮明神)9巻文治5年(1189)9月21日

はんりゅうじ範隆寺〔平塚〕は、平塚市平塚4丁目18春日神社別当。十二巻建久三年(1192)八月小九日

ひえ日吉は、日吉山王神社。現山王総本宮日吉大社。境内は、比叡山系の最高峰・大比叡峰の東方に位置する八王子山(牛尾山)を含む山麓の13万坪あります。六巻文治二年(1186)正月廿四日

ひえしゃ日吉社は、日吉山王神社。現山王総本宮日吉大社。境内は、比叡山系の最高峰・大比叡峰の東方に位置する八王子山(牛尾山)を含む山麓の13万坪ある。六巻文治二年(1186)三月十二日

ひえいざん比叡山では、武器を製造している者が居たので、(この時点ではないが)追放するようにとの文書が、出た事がある。鎌倉遺文18巻13865号らしい)九巻文治五年(1189)二月十二日

ひえのとうした日吉の塔下彼岸衆は、比叡山延暦寺日吉権現のホームページに、根本大塔:創建は天慶5年(942)で、平将門の調伏のため建立された。この根本塔は延慶元年(1308)焼失。元徳元年(1329)塔供養。その後も度々造替され近世まで存続した。山王鳥居のすぐ北側で、今の総社の位置という。そばに塔下惣社と呼ばれる末社が建てられ、塔下彼岸所が付属していた。(別記事)延慶元年(1308)塔下彼岸所から出火し、根本大塔、七重塔、七社社殿・社務所、彼岸所、仏堂、不断経所などを焼失。六巻文治二年(1186)正月廿四日

ひたちのくにかしましゃ常陸國鹿嶋社は、茨城県鹿嶋市宮中の鹿島神宮。三巻壽永三年(1184)正月廿三日

ひなたやくし日向藥師は、神奈川県伊勢原市日向1644に、かつて真言宗の日向山霊山寺と云う、13もの子院を持つ大寺院だったが、廃仏毀釈で多くの堂宇が失われ、別当坊の宝城坊と薬師堂がのこった。宝蔵には行基作の伝説を持つ薬師如来始め丈六の阿弥陀像や薬師如来像、十二神将像などが収蔵されている。十四巻建久五年(1194)八月小八日

びょうどうじ平等寺〔豊田〕は、平塚市豊田の平等寺。十二巻建久三年(1192)八月小九日

ひらのしゃ平野社は、京都府京都市北区平野宮本町1の平の神社。六巻文治二年(1186)三月十二日

ひろたしゃ廣田社は、兵庫県西宮市大社町7広田神社。頼朝の寄進状が残っているらしい。三巻元暦元年(1184)四月廿八三巻元暦元年(1184)十月廿七

ふくだじ福田寺〔酒匂〕は、南足柄市和田河原の福田寺。十二巻建久三年(1192)八月小九日

ふくちしゃ福地社は、浜松市富吉町。六巻文治二年(1186)七月十九日

ふこうじ普光寺なら長野県上水内郡飯綱町普光寺。六巻文治二年(1186)三月十二日

ふじりょう冨士領は、富士市、富士宮市、裾野市にまたがる。六巻文治二年(1186)七月十九日

へいせんじ平泉寺は、福井県勝山市平泉寺町平泉寺の平泉寺白山神社。11巻建久2年6月23日

へいたくじ平澤寺は、埼玉県比企郡嵐山町大字平澤977番地・平澤寺。http://55bbq.com/ch-04/heitakuji.pdf八巻文治四年(1188)七月十三日

へんしょうじ遍照寺は、右京区嵯峨広沢西裏町14番地。通称を広沢不動尊と云う。五巻文治元年(1185)十二月十七

ほうこんごういん法金剛院は、右京区花園扇野町に在り。鳥羽法皇建立。八巻文治四年(1188)四月十二日

ほうしょうじ法勝寺は、白河の地に代々の天皇・上皇・女院たちの御願によって建てられた6つの寺院六勝寺のひとつで白河天皇御願寺。六巻文治二年(1186)六月九日

ほうりんいん法輪院は、滋賀県大津市石山寺隣。一巻治承四年五月十九日

ほうじゅじでん法住寺殿は、後白河法皇の御座所。五巻文治元年十月二十日

ほっしょうじ法性寺は、京都市東山区本町16丁目にある浄土宗西山禅林寺派の寺。925年藤原忠平の創建。開山は法性房尊意。藤原忠通とその子九条兼実が出家後住す。のち廃絶したが明治時代に尼寺として再興。たぶんここも含んだ東福寺一帯だと思われる。六巻文治二年(1186)正月廿四日

ほんがくいん本覺院は、三井寺の本覚院。三井寺は源氏派、延暦寺は平家派。

ますみだしゃ(おわり)眞C田社〔尾張〕は、愛知県一宮市真清田1丁目に真清田神社(尾張一ノ宮)あり。三巻壽永三年(1184)四月六

まつおしゃ松尾社は、京都府京都市西京区嵐山宮町3の松尾大社。六巻文治二年(1186)三月十二日

みうらじうにてん三浦十二天は、神奈川県横須賀市芦名1丁目21番25号の十二所神社で天神七代、地神五代を祀る。二巻壽永元年(1182)月十一日・二巻壽永元年(1182)月十三

