鎌倉歴史散策の歴散加藤塾別館 吾妻鏡入門の携帯用の目次です

一巻 治承四年(1180) 序文・頼朝の旗揚げから鎌倉政権の樹立まで
二巻 養和元年(1181) 寿永元年(1182)壬寅頼家誕生・政子妾の家破壊
幻の 寿永二年(1183)切貼の誤謬を二巻に.志田義廣裏切.景時廣常暗殺
三巻 元暦元年(1184) 木曾義仲滅亡 清水義高殺害 一条忠頼を暗殺
四巻 文治元年(1185)八月まで。壇ノ浦に平家滅びる
五巻
 文治元年(1185)九月から。義経奥州へ亡命
六巻 文治二年(1186) 靜八幡宮で「しずやしず・・・」を踊る
七巻 文治三年(1187) 熊谷次郎直實流鏑馬の的立て役を渋り領地没収
八巻 文治四年(1188) 義経追討の宣旨発出
九巻 文治五年(1189) 義経滅亡・奥州合戦・永福寺事始め中尊寺似
十巻 建久元年(1190) 大河兼任の乱・頼朝上洛

十一巻 建久二年(1191) 幕府、八幡宮大火事で焼失。山の上へ引越す
十二巻 建久三年(1192) 7月12日征夷使大將軍源頼朝任命 実朝誕生
十三巻 建久四年(1193) 曾我兄弟の仇討ち・安田義資
梟首される
十四巻 建久五年(1194) 二月泰時元服・安田三郎義定梟首される
十五巻 建久六年(1195) 東大寺大仏殿完了供養出席・重忠明恵に会う
 欠落 建久七年(1196)・八年(1197)・九年(1198)
十六巻 正治元年(1199) 頼朝と政子の次女 乙姫死亡 梶原景時弾劾
 同  
正治二年(1200) 三浦義澄卒 景時滅亡 北條時政遠江守に
十七巻 建仁元年(1201) 越後の城一族反乱、坂額御前活躍
 同  建仁二年(1202) 頼家蹴鞠 舞女微妙京都来 新規労働奉仕禁止
 同  建仁三年(1203) 九月まで 阿野全成殺され九月比企能員滅亡
十八巻 建仁三年(1203) 十月から 実朝将軍宣下 時政武蔵支配
 同  元久元年(1204) 頼家殺 実朝嫁取 北条政範死 朝雅重保口論
 同  元久二年(1205) 畠山重忠滅亡 稲毛・榛谷は三浦に殺される
 同  建永元年(1206) 公暁、実朝の猶子に 名越流北条朝時元服13
 同  承元元年(1207) 桜梅の木永福寺から移植供奉人の行粧華美諌
十九巻 承元二年(1208) 小野義成卒 雨乞 熊谷直實卒 中原親能卒
 同  承元三年(1209) 和田義盛国司要望 土屋宗遠梶原家茂を殺害
 同  承元四年(1210) 大庭景能卒  土御門天皇が順徳天皇へ譲位
 同  建暦元年(1211) 鴨長明出演 公暁、京都へ仏教修行に行く 
二十巻 建暦二年(1212) 前浜を屋地に 朝時駿河蟄居 侍所で宿直乱闘

廿一巻 建保元年(1213) 和田合戦・和田義盛滅亡 長沼重忠遺児殺害
廿二巻 建保二年(1214) 喫茶養生記 三井寺炎上 大慈寺開眼供養
 同  建保三年(1215) 時政死 栄西死 実朝商人の員数定めを命ず
 同  建保四年(1216) 江ノ島トンボロ現象徒歩で渡る 竹御所登場
廿三巻 建保五年(1217) 実朝宋へ渡ろうと唐船を作らせるが動かない
 同  建保六年(1218) 実朝大納言に任官 大将を望み諌めを聞かず
廿四巻 承久元年(1219) 実朝28才暗殺される七月三寅(二才)關東へ
 同  承久二年(1220) 三寅着袴 時房子二人自由出家 別當慶幸入滅
廿五巻 承久三年(1221) 承久の乱 政子御家人を叱咤激励 関東大勝利
廿六巻 貞應元年(1222) 初めて犬追物を行う 時房伊勢国守護に任命
 同  貞應二年(1223) 新捕地頭得分十町に一町免田反別五升加徴米
 同  元仁元年(1224) 北條義時死す 伊賀氏の乱 泰時執権につく
脱漏  嘉禄元年(1225) 大江広元北條政子死 宇都宮辻子 頼経元服
 同  嘉禄二年(1226) 竹御所登場 九条頼経 将軍宣下 禁色許可
 同  安貞元年(1227) 頼経はしか 泰時政子供養丈六阿弥陀堂建立
廿七巻 安貞二年(1228) 江の島 森戸遊覧 大風侍所廊門竹御所侍倒壊
 同  寛喜元年(1229) 三崎へ逍遥 泰時娘、夫の三浦泰村と京都へ
 同  寛喜二年(1230) 時氏鎌倉へ戻るが病死重時六波羅探題へ上洛
廿八巻 寛喜三年(1231) 諸国守護大犯三か条以外禁止明王院開眼供養
 同  貞永元年(1232) 御成敗式目制定 和賀江島完成 毛越寺炎上
廿九巻 天福元年(1233) 大風前出挙利子を五割に 将軍姉死 実時元服
 同  文暦元年(1234) 経時元服 北野天満宮燒失 竹御所里見義成死
 同  嘉禎元年(1235) 五大堂建立九条教實死疱瘡流行天皇将軍罹病
卅巻  嘉禎元年(1235) 五大堂建立九条教實死疱瘡流行天皇将軍罹病

卅一巻 嘉禎二年(1236) 新御所追設南都蜂起大和に守護地頭短期設置
 同  嘉禎三年(1237) 明王院に政子13回忌丈六堂建設三浦義村横暴
卅二巻 暦仁元年(1238) 頼経上洛 行村没 鎌倉大仏事始・頭を上げ
卅三巻 延應元年(1239) 後鳥羽院没恩領訴訟停止頼嗣誕生三浦義村卒
 同  仁治元年(1240) 時房・長沼宗政卒鎌倉篝屋決定大番遅刻罰金
卅四巻 仁治二年(1241) 大仏殿上棟式 六浦道工事 武蔵野水田開発
 欠落 仁治三年(1242) 頼経25才 六月十五日泰時死亡 
卅五巻 寛元々年(1243) 鎌倉大仏開眼 下人奴婢の制 京都にかがり屋
 同  寛元二年(1244) 飢饉人身売買容認 頼嗣元服6才将軍譲与洪水
卅六巻 寛元二年(1244) 頼嗣7才新将軍宣旨伊勢国悪党蜂起 政所全焼
 同  寛元三年(1245) 西国新任神人制限経時妻死保へ道路侵食禁止
卅七巻 寛元四年(1246) 経時死亡23時頼20就任宮騒動頼経京都へ追放
卅八巻 寳治元年(1247) 熱海沈む 羽蟻飛び三浦合戦 大番役三月に
卅九巻 寳治二年(1248) 安達景盛没 六月雪降る 足利結城手紙相論
 欠落 建長元年(1249) 訴訟の処理を能率化するために引付衆を設置
四十巻 建長二年(1250) 時頼病気 造閑院 本補新補兼務禁止博打禁止

四十一巻建長三年(1251) 町屋売買場所特定 親王将軍下向要求 風伯祭
四十二巻建長四年(1252) 序文 宗孝親王将軍 鎌倉大仏釈迦像鋳始め
四十三巻建長五年(1253) 安達義景二階堂行盛長井泰秀没 建長寺落慶
四十四巻建長六年(1254) 結城朝光没 時頼聖福寺建立 大風家屋倒壊
四十五巻建長七年(1255)        欠   落
四十六巻康元元年(1256) 時頼赤痢で出家長時に時宗成人まで執権譲渡
四十七巻正嘉元年(1257) 時宗元服 引付を五班に 大地震 大慈寺修理
四十八巻正嘉二年(1258) 泰盛邸出火寿福寺新清水寺若宮宝蔵別当房燒失
 
欠落 正嘉三年(1259)     3月26日改元の正元元年
四十九巻文應元年(1260) 三井寺戒壇設置勅許山徒蜂起取消将軍妻京下
五十巻 弘長元年(1261) 御成敗式目追加法時宗嫁取り政所火事重時卆
 
欠落 弘長二年(1262)  叡尊、鎌倉へ下向 鎌倉大仏完成カ?
五十一巻弘長三年(1263) 十一月廿二日時頼(37)最明寺北亭に於て卒去
 
欠落 文永元年(1264)(弘長四年)
五十二巻文永二年(1265) 時宗連署政村執権 大地震 町屋限定 崖崩れ 
 同  文永三年(1266) 泥雨雹降る 深秘の沙汰 宗尊親王京都へ

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