みしましゃ三島社は、静岡県三島市大宮町2−1−5所在の三島大社一巻治承四年八月十七日

みなみみどう南御堂は、勝長寿院。六巻文治二年(1186)五月十七日

みむろと御室戸は、三室戸寺で三井寺に属す。京都府宇治市菟道滋賀谷。一巻治承四年五月二十七日

みろくじ弥勒寺〔波多野〕は、足柄上郡松田町寄(やどりき)の寄神社、廃寺。十二巻建久三年(1192)八月小九日

むさしいちのみや武蔵一ノ宮は、東京都多摩市一ノ宮1丁目18-8の小野神社。27巻寛喜元年(1229)十二月十日

むさしじこうさん武藏慈光山は、埼玉県比企郡都幾川町西平の慈光寺。http://bell.jp/pancho/travel/saitama/jikoji.htm九巻文治五年(1189)六月二十九日

むなかたしゃ(ちくぜん)宗像社〔筑前〕は、福岡県宗像市田島に宗像大社あり。三巻壽永三年(1184)四月六

むりょうこういん無量光院は、現在は無く、わずかに田んぼの中にその島の跡と礎石を残すのみである。なお、えさし藤原の里に五分の一の復元模型がある。9巻文治5年(1189)9月17日

もうつじ毛越寺九巻文治五年(1189)九月十七日

やましなでら山階寺は、藤原鎌足の夫人が鎌足の病気平癒のため創建。後に藤原京、平城京と動き、現在の興福寺となる。奈良県奈良市登大路町48番地。六巻文治二年(1186)十二月十五日

ゆげじ弓削寺は、神奈川県小田原市飯泉1161の飯泉山勝福寺(飯泉観音)弓削道鏡が開山し、普陀落山弓削寺と称して、弓削氏の氏寺として栄えた。坂東三十三観音第五番札所。十二巻建久三年(1192)五月小八日

ようふくじ永福寺は、頼朝が平泉中尊寺毛越寺を模倣し神奈川県鎌倉市二階堂216に建立した寺院。廃寺。その見かけが二階建てに見えたので「二階堂」と呼ばれ、それが地名となり、その地に住んだ藤原行政の子孫が「二階堂氏」となった。九巻文治五年(1189)十二月九日。十二巻建久三年十月二十九日。

りくしょうじ六勝寺→ろくしょうじ

りょうぜんじ靈山寺〔日向〕は、伊勢原市日向の日向薬師、塔頭の宝戒坊が残っている。十二巻建久三年(1192)八月小九日

れんげおういん蓮華王院は、C盛が寄進した三十三間堂と云われる。法住寺殿内。四巻元暦二年(1185)七月十九、三十三間堂。よって後白河法皇がピンはねをするので法皇の領地でもある。六巻文治二年(1186)三月十二日、八月二十六日

ろくしょうじ六勝寺白河の地には代々の天皇・上皇・女院たちの御願によって建てられた6つの寺院が並んでいた。法勝寺(白河天皇御願寺)・尊勝寺(堀河天皇御願寺)・最勝寺(鳥羽天皇御願寺)・円勝寺(鳥羽天皇皇后待賢門院御願寺)・成勝寺(崇徳天皇御願寺)・延勝寺(近衛天皇御願寺)と、いずれも「勝」の字がつくため、この6カ寺をあわせて「六勝寺」と呼ばれる。六巻文治二年(1186)二月大廿九日丁丑,院政期,天皇や中宮の発願で鴨川東岸の白河(現左京区岡崎)の地に建立された6つの寺院。いずれも「勝」の字がつくので六勝寺と総称されました。六巻文治二年(1186)三月十二日

 法勝寺(ほっしょうじ)は白河天皇御願。承暦元(1077)年落慶供養。

 尊勝寺(そんしょうじ)は堀河天皇御願。康和4(1102)年落慶供養。

 最勝寺(さいしょうじ)は鳥羽天皇御願。元永元(1118)年落慶供養。

 円勝寺(えんしょうじ)は鳥羽天皇中宮待賢門院藤原璋子御願。大治3(1128)年落慶供養。

 成勝寺(じょうしょうじ)は崇徳天皇御願。保延5(1139)年落慶供養。

 延勝寺(えんしょうじ)は近衛天皇御願。久安5(1149)年落慶供養。

ろくじょういん六條院は、後白河院の法華堂。京都府京都市下京区河原町通上枳殻馬場上ル若松町420のあたりにあったらしい。六巻文治二年(1186)三月十二日

ろくじょうわかみや六条若宮は、六条通と堀川通りの交差点の東北側に550m四方であった。(六条堀川若宮八幡宮五巻文治元年(1185)十二月卅

ろくしょみや六所宮は、神奈川県中郡大磯町国府本郷の六所神社。十二巻建久三年(1192)五月小八日

わしのみや鷲宮は、埼玉県久喜市八甫4丁目の鷲宮神社。十三巻建久四年十一月十八日。

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